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9
由良の荒々しい離陸を見送った後、舟人は「少しほっといてやれよ」と、事の始終を見ていた整備員たちから声をかけられた。
「なんでだよ、ほっといたらあいつ一人でどっか行っちまうだろ」
納得できず舟人が言い返すと、一人の整備員が呆れた様子で答える。
「そうしたいんだろ」
「え」
「しゅ……花登は一人でいたいんだろ。確かにあいつの協調性の無さとか、機体を平気で壊すような神経はシャクだが、ここは学校でも内地でもねえ。戦場だ」
うんうん、と殊勝な顔つきで周りにいた整備員たちも頷く。
「ここでは戦果を上げたもん勝ちだろ、そんなこと搭乗員の百目木が一番分かってるんじゃないのか」
わかっている、それぐらい。舟人だって遊びにラバウルまで来たわけではない……けれど。
「……俺のペアになるんだ」
内に湧き上がるこの強い思いは一体何なのか、自分でもわからない。
「俺は、俺たちは……生きて、勝って、帰るんだろ」
舟人の真っ直ぐな視線はどこまでも澄んでいて、そして揺るぎない光が宿っている。
その一言を聞き整備員たちがハッとしたように息を飲んだ。
「わかってるよ、俺のこの感情は軍にとっては間違っていると。……でも俺たちは軍人である以前に一人の人間だろ?俺にもお前たちにも、ここに来る前にしていたことをもう一度する権利はあるんじゃないのか?」
軍属となった時点で個は不要になる。求められるのは頑健な心身と、勝利への貪欲さだ。舟人だって搭乗員である以上やはり一つでも多く星が欲しい。
しかし、そうやって競争社会の中で人の心を徐々に失っていく仲間たちを何人も見てきた。予科練では、やれ故郷で何人女を抱いただの、今日の晩飯には肉が出るらしいだの、そんな何気ない会話をしながら肩を組み笑いあった仲間たちが、味方であるはずの仲間に向けて闘志を剥き出して、いの一番にと肩を打つけながら戦闘機に乗り込み空に向かって疾駆していく。
……そして一人、また一人と海と空に散っていく。
「俺は自分の見知った奴と死に別れて帰るなんてしたくない。俺にとって、人の縁は一期一会じゃない。一度知り合ったら、どんな奴だって生きて幸せになってほしい」
そんなの綺麗事だと言われればそれまでだが、それでも舟人は人を裏切れない。
「……百目木はやっぱり優しすぎるよ」
整備員たちの中、誰かがポツリと呟いた。
「わかってる、優しいっていうより甘えだよな」
悪い、邪魔した。と片手を上げ舟人は整備員たちに背を向けた。
舟人には仲間がたくさんいる。自分が死んだらきっと何人かは声を上げ涙を流してくれるだろうとも自覚がある。
でも、由良は。
一人空で散った時に、由良の死を嘆いてくれる人はいるのだろうか。
いつも避けられてばかりだから由良の身上の詳しいことを舟人は知らない。けれど、あんなに我が身を顧みない飛び方をするぐらいだ、内地に思い入れなどなさそうなことぐらい鈍感な奴だって気付く。
それに由良は極端に身の回りの物が少ないのだ。皆のように小説や雑誌、トランプといった娯楽品を持参していないし、日記や手紙の類もない。本当に、ただ戦闘機に乗るためだけに戦地に身を置いている、そんな気配すら感じるのだ。
「……一人になんて、できねぇよ」
滑走路を後にして舟人は司令部の庁舎に向かって歩みを進める。緩い坂道には高くなり出した陽射しを遮るものなど何もなく、ジリジリと舟人の首筋を焼いていく。
初めて会った時、「あつい」と言っていた。舟人の手が、熱いと。
日焼けしてもなお、ラバウルで一二を争う色白の由良だからだろうか。きっとこれまでも他人の体温に慣れていないのだろうと舟人は思ってしまう。
愛されたことのない者の愛を求めた裏返しのやさぐれでもなく、全てを失った者の絶望でもない。どこまでも平らで冷たく凍てついているその身体を、どうにかして暖めてやりたいと痛切にそう思う。
例えそれが由良の望んでいないことだとしても、人の優しさと温かさから遠ざかったまま故郷より遥か遠くの地で果てるなんて寂しすぎやしないか。
「暑い、なぁ……」
なあ由良、俺の手なんかよりも太陽の方がずっとずっと熱いんだよ。
頬を伝うのは、汗か涙か。塩辛いそれが口の端に流れてきても舟人にはそれがどちらなのかわからない。
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