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翌日、七於がいつものように整備場で機体の整備をしていると急遽司令部から呼び出しがあった。急ぎ向かうとそこには一斉と戦闘演習の監督機に乗っていた上官、そして霞ヶ城中将をはじめとする複数人の士官たちがいた。 霞ヶ城中将はかつての侯爵家の出身だが、中将足るそのカリスマ性は出自に由来するだけでなく本人の実力に寄るところが大きい。常に冷静沈着で、明晰な頭脳から生み出される様々な策謀にてこれまで多数の軍功を上げており、作戦や指揮の確実性もさる事ながら一軍人としての能力も高く、操縦員としての腕も相当なものだと言われている。 霞ヶ城中将の冷酷にすら映る程の比類なき鋭い美貌は、泥臭い軍隊の中でもその輝きを隠すことは出来ず、年若い新兵や一部の兵士から熱い羨望の眼差しを集めているという。 そんな普段お目にかかることのできないような霞ヶ城中将をはじめとした大物揃いの顔ぶれに七於は一瞬たじろいだ。 入室するなり部屋中の目が自分に向けられたことに気付き、七於は自分の声が緊張で僅かに上ずったこと感じる。 「失礼します!」 敬礼をして部屋に入りながら一斉をチラリ、と見ると真剣な表情で七於を見ていた。一体これから何を言われるのだろう、と特に心あたりらしい心あたりもないが、これほどまでの顔ぶれの前では七於の背中に冷や汗が浮かぶのも仕方ないことだ。 「よし、全員揃ったな」 霞ヶ城中将の声を皮切りに、七於と一斉がここに呼び出された理由が告げられた。 一斉は零戦の搭乗員として復帰すること、またその類稀な聴覚から索敵任務も担うこと、そして戦闘演習での優秀な成績を鑑みて邀撃飛行を主とすること。 一斉は冷静に、けれど意欲を滲ませ「はい!」と凛々しく返事をした。 「一時は目がどうなるかと思ったが、まさか耳が良くなるなんて聞いたことないな」 霞ヶ城中将が氷の相貌と呼ばれる美しく凛烈とした表情を崩すことなく言った。 「は、敵機は必ず自分が撃墜してみせます!」 ビシっと敬礼をして胸を張り答える一斉は眩しかった。内地にいる家族や国民を守るために、南は最前線のラバウル航空隊員であることに誇りを持った男の顔だった。 「うむ、頼りにしている。して、野竹整備兵長」 一斉の力強い言葉に満足そうに頷いた霞ヶ城中将が七於へ顔を向ける。 「はい!」 「貴様には犬鳴一飛の零戦の整備を任せる。専用機とするからそのつもりで整備をしろ。人手が必要ならばこれまで通り貴様のところの班員を使え」 「は、承知しました!」 思いがけぬ命令に七於は全身の血が湧き上がるような喜びを感じた。 「なんでも、貴様たちはだいぶ仲が良いようだな。単座機の搭乗員にペアはいないが、犬鳴、貴様のペアは野竹なのかもしれんな」 しっかりやれよ。とほんの僅かに口元を緩めた霞ヶ城中将の言葉に、七於は顔に熱が上るのを感じた。一斉もまた僅かに頬を染め「は、はい!」と返事をしている。 上官に下がってよいと告げられ、七於は一斉と共に司令室を後にした。 互いに何も言わず、けれど身体の内側に燃えるような思いが満ちて行っているのを、七於も一斉もそれぞれ感じ取っていた。 零戦の整備場へ向かいしばらく無言で並んで歩いていると、隣から「ペアかぁ……」と小さな呟きが聞こえてくる。 七於が向くと、ヒゲのないつるんと少年めいた一斉のその口元は、にやけるのを堪えるようにじわりと緩んでいた。 「……一斉」 名前を呼び手を引き、近くの木陰の下に連れて行く。手を離し一斉に向きあって七於は言った。 「俺は搭乗員ではないが、この先の人生も……いつまでもお前だけのペアでありたい」 もう隠すことなど出来なかった。だってこんなにも一斉の全てが好きなのだから。 湧き上がる感情は熱くて純粋で果てがない。言葉に出すと、それはもう紛れもなく事実で唯一無二の真実なのだと思い知らされて、今更ながら鼓動が痛い程に走り出す。 七於が真っ直ぐに想いを告げると、一斉はみるみるうちに破顔し「よっしゃあ!」と叫んで七於に飛びついてきた。 「おわっ……」 不意に預けられた体重と勢いに、七於はたたらを踏みながら背後にあった木に寄りかかった。 一斉は全身から喜びを迸らせ笑いながら七於の額に自分の額をそっと合わせた。 「……うん」 静かな一斉の声を聞きながら目を閉じたその瞼に走る傷痕と、黒く密集した睫毛を見つめる。たかが言葉かもしれないが、自分たちは「ペア」の言葉で結ばれたと七於は確かに感じた。 「好きだ、一斉……」 七於は呟くと一斉の唇に優しく口付けた。 「ん、ぁ」 小さく洩れる吐息すら愛おしくて七於は丁寧に口腔を貪った。好きだ、好きだ、好きだ。お前のことがこんなにも。 触れ合う一斉の唇からもまた、喜びと慈しみに満ちた好きという感情が伝わってくる。 好きだ、七於。お前だけが俺の一生のペアだ、と。 どちらからともなくそっと唇を離し、同時に綻んだように笑い合う。 俺たちは神鷲の島の皇軍で、そして一斉は世界に誇る零戦で空を駆け巡る荒鷲だ。 けれど、それ以上に俺とお前はただの人間で、そしてかけがえのないペアなのだ。愛おしい気持ちと誇らしさを胸に、二人は再び並んで整備場へ向かった。真上に輝く太陽の金色の光が祝福するかのように降り注ぐ美しい真昼だった。
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