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戦闘演習の相手の零戦が立て続けに二機戻ってきたあと、乗っていた搭乗員は口々に一斉の操縦の腕を褒めた。しかしいくら待てど、一斉の機体も赤坂の機体も監督機も戻ってこない。先に帰投した搭乗員たちに聞いても自分たちは撃墜の合図をされてすぐに戻ってきたから様子はわからないと言う。 いつのまにか灰色に染まった空の彼方から響く遠雷が七於の不安を募らせた。 それからしばらく後、守谷が「あっ!」と空を指差し叫んだ。小さな黒い点が雨雲と共にやってきて、七於は必死に空へと目を凝らした。小さな黒い点は徐々に大きくなり、三つの機体が一列に並びこちらを目指している。 「帰ってきたぞ!」と湧き上がる班員たちに着陸の準備をするよう声をかけた。 ブーン、というエンジンの音がだんだん近づいてくる。真っ先に滑走路へ着陸したのは赤坂の零戦だった。地面に突っ込むんじゃないかと思うような荒々しく乱暴な着陸だった。機体のどこかが軋む音がして、七於は眉をひそめた。駆け寄り降りるのを手伝おうとした整備員の手を払いのけ赤坂が地面に降り立ち飛行帽を滑走路に叩きつける。少し離れた場所へ監督機が着陸し、一斉の零戦も滑らかな動きで着陸した。監督機を下りた上官が、機体のそばでぶっきらぼうに立っていた赤坂へ怒鳴った。 「赤坂ァ!貴様、ここに来い!」 赤坂は今にも誰かをひっ捕まえて殴るのではないかというぐらい怒気に満ちていて、舌打ちでもするんじゃないかと七於はひやひやしたが、赤坂は「はい!」と憎々しげな声色を湛えながらも返事をして上官に駆け寄った。 一斉もまた整備員たちに手伝われ機体を下り、上官のもとへ駆けていった。 七於は班員たちに機体を整備場へ運ぶよう指示を出し、少し離れた位置に待機する。 顔を真っ赤にして何度か赤坂を殴りつけながら上官が怒鳴る内容を聞くに、どうやら赤坂は一斉により撃墜の合図を受けた後に実弾を撃ち込んだというではないか。 あの野郎……と七於は奥歯を噛みしめる。 「貴様もだぞ!犬鳴!なぜ赤坂に応じた!?」 上官は赤坂の隣にいる一斉へ矛先を向ける。 「は!赤坂の思いに応えるためであります!」 「はあ?!ふざけるな!てめえ俺を馬鹿にしてんのか!」 一斉の答えを聞き、上官の手前であることも忘れたのか赤坂が一斉の胸ぐらを掴み上げる。 「赤坂ァ!」 上官が赤坂の頬を殴りつける。 「はい!」 赤坂は一斉から手を離し、よろけた体勢を整えて上官へ敬礼をした。 「もういい!お前ら今から急降下爆撃だ!そこに並べ!」 はい!と二人揃って返事をしたがその目にはありありと嫌だという様子が浮かんでいた。 急降下爆撃とは海軍式の腕立て伏せのことである。手摺などに足を掛けその体勢のまま腕立て伏せをするのだが、ゆっくりと身体を下げ、また持ち上げる様が戦闘機の急降下爆撃の動きに似ていることからそう呼ばれるようになった。 これが酷くきつい腕立て伏せで、精神注入棒で尻を叩かれるのと同じくらい海軍の兵士たちに恐れられている罰だ。 一斉と赤坂は搭乗服の上着を脱ぎ、正絹の白マフラーを外した。シャツ一枚になり、午後の日が差す滑走路の傍らの空き地に連れて行かれる。 「はあ……」 嘆息した七於は一斉の服とマフラーを持ち、一瞬悩んでから赤坂の分も持ち上げた。 上官はお前はもういい、と手で七於を追い払ったので七於は整備場へ向かった。 一斉は何も悪いことはしていないが、赤坂に応じたことが悪ならば上官の罰からは逃がれられないだろう。しかし、搭乗を終え戻ってきたばかりの身体にこの仕打ちは酷だ。 うーん、と悩みながら歩いていると、「野竹整備長!」と声をかけられた。顔を上げると向かいに舟人がいる。 「ど、百目木一飛曹!失礼しました!」 抱えた服を持ちなおし敬礼しようとすると「いい、気にするな」と七於の手から赤坂の搭乗服を掴んだ。 「これ、赤坂のか。そうか、今日は犬鳴の戦闘演習だっけな。しかし、なぜ野竹整備長が搭乗服を?」 「は、実は……」 事の次第を伝えると舟人は眉をひそめた。 「それは……。赤坂ももう少し落ちつかないものだろうか……」 あの由良ですら複座に腰を据えたのに。と小さく呟き、舟人はため息をついた。 「適当なところで俺が呼びに行こう。これは俺が預かって渡しておくな」 と舟人は赤坂の搭乗服とマフラーを小脇に抱え、笑顔で七於の肩をポン、と叩いた。 「そっちは直接手渡してやれ」 七於の抱えた一斉の搭乗服とマフラーを見ながら舟人は言った。 「はい!」 良かった、赤坂には些か苦手意識があるから舟人が受け取ってくれたことにほっとして表情が緩んだ。 「うんうん、では俺はこれを宿舎に置いたあと上官を呼びに行くから……そうだな十五分後くらいに犬鳴を迎えに行ってやれ。赤坂は俺が連れ出しておくから」 赤坂も一斉も自分の隊の搭乗員ではないのに、舟人は驚くほど懐が広く面倒見が良い。 「ありがとうございます」 七於は舟人に頭を下げた。なんのこれしき、と言いながらひらひらと手を振り舟人は宿舎の方へ歩いていった。
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