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先日整備員たちに「ほっとけ」と言われたばかりだが、やはり苛烈に身を削る由良の生き様は見ていて心配になるし、もう間もなく自分のペアとなる男だ。放っておきたくても放っておけないのは舟人の性格上致し方ない。 とは言え由良から毛嫌いされているのも事実で、どうやってその距離を詰めたものかと舟人は日々頭を悩まし続けている。 今日はいつものように司令部にて事務書類作業の手伝いをしているが、厚木少将直々のご指名とあり下士官でもない舟人が普段入ることの出来ない少将専有の執務室にて作業を行っていた。 「……百目木一飛」 「は、何でしょう」 呼びかけに手を止めて応じると厚木少将は好々爺と称されるその穏やかな顔ににっこりと笑みを浮かべて舟人に言う。 「なぁに、ほんの雑談だよ。楽にしなさい」 「はい」 まるで孫を見るようなその優しい眼差しを見つめ返しながら舟人は手元の書類を整えた。 「風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ…砕けてものを 思ふころかな」 「そ、れは……」 「強き風に吹かれ岩に打つ波ばかり砕け散るように、あなたの心は全く動かずに私ばかり物思いに耽っているのだ……という意味だ。今の君たちを見ているとね、そう思うのはきっと私だけではないかもしれないね」 優しい微笑の奥にほんの少し悪戯げな色を混ぜて厚木少将が言う。 「君たち、というのは私とゆ…花登のことでしょうか」 「面白い噂をいくつか耳にしておるよ」 そう言いどこか遠くを見るように目を細めながら、厚木少将は堪えきれないようにふくふくと笑いを零した。 「な……ど、どのようなことがお耳に入ったのでしょうか」 厚木少将は滅多なことで怒らないし、無用な懲罰を与えない人物だ。 しかし、いざ我が振る舞いを振り返るとこれまで何度か…いや何度も騒ぎを起こしては上官から罰を受けてきたし、その数は少ないとは決して言えない。 しまった……と僅かに宙を仰ぎ、思わず額を手で押さえた舟人を見て厚木少将はほっほ、と好々爺らしく笑った。 「私の好きな話はね、花登一飛の喧嘩を止めようとして代わりに相手を返り打ちにしてしまい、急降下爆撃の餌食になったとか」 ああ、そんなことがつい一週間ほど前にあった。 「そ…れは、事実ですね、はい……」 「あとは、花登一飛が細すぎるからもっと食わせろと食堂の当番に詰め寄っては花登一飛に容赦なく叱られたこと…かな」 ふふふ、と楽しそうに笑いながら厚木少将が言うのを聞き、舟人は喉奥で情けない音を立てる。 「ぐ、う…それも確かにありました」 規律を乱して申し訳ありません……。と舟人が力無く謝ると、「なぁに、怒っているのではないよ」と厚木少将は手元の湯飲みを一口啜り、続けた。 「そういう話を聞くたびね、花登一飛を……花登くんをね、君とペアにして良かったと思っているのだよ」 厚木少将が階級を付けて呼んだ由良の名をあえて言い直した。それはこの話が司令部の厚木少将としての話ではなく、厚木清(あつぎきよし)個人の話であることを言外に伝えてきている。 「彼はね、些か寂しすぎるから。遠い雪国の出身と聞いたけれど、心も硬く凍っているみたいだからどうしてもラバウルに連れて行きたいんだと……とある子が言ったんだよねぇ」 とある子、とは誰なのか。少なくとも厚木少将より下位の階級の人物であることに違いはない。しかし、舟人はそれが誰なのかと口を挟むことなく黙って厚木少将を見つめた。 「常夏のラバウルなら花登くんの心を溶かしてくれるんじゃないかと。それに彼は少々荒っぽいが間違いなく戦闘機乗りの腕は格別だったからね」 でも素行が悪い。だから階級は上がらない。 これまたほっほと笑いながら、厚木少将は思い出したように手を打ち言った。 「そうだ、百目木一飛。君は明後日付けで一飛から飛行兵長へ昇格となる」 「え、あ、ありがとうございます?で、ですが、なぜ」 通常であればこのような何もない時期に昇格するなどあり得ない。増してや今は瑞雲到着を待つ身で搭乗もないから星を積み上げているわけでもない。 「花登くんを守るためだよ」 「由良を……?」 「どんなに強い猛獣だとしても檻の中に閉じ込めていたらその強さはわからない。けれど荒れ狂うままに解き放っても敵味方なく食いちぎってしまう」 例え話をするのが好きなのか、厚木少将の遠回しな言い方に舟人は焦ったい思いで次の言葉を待つ。 「ただし、猛獣を扱いこなす者がいればね。その力を内ではなく外に向けることができる。……彼の心は氷の檻に囚われているのではないかと言っていたから、だからその氷を溶かして、彼の真の強さを…我が軍に証明してほしいのだよ」 厚木少将の穏やかなその表情の中、瞳だけが炎が燃えるような力強さに満ちていた。 好々爺だと……とんでもない。 その紛うことなき強者だけが宿せる炎を見て舟人の背中に冷たい汗が伝った。数多の困難を超えて、更なる高みを、強さを、勝利を求める者だけが宿せる決して消えない海軍の炎だ。 「……それに君はここのところ良く司令部の雑務を手伝っていてくれたからね」 と厚木少将が続けた時、舟人が見た炎は既に形を潜め、いつも通り孫を見るような優しい眼差しに戻っていた。 「期待をしているよ、百目木くん」 「っ、はいッ!」 舟人は立ち上がり敬礼をした。 今までも舟人は厚木少将のことを司令官として、人として尊敬をしていた。少し鷹揚すぎるところもあるのではないかと思ったり、独特な言い回しに振り回されたりもしているがそれでも尊敬し続けられるのは、舟人や由良だけでなく末端の兵士個人のことを見ている姿がとてもではないが容易に真似できるものではないからだ。 しかし理知的で穏やかな力を有しているだけだと、舟人はみくびっていた。でなければ、海軍少将などという階級に就き最前線基地の司令官を務めているわけがないのだから。 「……俺も、海軍の炎を宿します。そして由良を…由良と一緒に最高の戦果を上げてみせます」 「ほっほ、頼もしい。楽しみにしておるよ」 厚木少将はそう言うとズズ、と美味そうに湯飲みの中のお茶を啜るのだった。
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