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犬鳴一斉という搭乗員に出会ってから数日後、七於たちの班が担当する零戦に彼の搭乗割が回ってきた。一斉の所属する六八隊の今日の零戦部隊の仕事は偵察を兼ねた哨戒飛行だ。 「あっ!おーい、野竹〜!」 機体の最終調整を終え、搭乗席から降りている自分を呼ぶ聞きなれない声に七於は辺りを見回した。 少し離れたところからブンブンと手を振る一斉の姿を見つけた七於は整備作業帽を脱いで会釈をした。そのまま別の機体へ向かおうとすると、「おーい!」とまた声をかけられる。 何か用があるのだろうか。一斉の方へ身体を向けると、彼はハーネスを付けて幾分か動きにくそうな様子でこちらへ小走りに向かってくる。 仕方なしに一斉の方へ足を運ぶと、七於の眼前で一斉がツン、と躓いた。 「おわっ!」 危ないと思った瞬間、無意識のうちに身体が動き、前のめりになった一斉を抱きとめた七於は、無意識のうちに止めていた息を吐き出すように嘆息した。 「す、すまん……」 気まずそうに謝る一斉へ 「このおっちょこちょいが」 と七於は軽く額を弾いた。 「うっ!」 弾かれた額を抑え一斉がこちらを見上げながら七於から離れようと身体を引くとなぜか七於は一斉の方に引き寄せられた。 「えっ、」 「わわっ……」 急に七於の体重がかかった一斉が後ろによろめく。重力に従って一斉へのしかかり倒れ込みそうになり、七於はとっさに身体を捻って体勢を逆転させた。一斉を庇うように抱きしめた次の瞬間、ドスンと背中から滑走路に倒れこむ。受け身を取るどころか一斉の体重も加わって打ちつけられた背中の衝撃で一瞬息が止まった。 「……ッ!……ってえ〜……」 派手に倒れこんだ二人の周りに整備員や近くにいた搭乗員が駆け寄ってくる。 「野竹さん!」 「大丈夫ですか!」 頭上から降ってくる声に「俺は大丈夫」と返事をして一斉をキツく抱きしめたままの腕をそっと緩める。 「おい、犬鳴一飛。大丈夫か?」 顔を覗きこみ訊ねると、至近距離で海のように揺らめく大きな目が七於を見つめ返した。 「だ、だいじょうぶ……」 顔を赤らめながらきまりが悪いのかもごもごと言う一斉が、ごめん。と謝りながら身体を起こそうとする。しかし、どうやら七於のベルトの金具に一斉のハーネスの一部が絡まったらしく、上手く離れることができない。 「わ〜、犬鳴なにやってんだよ〜!」 と同じ部隊の搭乗員が一斉に声をかけながら、絡まった場所に手を伸ばした。 「す、すまんって山口。野竹も本当すまん!」 腕を地面に付き上半身は七於から離しながら、一斉は紅潮した顔でこちらを見下ろし潤んだ目で謝った。 「い、いや。俺は大丈夫だが。……怪我してないか?」 誰かに押し倒されるという体勢をとったことがないせいか、一斉に見下ろし見つめられて七於は鼓動が早くなるのを感じた。 「お!解けたぞー!」 整備員と共に絡まりを解いていた山口と呼ばれた搭乗員が二人に言う。 弾かれるように一斉は七於の上から退き、七於へ手を伸ばし立ち上がるのを手伝った。 「いててて……」腰をさすりながら立ち上がった七於は腕時計をチラ、と見る。 「ほら、もう時間だ。要件は後で聞くからさっさと搭乗しろ」 山口はもう自分が乗る機体の方へ走っていた。一斉は何か言いたげな顔をしていたが、近くにあった空いてる零戦へと今度は転ばないように走りながら向かった。その後ろ姿を見ながら七於は「犬鳴!」と声をかけ呼び止める。 「なんだ?」 痛む背中と腰を庇いつつ小走りで一斉に近づいた七於はその肩に手を置く。そのままぽんぽん、と軽く叩きながら一斉の身体を上から触っていく。 「ちょっ、な、何してんだ……」 一斉は再び顔を赤くしながらギョッとしたように身体を後ろに引いた。 「よし、まあ、怪我はなさそうだな。……空で異変を感じたら無理せず戻って来いよ」 逃げ腰になっていた一斉の身体をやんわりと抑えながら、ふくらはぎまで確認した七於は「あたた……」と腰をさすり立ち上がる。 「怪我、俺のせいで……」 と言いかけた一斉をくるっと後ろ向きにし、尻をぱしん、と軽く叩いた。 「はい、これでおあいこ。それでもまだ気になるならとりあえず俺に星一つ持って帰って来い!……待ってるからさ」 そう言い今度こそ一斉を機体に乗せ、次々と空へ向かっていく零戦たちの後に続かせた。
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