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本編
一見ただの重厚な扉に見えるそれを開け、中に入ると数人が入れる程度のスペースがある。
ここから先に進もうとする人間はIDの有無に関係なく誰しも一度立ち止まらなければならない。背後の扉をしっかり閉じてからでないと館内に通じる二つ目の扉は開かない仕組みになっているのだ。
在外公館の特性上、厳重なセキュリティが必要とされることは理解しているが、まるでクリーンルームのような二重扉を最初に体験したときには驚いた。出入りのたびに繰り返す煩わしい動作にも最近ようやく馴染んできたような気がしている。
栄が日本を離れ、イギリスのロンドンにある在英国日本大使館での勤務を開始してからは二ヶ月ほどが経過していた。
真夏の着任だったこともあり、第一印象は「思ったより暑い」だった。世界地図で眺めるブリテン島はずいぶん北の方に位置するので、栄はてっきり夏の暑さとは縁遠い土地だとばかり思っていた。しかし意外にも日中の日差しはきつく、気温が三十度を上回る日もそう珍しくはなかった。
とはいえやはりそこは高緯度国。八月も半ばになれば暑さも和らぎはじめ、九月も終わろうとする今では薄手の上着が必要な日も増えてきた。
「あれ、谷口さん。外出だったんですか?」
ちょうどエレベーターから降りてきた男が手を挙げた。制服姿の凛々しい男は長尾といい、本来の所属は防衛省だ。ほとんどの職員が普通のビジネススーツで仕事をする大使館の中で、駐在自衛官の制服は人目を引く。
「ええ。十一月に日英共催で経済シンポをやることになっていて、登壇者への参加交渉です。日本からは政務官も出席予定なので、それなりのレベルの人を集めてくれって言われて大変ですよ」
「ははは、一人親方状態で日本じゃ部下に丸投げしていたようなことも自分でやらなきゃいけないし、慣れるまでは大変ですよね」
長尾とは比較的年齢が近く、互いに単身で渡英しているという共通点もあるからか所属は異なるにも関わらず親しく声をかけてくれる。
防衛大学出身、ゴリゴリの制服組エリートだが、人懐こい表情や態度は栄のイメージする防衛省の厳格さとは程遠い。
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