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5
七於の中で一斉へ向ける想いが僅かに変わったあの日から、半月程経った頃。
いつもと変わらぬ整備をし、いつもと同じように一斉と会話して、彼の乗り込んだ零戦が基地の南へ消えたあと、なぜか胸騒ぎがしていた七於の嫌な予感が的中した。
「おい!見ろ!尾翼が壊れてるぞ!」
「不時着に気をつけろ!」
南国の真っ青な空にもくもくと黒い煙を撒き散らしながら一機の零戦が滑走路を目指している。整備員たちは土嚢の後ろに回り込み機体が着陸するのを待った。七於も胸に湧いた嫌な予感を拭えぬまま上空の機体に目を凝らす。風防が割れ赤く染まっているのが見えたあと、辛うじて残っている尾翼に書かれた機体番号を見て目を見開いた。
「ッ!……一斉ッ!」
あれは一斉の機だ。数時間前に、自分が機体の最終確認を行い、一斉を乗せた、零戦だ。
土嚢の陰から飛び出そうとした七於を周りにいた整備員たちが慌てて押さえつける。
「離せッ!一斉……一斉!」
「野竹さん!落ち着いてくださいッ!」
「機体が不時着するかもしれないんですよ!」
「クソッ、離せ、チクショウ!一斉ッ!」
駆け寄ったところでどうすることも出来ないのはわかっているが、それでもただ待つだけなんて出来るわけがなかった。
機体が徐々に高度を下げ滑走路に近づく。羽交い締めにされたまま、どうか無事に降りたってくれと歯を食いしばり見つめる。
零戦は激しく機体を震わせて、ラバウルの大地に薄く積もった灰を巻き上がらせながら着陸した。
「一斉ッ!」
押さえつけられた手を振りほどき、土嚢を乗り越えて機体へ駆け寄る。気が急いたのか万が一の事態が頭をよぎった恐れからか、縺れ転びそうになる足を叱咤し、煙を上げる零戦の足掛けを登る。
粉々に割れ赤く染まった風防の中で血に塗れ目を閉じた一斉を見て喉の奥がヒュっと音を立てた。呼吸が浅くなり、眼前の赤い景色に飲まれそうになる。頬に熱い雫がつたった時、
「衛生兵ーッ!早くこっちに来てくれーッ!」と後ろで同じ班の整備員が叫ぶ声で我に返った。
「っ、一斉!」
風防は後ろ半分が粉々に割れており、そこへ上半身を割り込ませるようにして、一斉のハーネスやベルトを外し、両脇を抱え座席から引き上げる。血に塗れた顔面にためらうことなく頬を寄せ呼吸を確かめる。僅かな風に小さく息を漏らして安堵した身体を叱りつけ、駆けつけた整備員たちと一緒に彼の身体を機体から引きずり出した。
くたり、と力無く脱力した一斉の身体は駆け寄った衛生兵によって担架に乗せられ、あっという間に医療舎へと運ばれていった。
血で染まった顔面が脳裏に焼き付いて離れない。頬に触れた弱々しい呼吸の風が今にも止まってしまうようで、溢れる涙を止められなかった。
「野竹さん!何やってるんですか、早く医療舎へ向かってください!」
整備員たちに言われハッと意識を赤から引き上げる。
「機体は俺たちが片付けます」
「あ……だが、この後にも戻ってくる機体が……」
「何言ってるんですか!こっちは大丈夫ですから。俺らも犬鳴一飛のことが心配です、だから整備長が行ってきてください!」
自分たちも一斉が気掛かりだと理由をくれた彼らに、すまん。と謝り涙を拭う。そして一斉の血のあとを辿るように医療舎へ走った。
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