嵐の予感

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嵐の予感

「プラハの嵐とブラバの嵐はどう違うのだろう」 風速40mの超大型台風が吹き荒れる夏の夕方。ざぁざぁと窓ガラスが津波のような雨に洗われている。 強風波浪警報、大雨警報、暴風警報が出され公共交通機関も止まっている。 普段なら定時帰りの会社員で賑わうこの店も死んだように静まり返っている。 帰宅難民となった当店のマスターこと只野咲花(ただのさっか)は暇を持て余していた。 そしてあまりに退屈なあまり上記のようなしょうもない疑問を呟いたのだ。 迎えに来てくれる家族も彼氏もいない。常連客とはプライベートで交流しない主義の咲花だ。なのに、このやり場のない、そして出どころ不明の不思議な高揚感は何だろう。ニュースは台風の接近と被害を報道しているのに、どこかときめいてしまう。このワクワク感が不快だ。 だって人が傷ついて、大切な家族を失い、住む家も流されている。他人の不幸が嬉しいなんて最低だ。そんな自分に嫌悪を抱いた。 一人さみしく景色を眺めている。 「何でこんなバカな事いってるんだろう、わたし」 ブラバとはブラウザーバックの略だ。常連客達が良く話題にしている。 小説の投稿サイトであまりにつまらない作品に遭遇した時の動作をブラウザバックというそうだ。 文字通りウェブブラウザーのバックボタンをクリックして前画面に戻る。 つまり、閲覧を中断し、その作品を読まなかったことにする。 常連客達は投稿サイトの常連でもあるらしかった。 只野咲花は小説やコミックの類に興味がない。むしろK-POPやジャニタレの追っかけで忙しい。 音の出ない小説を読むぐらいだったら推しメンバーのMVを観てニヨニヨしていたい。 その時、どこかから声がした。「私はプラハの嵐だ」 いきなり女の声。咲花はお客さんだろうか、と玄関ドアを見やった。誰もいない。 気のせいかしら、と店内を見回すとカウンターに黒いスマホが置いてあった。お客さんの忘れ物だろうか。 それが「私はプラハの嵐だ」と言っている。「もしもし?」 咲花は通話ボタンを押した。 「はい、もしもし私、只野咲花です」 「今、どこ」 抜けるように透き通った女の声。歯切れよい。テレビ業界の人間だろうか。 「こちら神保町の喫茶ふらわぁです。お客様はスマホをお忘れではありませんか?」 咲花は発見した経緯と預かっている旨と相手の現在位置をたずねた。 「ここ。プラハの嵐でございます。私は…折り返しお電話いだけますか?」 「ちょっと待った、私に電話かけて来い、とおっしゃるのですか」 ずうずうしい落とし主だ。 「それもそうですね。じゃあ、はい」 「ご都合がよろしい時にご来店ください」 大雨警報が出ている。車で乗り付けるにしても危険だ。どのみち受け渡しは明後日になるだろう。 「ああ、はいはい、ごめんなさい、じゃあ、今からそっちに向かうので」 通話ボタンを押すより早く咲花は扉に隠れた。外に居る誰かに見つかる前に逃げ出したい。 生きた心地がしない。この日は玄関口に植木鉢を並べカウンターの裏で息をひそめるように過ごした。冷蔵庫の中身を空っぽにして身体はおしぼりで拭いた。 翌日は台風一過の後片付けという口実で臨時休業した。地デジが被害状況を伝えている。山手線は架線が切れたり土砂崩れで終日運休。アパートに帰る気がしない。 ボックス席で寝ているとカウンターのスマホが鳴った。 プラハの嵐とは最近の流行りの曲で、歌っているのは若い女性だ。 テレビで「私はプラハの嵐です♪」と笑うと、咲花の心臓がバクンと大きく跳ねる。 この女性こそが世界の救世主と言われている、咲花は感じた。 彼女はプラハの嵐。その名前を知らない者はもちろん、いない。あの曲が好きじゃない人もあまり聞いたことがない。 「あなた、そういえば…ああら、いやだ。あたしとしたことが」 咲花は昨日の非礼をわびた。赤丸急上昇中の女性シンガーがいつの間にかお忍びで常連客になっていたのだ。台風上陸でテンパってたせいですっかり失念していた。 プラハの嵐とブラバの嵐うんぬんは彼女の持ちネタだ。 「私は貴女の店を応援しますよ」 超有名人がカラコロ♪とカウベルを鳴らしに来た。 女性の笑顔が咲花の耳から離れていく。咲花と女性はつないだ手をぎゅっと握りまくる。 「ありがとう」 「いいえ」 咲花は顔が赤くなりつつも、心の中では笑っていた。 「今度はわたしがあなたをおもてなしする番ね」 プラハの嵐は咲花を事務所に招待してくれた。 「お迎えに上がりました。プラハの嵐は事務所で待機しております」 人形のように色白で無表情な黒髪美人がインプレッサで迎えに来た。 インドア系に見えてブリーチアウトのデニムミニスカート。健康なのかメンヘラなのかわからない。車は靖国通りをまっすぐ進み両国橋を渡って京葉道路に入る。 そして、ももんじやの裏で止まった。 咲花は女性の後をついて行く。いつもいつも人気のない道を選ぶ。 女性は咲花の後を見ながら黙ってついて来る。 人気のない雑居ビルの中腹、入口の鍵を閉める。 二階、三階の芸能事務所と四階の住居を合わせて四階建てのビル。この一階にはお店が一つしかなく、一階の受付を行っている女性は咲花の姿を見た後にその場を去った。 地下にお酒を出すラウンジがあるようで女性は階段を降りて行った。 お店の一階、事務所の一階に通された咲花はテーブルから顔を上げた。白く滑らかな指先。 「今日、お仕事ですか?」 いつもの女性。空気のように喫茶ふらわぁに咲いている。芸人でなく常連の顔だ。 咲花はそう思いつつ訪ねた。 「はい。仕事中ですけど、お話がしたいの」 彼女は脚本を閉じた。 「お話って」 急に振られて困る。呼び出したのはそっちのほうだろう。 「私は貴方の事が好きです」 お店の中、女性はカウンターに向かって椅子から立ち上がる。 咲花は席を離れ、後を追う。相手はすたすたと受付に行く。 「すいません」 咲花は背後から声をかけた。 「ん? 何かしら?」 ガサガサと女性は引き出しをまさぐっている。 「わたしはお話をしにきたのでは?」 呼び出しておきながら放置する。咲花は芸人という生き物がわからなくなった。 「咲花さんのこと、好きですよ」 「ええ、そうなの」 「うん……」 プラハの嵐は子供のように頬を紅潮させた。 「え、本当ですか?」 「本当よ」 「本当に、ですか」 「はい、本当です」 「本当?」 「はい、本当です」 「本当なら嬉しいわ。でも、なんで今なの?」 咲花はそろそろ帰りたくなった。お人形のように弄ばれるのは嫌だ。 「はい、私はそろそろ次の仕事が決まる予定なので、ちょっと遅くなってしまいました」 「え……あ、そう……」 近況を報告するために呼んだのか。 「はい。でも少しでも時間ができたので早めに来て下さっただけでも感謝です」 わけがわからない。芸能プロダクションなんて一般女性に縁のない場所に入れてくれただけでも良しとするか。 「ありがとうございます……」 そろそろ辞去しよう、と咲花は真剣に考える。 「まあ、もう時間だわね。それに仕事が忙しいのにわざわざ来てくれたのに、こんな事をして少し驚かせたようね」 「そ、そんな事はないですよ、プラハの嵐さん。それを言えば……」 スマホの礼をまだしてもらってない。 「私、誰かにお願いされたことないのよ」 「ああ、そうでしたね」 「ええ。だからあまり詳しく知らないの」 「そんな、どうしてですか?」 「私は人の好意に甘えるのが好きなの。私にはこれから私の為に頑張ってる彼女さん達がいるのよ。彼らにとっても私の為にこういう事をするのは当たり前じゃないわ」 「そんな……」 咲花は絶望した。デニムミニの女はコレクションの一人だったのか。 「私はそれが良いと思ってる。だからきっともっと上手くやれるよ」 「そう……ですか……」 「ええ。だから、これでも頑張りたいんだけど」 「あの……プラハの嵐さん、わたしそろそろ」 玄関に向かおうとして懇願する目線に咲花は絡めとられた。 「お話がある時って時間がないんだよね」 「はい……」 だから、さっさと要件を言え。 「そうよ。だからせめて貴女にはちゃんとお仕事を頑張ってほしいわ」 「す、すみません、あたし、本当に……」 「だから……うん」 プラハの嵐の白魚のような指が署名欄をツンツン叩いている。 芸能プロダクションの契約書、案内書、注意事項、そして番組の台本らしき書物。 咲花にとって青天の霹靂だった。 「はい……」 「ありがとう!」 「いえ……」 「ふふっ、でも、そう言う意味じゃないからね?」 「……」 どういう意味だろう。 「そういえば、貴女は何処に住んでるの?」 「え……」 「いや、それは流石に私のプライベートに踏み込むわけにはいかないから……」 と、その時。壁越しに怒鳴り声が聞こえてきた。 ものすごい剣幕で何やら言い争ってる。 「うるせぇよ」 「俺のプラバはブラバの嵐だ」 「お前のブラバはどうだ」 「俺のブラバはこうだ!」 「うるせぇよ、そのテンションはどうしたんだ?」 「うるせぇ!!プラハでテンション高いのもプラスじゃない!!」 「うるさいったら!」 「うるせぇんだよ!!」 「うるせぇっていってるだろ!」 「そう思われているの?」 「うるせぇっていってるだろ?!」 「今でもそう思ってる方」 「そのテンションもプラセボなんだろ!?」 「うるせぇわ!!」 「だから、うるせぇっていっってるから気をつけなさい」 「お前のプラバは悪いテンションだったのかよ!?」 「うるせぇっていってるだろが!!」 「だから、そんなんじゃなかったっていってるだろ!」 「うるせぇっていってるだろ!?」 「うるせぇっていってるだろ…………」 「うるさいったらあ!!」 「そう、うるせぇっていってるだろ!?」 「うるせぇっていってるだろ、プラバのテンションだったろ!」 「うるせぇっていってんだろ!?プラセボだろ!」 「そんなもん俺に気にすることねぇ!!」 「うるせぇっていってるだろが!!」 「あー、もううるせぇって!!!!」 「うるせぇっていってんだろ!!!わかったから!!わかったから!!!」 「うるせぇっていってんだろ!?プラセボだろ!?うるさいっていってるから言ってんだろうが!?」 「えー、うるさい、うるせぇっていっただろ!?うるせぇっていったからってうるせぇとは言えないだろ!?」 「うるせぇっていうならちゃんとうるせぇって言えよ!!」 「うるせぇっていってんだろうが!!」 「そんなにうるさかったら言えよ、言えって!!」 「うるせぇって言いたいけど、言えないだよ!!!!!!」 「お前のせいで言えないだろうが!!!!!!!」 「うるせぇっていったんだろうが!!!言いたいから口出ししてんだろ!!!!!」 「お前のせいじゃねぇ!!!!!俺のせいだ!!!!!!お前のせいだよ!!!!!」 「言いたいことがあるならもっとちゃんと言えばっ、言えばっ!!!!!」 「お前が余計なことも言うから余計なことが言う、もういい?」 咲花はじっとやりとりに聞きほれていた。 「あの人たちは何なんですか?」 プラハの嵐はポツンと一言。「人じゃないわ」 「えっ…」 咲花は首を傾げ少しばかり考え込む。そして思い出した。「ああ、物まねをする動物ですか? 鳥とか」 「ペットでもないわ。機械よ」 プラハの嵐は素っ気ない。「隣は機械室よ」 それはどういうことなのか、と言うまでもなく案内された。 扉を開けると真っ暗な応接室は誰もおらずLEDがほんのり2つ灯っていた。 「あ…KONOZAMA HELLO…」 咲花は拍子抜けした。常時接続型スピーカーがのべつ幕無しに喋っている。 対するはGyaaOHoo Kennel。ライバルの検索エンジン企業が売り出し中のスマートスピーカーだ。互いが罵りあっているのだ。 「電気代がもったいなくありません?」 咲花はプラハの嵐が理解できない。 「ああ、あれはね。ああやって相方を養殖してるの」 「よ、養殖?」 その言葉にプラハの嵐は目尻をきらめかせた。 「…そう。わたしね…末吉興業の第8世代なの。粗製乱造とか劣化コピーとか散々いわれた世代よ。わたしはピンで難波の舞台に立たなきゃいけなかった。同期はみんな辞めていった。わたしが干されずに済んだのはあの子たちのおかげよ」 彼女は耐え切れずシクシクとスカートを濡らしはじめた。 聞けば涙抜きには語れない世代だ。個人事務所を設立してやると甘い誘いに乗って架空債務を含め莫大な借金をこさえられた。彼女は懸命に営業して利子を払い続けたがそれも何度目かの不況で立ち行かなくなる。夜の商売を考えたこともあった。 しかし、彼女は芸で身を立てようと病死した母に誓った手前、爪に火を点すような暮らしをしてようやく売れないながらも仕事が軌道に乗り分割払いで完済に近づいている。それもこれも有形無形の支援があってこそだ。昔取った杵柄がある。末吉養成所時代に愛嬌をふりまいていたおかげだ。 「わたし、ね。絶対に後ろ暗い事だけはやるなって母に言われたの」 プラハの嵐の母親は人格者だった。まず元夫を責めなかった。養育費を滞らせたまま新しい女と心中した。それでも彼女は恨み節ひとつ言わなかった。 「母は言いました。貧すれば鈍する。それだけは絶対にするな。どんなに困っても正しい行いをして笑顔でいれば世間が救いの手を差し伸べてくれる。後ろ暗い事をすれば顔が曇る。そして怯えて暮らすようになるの。そうなったら疑心暗鬼に陥って誰も信じられなくなる。救世主すらね。それに最後はお天道様が見てるから」 その言いつけをしっかり守り、身体や仲間を売るような真似をせず、モヤシを啜って生きて来た。 「反社勢力の闇営業をしたり薬を売った子もいるわ。どうなったかニュースでご存じ?」 「ええ…少し…は」 余りに重たい話で咲花も覚えていない。興味すらわかなかった。闇の深い話は嫌いだ。 「それであの子たちを相方にしてしゃべくりを磨いてきたの。今はお歌の仕事が増えちゃって」 プラハの嵐は洗いざらいぶちまけたらしく仏のような顔に戻った。
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