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なんなんだ、あの野郎。 舟人を睥睨し、歩き去った由良は宿舎の裏手に作られた空き地にやってきていた。 遮る物のない空き地に午後の日差しが容赦なく照りつけ、由良の上に降り注ぐ。 司令部に呼び出され先日壊した零戦についてチクチクと小言を言われた直後に、ふざけた話で盛り上がっている舟人に遭遇し由良の不機嫌は最高潮に達していた。 「ふざけやがって……」 噛み締めた奥歯の隙間から抑えきれない怒りが言葉となり溢れた。 戦闘機は人間を殺す道具だし、戦争は遊びじゃない。 郷里に家族も友人もいない由良としては、本土に連合軍が侵攻し誰が死のうが知ったことではない。 別段この国に思い入れがあるわけではない。しかし遠い彼方の異国の人間に支配されるのはそれはそれで癪に触る。 天涯孤独の由良には戦う理由など始めから何もなかった。けれど何となしに予科連へ入り、力を持つ者が勝利するという単純すぎるこの世界の本筋を理解した時、強くなろうと心に決めたのだ。 誰よりも強くなって、誰にも干渉されずに、孤独の闇の中でただ一人過ごすために。 そのためにも突如現れた舟人の存在はただただ由良にとっては邪魔者以外の何物でもなかった。 阿呆みたいな面をして、雛鳥もそこまでしないというぐらいに「由良、由良」と名前を呼び後をついて回る。 はじめは自分のような厄介者とペアを組ませた司令部への顕示か、はたまた自分に対する新手の嫌がらせかと思っていたがどうやらそうではなく、本気で由良と仲良くなろうとしているらしい。 「馬鹿馬鹿しい」 戦争は遊びじゃないし、軍隊は馴れ合いの場所でもない。今日の友が明日の屍になっていることなんてザラだ。親しくなればなるほど失うものは増えるばかりだ。 だから由良は誰とも打ち解けない。誰にも心は明け渡さない。 全てを失ったことのある人間が、この軍隊にどれだけいるのか。失ったことがないからどいつもこいつもペアだなんだと馴れ合うのだ。 口元が皮肉気に歪んだ笑みを描いていく。 「ああ……」 そうだ、俺の邪魔をするのなら。 いっそ本当に殺してやろうか。 スウ、と自身の瞳孔が細くなったことに気付かぬまま、ギラつく陽光に照らされ毒々しく輝く夾竹桃の花を見つめていると、 「おい、そんなとこで突っ立ってたら日射病になるぞ」 今一番聞きたくない声が由良の背中に投げかけられた。 「ッ!」 弾かれたように振り返るとそこには笑顔で「よう」と片手を挙げた舟人がいる。 「貴様ッ、何しに!」 瞬時に頭に血が昇ったのを自覚しながら、由良は舟人と距離を開けるように素早く後ろに下がった。 「何ってお前を追いかけに来たんだけど」 「来るな!」 「なんでだよ、俺が好きでしてるんだからいいだろ」 いつも通りの鷹揚とした笑顔と長閑な雰囲気に由良の怒りがジリジリと高まっていく。 「俺は追いかけられるのは大ッ嫌いだ」 「じゃあ俺を追いかければいいじゃないか」 舟人の的外れな意見に由良の眼はこれ以上ないというぐらいに吊り上がった。 チッ、と一際大きく舌打ちをして嫌悪に表情を歪ませた由良が半ば吠えるように怒鳴った。 「はっ!男しかいねえ軍隊でペアだなんだってどいつもこいつも馴れ合って……!貴様みたいな甘ったれた男色野郎は百本だろうが何本だって扱いてりゃいいだろ!だがそれに俺を巻き込むんじゃねえ!」 機嫌が悪い、を通り越してチリチリと肌を焼くような心火の炎を纏い由良が射抜くように舟人を睨む。 舟人はその視線を真正面から受け止め、憤怒の中に垣間見えた軽蔑するような由良の声音に眉根を寄せた。 「俺は別に男色じゃないが……。というか百本扱くってなんだお前。何の話してんだよ」 僅かに困惑しつつ宥めるような舟人の言い方に、由良は苛々として吐き捨てるように返した。 「は?さっき言われてたろ。百人抜きさんがよ。誰のものでも良いってか……男好きも大概だな」 完全に侮蔑しきったその声と視線に舟人が「……ああ!」と合点したように小さく叫ぶ。 「いや、百人抜きって……お前、そ、それ、意味勘違いしてるぞ」 クククと喉奥で声を震わせながら湧き上がる笑いを堪えて舟人が言う。その様を見て由良の眦が更に吊り上がった。 「地上要員共に言われてたじゃねえか」 汚らわしい、とでも言わんばかりに僅かに身を引いた由良が蔑視の視線を舟人に送る。 「い、いや……ダメだ、クッ、だははははっ!」 突然笑い出した舟人に由良は一瞬ぎょっとした顔をして「話にならん」と去ろうとした。 「あははは、ちょっ、ちょっと待て由良」 「触るな」 腕を掴まれた由良は剣呑な光をその目に宿し振り解こうとその腕を大きく振るった。 「誤解を解かねばならん」 笑いすぎてうっすらと涙を浮かべた舟人は掴んだままの由良の腕をグイと引いて近くに寄せた。 「おいっ!」 「お前、何を勘違いしたのか知らんが、百人抜きって柔道一本を連続百人から取ったってことで付いたらしい渾名だ」 「……は?柔道?」 「だからお前が思っていたような卑猥なことはしていないし、俺の手は清廉潔白だ。安心して瑞雲の機銃を握れるから気にするな」 「そっ……!そんなこと言ってないだろうがッ!」 そう吠えるも由良の色白の頬に普段は見られない朱が差してるのが分かって舟人は嬉しさを隠し得ない。 「ッ…クソ、馬鹿野郎が。もう知らん」 「おい、待てって」 「ついて来たら貴様を殺す」 「おいおい、俺たちペアだろ。物騒なこと言うなって」 「ペアじゃないッ!」 そういうと由良は足早にその場を去った。 去り際に舟人が見た由良の形の良い耳殻は赤く染まっていた。もっと赤くなったところを見られるのなら……由良のものなら握れるのに、と本人に知られたら冗談抜きで殺されそうなことを舟人は思うのであった。
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