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「奇襲だーッ!奇襲!!」 カンカンカンと焦燥を募らせるサイレンがけたたましく鳴り響き、方々の建物から搭乗員をはじめ、整備員ら地上要員が飛び出してくる。零戦の整備をしていた七於たちも慌ただしく機体の回りへ駆け寄った。 「空に飛ばせる機体を早く!飛べる奴から乗せていけ!」 七於は班員たちに指示を出した。奇襲時は飛ばせる戦闘機は全て空に上げる。地上だと空襲を受け機体が損壊したり、燃料に引火して被害が拡大するからだ。 班員たちが滑走路へ集まってきた搭乗員たちを次々と乗せ、零戦が銀色の光を翻しながら空へ飛び立っていく様子を目の端に捉えつつ、七於は一斉に割り当てられた零戦のもとへ走った。 「七於ッ!」 聞き慣れた声に振り向くと飛行帽を被りながら一斉がこちらへ駆けてくる。 「一斉!早く!」 と七於も叫び、機体のエンジンをかけた。ブブブ、と小さく唸りながらプロペラがゆっくりと回転し出す。転がるように駆け寄ってきた一斉を搭乗席に乗せると、七於は気が急いた様子で操縦桿を握ろうとしたその手を止める。 「ほら、忘れんなよ」 七於は胸ポケットから取り出した包帯を一斉の目元に素早く巻きつけた。 「すまん、ありがとうな」 生きて帰ってこい。という思いを込めて肩を軽く叩いて七於は素早く機体から降りる。 一斉はいつものように片手をサッと挙げ、零戦と共に空へ向かって行く。いつもなら機体が見えなくなるまで手を振り見送るが、今日は他の機体も今すぐに空へと送らなければならない。 遠く彼方ではあるが肉眼で認識できる場所に敵機の編隊がいる。蒼い空に浮かんだ汚れのようなそれを一睨みし、七於は踵を返して次の零戦へと向かい走った。 「撤収ーッ!」という上官の声に合わせて遠くの方で機銃に撃たれた大地が砂と灰を巻き上げたのを目にした七於は、上官と同じく声を張り上げながら班員たちへ撤収を呼びかけた。これ以上この場にいたら自分たちが危ないからだ。まだ整備場に数機残された機体に後ろ髪を引かれながら手早く工具を抱え、七於は班員たちと防空壕へ走った。 数分前まで七於たちのいた滑走路を敵のグラマンが掃射していく。壕の中に飛び込み班員たちの無事を確認して、七於は小さな蟻を散らしたような空を見やる。 海軍の零戦や紫電、雷電が軽々と空を舞い、グラマンの尻を追いかけている。放たれた機銃の小さな灯火が昼の空で星のようにいくつも瞬いた。 海軍機の追尾を逃れた敵機が数機高度を下げたと思うと同時に基地に向けて機銃を放つ。司令部の建物から煙が上がり、椰子の木は赤い炎を上げた。七於たちの隠れた防空壕の数メートル先の地面も機銃を浴びて土塊を撒き散らしながら穴を開けた。 その先にいる整備が間に合わなかった零戦はダダダダッという音と共に翼と風防を砕かれた。燃料を積んでいないのが幸いし火の手は出なかったが、エンジンや計器類がやられたらしばらくは使い物にならなくなる。 巻き上がる砂埃に目を細めながら、一斉が飛び立った碧空へと視線を向ける。一機、零戦がエンジンから火を噴き黒い煙を上げて墜落していった。 「くそっ、頑張れえーッ!!」 一人の班員がもどかしさで壕の中から叫んだ。それにつられて一人、また一人と空で戦う勇士たちへ熱い声援を送っていく。 「負けるなーッ!!」 「グラマンなんか落としてやれッ!!」 七於も拳を固く握り空に向かって吠えた。 「全機必ず帰還しろーッ!」 そうだそうだ、みんな無事帰って来ーい!と班員たちが後に続けて叫ぶ。戦闘機と戦う術を持たない自分たちは戦闘が始まるとこうして身を隠すことしかできない。張り上げた声が命をかけ敵機と対峙する仲間たちの力となって欲しいと、皆胸の内で思っているのだろうか。七於たちの思いを耳にした上官は一瞬顔を曇らせたが、そのまま聞いていないふりをしてくれた。 宿舎の屋根を打ちつける南国の通り雨のような激しい音が鳴り響く中、七於たちは声の限り空へ叫び続けた。 敵の奇襲はその後しばらくして止んだ。数機のグラマンが南の空へ逃げ帰る。それを追うように数機の海軍機が銀色の翼を空に煌めかせた。 上官の命令で地上要員たちは防空壕から出て、消火活動や負傷者の手当てを行っていく。着陸できる場所に目印を掲げて空で戦ってくれた機体たちが着陸できるように灼熱の大地を右から左へと駆けて回る。 七於たちの班もまた帰還した零戦を受け入れては搭乗員が降りるのを手伝った。中には敵機の攻撃を受け、機体と共に負傷している者もいる。 「一斉、どこだ……!」 次々と帰還する零戦の中に一斉の姿を探すが未だに見つからず、七於は焦燥に汗を流しながら奥歯を噛み締めた。 「戻ってきたぞーッ!」 と誰かが張り上げた声に空を見上げると、グラマンを追いかけて行った数機の海軍機がこちらに向かってきていた。 おーい、おーい、とその場にいた全員が作業帽を脱いで大きく振った。 遠く南の方からエンジンの唸る音が次第に大きくなってくる。七於は数人の班員を引き連れて着陸に備え滑走路の端へ待機した。 傷ついた機体や無事だった機体は灌木の間に引き込まれていき、数機の海軍機が空いた場所へ次々と着陸していく。 「ばらけて搭乗員を下ろしてやるんだ!」 七於は班員たちに指示を出した。はい!と声を揃え、彼らは各々機体の元へと走って行く。 鼓動が迅るのを抑えながら七於も一番近くの零戦へ駆け寄った。 敵の燃料か、はたまた機銃を受けた味方機の燃料だろうか。足掛けを登り黒く汚れた風防を開けると中にいたのは一斉ではなかった。けれどその搭乗員は機銃を受けたのか肩から血を流している。 「おい!大丈夫か!?」 七於は顔を顰めたまま動けない搭乗員へ呼びかけて、振り返り「衛生兵ーッ!!」と叫んだ。近くで別の機体から搭乗員を下ろそうとしていた守谷が七於に気付き、同じように衛生兵を叫び呼ぶ。 「今衛生兵が来るからな?あと少し頑張れ!出られそうか?」 七於は風防の中に上半身を突っ込むようにして搭乗員のベルトやハーネスを外した。こちらに駆けてくる足音の方を向くと、担架を抱えた衛生兵が二人駆け寄ってきた。 うち一人は見知った顔をしている。以前、七於のためにと湿布を一斉に分けてくれた岡崎という衛生兵だ。 「野竹!」 「こっちだ!早く!肩をやられている!」 七於は手を振り呼びかけると機体の上によじ登った。足掛けを岡崎へ譲り一緒に負傷した搭乗員を機体から下ろす。担架に乗せられた搭乗員が手早く運ばれて行くのを見てから七於は機体を守谷に任せて他の班員たちの様子を見に行った。すると「七於っ!」と自分を呼ぶ声が耳に飛び込んできた。この、聞き慣れた愛おしい声は……。 「一斉!」 名前を呼び辺りを見回すとこちらに駆け寄ってくる一斉の姿があった。良かった、生きてた。生きて帰ってきてくれた……!七於も一斉に駆け寄り、腕に飛び込んできた身体をしっかりと抱きしめた。 「良かった……おかえり、一斉」 身体を離しながら言うと、 「ああ、ただいま。七於」 と一斉は目を細めながら七於の顔を見つめた。その瞳は波が揺蕩うように光っていて、どこかが苦しいような切ない表情をしている。初めて見た一斉の表情に、七於は時を忘れたかのように見入ってしまう。 不意に「野竹整備長ー!」と呼ばれた声にハッとそちらを振り向いた瞬間に、一斉が初めて見せた表情は消えていた。 「一斉、すまん。また後で」 名残惜しさを隠しきれずそう言うと「構わん、行ってこい!」といつも通りの笑顔で一斉は七於の背を押した。 普段明るくて前向きで、どんなことがあっても諦めない一斉だ。そんな一斉の瞳の中に、絶望というどこまでも暗く深い闇が垣間見えたことが七於の心に不穏な影をもたらした。 後であの表情の理由を聞かねば。と思いながら七於は自分を呼んだ班員のもとへ駆けていく。
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