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「野竹整備長ー!犬鳴、とかいう搭乗員が呼んでますよ」 あの後、一斉たちの部隊は無事に全機帰還した。七於は一斉の姿を目で探したが、見つけたと思ったら、既に班員の手伝いによって機体を下りていて、部隊長に呼ばれ滑走路から去るところだった。その後いつものように機体の整備には追われていた七於は宿舎に戻り一息ついたところを班員に呼ばれた。 「……どうした、犬鳴」 宿舎の外壁に凭れて空を見上げていた一斉に呼びかける。 「あっ、野竹。……その、今日はすまなかった……」 一斉は殊勝な様子で頭を下げ、手に持っていた包みの中から薄い布を取り出し七於へ差し出した。 「これ、湿布」 「えっ、なんで、どうやって……」 転んだくらいの打ち身で湿布など普通はもらえないはずだ。精神注入棒で激しく尻を叩かれても湿布も塗り薬ももらえない海軍だ。困惑しながら訊ねると、一斉は少し気まずそうな顔をして「もらった」とだけ言う。 「いや、もらったのはわかるが、そんなに簡単に貰えないだろう普通」 七於が怪訝な様子で言うと、一斉は観念したようにため息をついた。 「……俺のせいで怪我させたって言ったら衛生科の奴が煙草と交換してくれた」 「それなら最初からそう言えば……」 と言いかけた七於の声は「犬鳴ー!」という呼び声でかき消えた。 七於が振り向くと、衛生科の腕章をつけた同い年くらいの青年が一斉に向かって手をブンブンと振っている。 「げっ、」 と苦虫を噛み潰したような一斉の声で顔を見ると苦々しい表情と羞恥を堪えるような何ともいえない顔をしている。 「湿布間に合ったかー!?お前がとんでもなく慌ててるから衛生班でも話題になってたぞー!」 そんな一斉の様子に気付かないのか衛生科の青年が大声で続けたその言葉に七於は目を瞬かせた。ひょっとして、俺のために? 「ばっ、馬鹿野郎!そんなこと大声で言わなくていいっての!」 顔を赤くしながら怒鳴りかえした一斉を見て衛生科の青年はケラケラと笑いながら手を振り去って行った。 「……くそぉー、岡崎の奴……」 一斉は湿布を握りしめたまま、はあーと盛大なため息をつきしゃがみこんだ。 七於も目線を合わせるためしゃがもうとしたが、腰にピリッとした痛みが走ったので、膝に手をつき上体を屈める。 「あのー、犬鳴さん?」 膝の上で手を組み顔を伏せた一斉へ七於はそうっと呼びかけた。一斉は顔を上げなかったがその肩がぴくりと動く。 「……俺のために、そんなに慌てたのか……?」 口元が徐々に緩んでいくのを感じながら七於は問いかけた。少しの沈黙が続いて、一斉が「そうだよ!」と顔を上げてこちらを見上げる。赤みの差した頬と羞恥からか僅かに濡れた目に見上げられて七於はどくん、と鼓動が跳ねるのを感じた。 「俺のせいで怪我させたから!……その、お前に嫌われたら、やだし……。と、とにかくもっと酷いと思ったの!大丈夫そうならいいよ別に」 なんだか途中で可愛いことを言いながら一斉がふて腐れた様子でそっぽを向く。そんな様子も可愛くて、七於はくすっと小さく笑みをこぼして背中の痛みを堪えて湿布を握る一斉の腕を掴み引き上げた。 「なっ、んだよ……」 とぶつくされながらも一斉は立ち上がる。 「ありがとうな、犬鳴」 お前のその気持ち、すごく嬉しいよ。と七於は一斉へ笑顔を向け、頭をぽんぽん、と柔らかく撫でた。 一拍おいて火がついたように顔を赤く染めた一斉は「ほらこれ!」と照れ隠しのように七於の胸に湿布を押し付ける。それを受け取り「じゃあな」と去ろうとした一斉の手を七於は再び掴む。 「背中と腰に自分で貼るのは難儀だから、犬鳴が貼ってくれ」 そう言い受け取った湿布を一斉に渡し、背中をむけてシャツを脱いだ。 「なっ……しょうがないなー」 と一斉は言い痛む背中と腰に優しい手付きで湿布を貼る。 「……痛そうな色してら。野竹、ごめんな」 七於がシャツを着終えてから神妙な様で一斉が項垂れる。 「大丈夫だ。お前が湿布貼ってくれたからすぐ治る。……それより、名前でいい」 「えっ?」 「俺のこと、名前で呼べよ。俺も、一斉って呼びたいし」 僅かに頬に温度が集まるのを気付かないふりをして七於はそう言った。 「う、うん。わかった。……な、七於」 少し照れながら一斉が言うもんだから、七於も妙に意識してしまいながら「なんだ、一斉」と答える。 ふっ、空気の緩む気配があり次の瞬間、一斉が笑い出した。 「っはは、何緊張してんだか、お互い。……まあ、いいや。よろしくな、七於!」 七於もつられて笑いながら「ああ!」と元気良く返した。
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