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一斉と軍医によると、一斉の怪我は敵機の機銃を受け、割れた風防のガラスが目に入ったことによるものらしい。 派手に流血していたのは両の瞼をガラスの欠片で切ったことと、上空の気圧によるもので、奇跡的にその他の怪我はガラスで手を擦りむいたことぐらいで、命にかかわる大きなものはなく七於は一先ず胸を撫でおろしたのであった。 「もう目は痛くないんだけどさ、また俺ちゃんと空に行けんのかな」 一斉が医療舎に運びこまれてから一週間が経ったある日、見舞いにきた七於に一斉が言った。 「まだ包帯取ったら駄目だって言われて。血も膿も出なくなったんだけど、目を開けようとするなって軍医に言われてさあ。ラバウルの碧い海と空が恋しくなる日が来るなんて思ってもなかった」 笑いながら話す一斉の口元に司令部からの見舞い品であるパイン缶の中身を運んでやる。 唇に冷やされた蜜漬けの果実が触れると、「んあ」と彼は雛鳥のように口を開けた。 もぐもぐとパインを咀嚼し、ゴクリと飲み込んでから一斉が話を続ける。 「視力が回復するかはわからないらしくてさ。目見えなくなったら俺どうなるんだろ。地上要員かな。操縦以外のことはからきしだし……。でも畑ぐらいは耕せるよな」 「お前の目が見えなくなったら、俺が面倒見てやる」 だからこの戦争が終わっても俺と共にいてくれないか。という胸の内を隠して七於が言うと、一斉は 「うーん、それは嫌だな」 とさらりと言った。 「えっ!?なんで!?」 予想外すぎる返答に七於が衝撃を隠し切れずに問うと 「だって俺は帝国海軍軍人だぞ。大和男児たるもの自分の面倒が見きれなくなったら終わりだ。武士道に生きる身だ。潔く腹を切るべきだろ」 と何とも勇ましい答えが返ってきた。 「うーむ……」 想い人はどうやらとてつもなく男らしいようだ。 けれども「あ。」と口を開け、パインを催促する様はそんな武士道からは程遠く、やれやれと七於は肩を竦めつつもその口へパインを運んでやるのだった。 腹を切ると言うけれど。もし本当にそんなことになる日が来たら、例えどんなに嫌われたとしてもきっと自分は一斉を死なせはしないのだろう。 甘酸っぱい果実の香りがほんのりと香る穏やかな午後、心の奥に芽生えた執着を誓いと刻むように七於は固く拳を握りしめた。 「じゃあ俺そろそろ戻るから」 夕方になり機体の整備を控えた七於は寝台に座った一斉に言った。 「ああ、パイン缶ありがとうな」 目元は隠れているものの満面の笑みを浮かべた一斉は「七於」と小さく手招きをする。 「ん?どうした?」 寝台に近づいた七於の手を手探りで取った一斉はその手を自分の頬に当てた。 「一斉……?」 とくん、と走り出した鼓動が一斉の頬に触れる手のひらから彼に伝わってしまいそうな気がした。 「あのさ、お前は整備長で、整備しなきゃならん機体はたくさんあって、本当は俺のところになんか来てる暇ないだろって叱るべきなんだが……」 七於の手を頬に押し当てたまま一斉は僅かに俯いた。 「でも、俺……お前が見舞いに来てくれて嬉しい」 少し恥ずかしそうな声音がたいそう可愛らしく七於は生唾を飲み込んだ。 だからなぜ、そういう堪らなくなることを言うのだろうか。同じ男なら、相手がどれだけ情欲を抱くのかわからないのだろうか。 相手は怪我人だぞ、と自らを戒めて七於は一斉の頭を撫で耳元に口を寄せた。 「明日も来る」 そう答えるので精一杯だった。七於の唇が微かに触れた一斉の耳殻が赤らんだのを見て七於は気付く。一斉もまた必死の思いで、七於を引き止め甘えたのだということを。軍人としての心意気を大切にしてなお、彼は七於という男に心を許したのだ。湧き上がる愛おしさと暴力的なまでの欲に、七於は怪我が治ったら俺は我慢出来るのだろうかと人ごとのように考えながら病室を後にするのであった。
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