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胡桃色の記憶【side:テオ】 本編3話読了後
【テオ】14〜16歳、覇王戦争から7〜8年後
北自治群出身。従軍制度に伴い15歳になる歳からの2年間、自衛兵団に在籍。
シーディの親友で、のちに妹のティナと恋愛関係になり結婚する。
15歳になる春、北自治群のきまりで自衛兵団に入団した。
同い歳の仲間たちのなかで、彼はとても浮いた存在だった。
それだけ見たら女と間違えられそうなきれいな貌のつくりと、同年代の少年にあって当たり前の、浮いたところはかけらもない落ち着きすぎた雰囲気と。ぴんと背を伸ばし、さらに身長が高いから余計目立った。
入団合宿のあと、従軍兵士の宿舎、渡された紙にかかれた室の前に行くとちょうど彼がその紙を手にして室の表札を見上げていた。
2年間の従軍のあとも志願して自衛兵団に所属するようになれば広い室が与えられるらしいけれど、数の多い従軍兵士の室は狭い、4人程度の相部屋だと聞いた。
彼がこちらに気がついてふり向く。
「もしかしてそこの部屋?」
にこりと笑って声をかけると、もどかしい、はにかんだ表情で頷いた。
「よろしくな。俺、テオ」
彼に向かって、真っ直ぐと手を差し出す。
「…うん。シーディだ」
握り返されたのはやけにつめたい手だった。
それから、二段の寝台がふたつ、の室に入ってからしばらく経った。
周りの室のざわめきも収まって、それでも室内にはふたりだけ。
「…来ないな、誰も」
「…うん」
話しかけてみるもどこか気のない返事を返される。
「…もしかして、さぁ」
柔らかそうな髪だなあとか、睫毛長いなあとか考えながら、その姿を眺めているのだけれど目も一向に合わない。
それにしても、誰も来ない。
「…俺たちだけかな?」
「……そんな気がする」
その瞬間、ぱちりと視線が合った。真っ直ぐこちらを見る、胡桃色。
「あー、…なんだ!ちょっと緊張したこの時間損した!もう揃ってたんじゃん…」
両手で口許を覆い、目を細めると、ふ、と噴き出すような声が聞こえた。
「愉快な奴…」
可笑しそうな、穏やかな笑顔がそこにあって、思わずまじまじと見てしまった。
夕食後、今日はもう訓練がないはずなのにシーディがなかなか室に戻らない。
今日で従軍2年目を迎えて、初めて逢った日のことを思い出して、そんな話に花を咲かせてみようかと思ったのに。
寝台の上に寝そべってぼうっとしていると、小さく扉を叩く音がした。
さすがまる1年同じ音を聞いている、すぐにシーディが戻ってきたのだと解った。
「おかえりー」
「…ん」
扉を開けて入ってきたシーディはわずかに笑ってみせて、何事もなかったかのように寝台に腰掛ける。
「…………」
視線に気づいて、シーディがわずかに眉を寄せる。
「…なに?」
「…………恋人でもできた?」
「…は?」
シーディの面が不機嫌に歪む。つくりが美人だから異様に怖い。
「いや、最近よく急にいなくなるだろ。しばらく帰ってこないし」
シーディがそのまま微動だにしないでいる。唖然としている、これは。
「いや別に、いいんだけどさ、だけどそうだったら話してくれても、…嫉妬?」
ふ、とシーディが噴き出して破顔する。つられて苦笑いする。
「悪い、なんでもない、…いないよ」
シーディが可笑しそうに笑うので、結局そのわけははぐらかされたままになった。
その8日後、さらに5日後、同じようにシーディはふらりといなくなってから、室に帰ってきた。
本人が云わないのだから、聞かないでおこうと思っていたその日。
さすがに見過ごすわけにはいかなかった。
「…おかえり。シーディ」
「うん」
何事もなかったかのように、寝台に腰掛けて、最近よく読んでいる読みかけの本を開こうとする。
その頬には盛大に擦り傷。
シーディが例えば転んで顔に擦り傷をつくるほど、鈍くないと解っている。寧ろ同い歳の兵士の中でも、一際抜きんでた存在なのだ。
「…なんだよ、それ」
珍しく怒気を含んだ声音に、シーディがびくりと緊張したのが解った。
「なんでもないっていってたけど…なんかされてるのか? 傷それだけ? 誰?」
「だからなんでもない…」
立ち上がって、向かいの寝台に近寄る。迷惑そうに顔を背けるシーディに苛立つ。1年間同室でいて、喧嘩なんてした憶えがないのにこの期に及んで、干渉されたくないような振る舞いに腹が立つ。
「なんだよ、俺にも云えないことなんだ」
腹が立ったら、やけに哀しくなってきた。踵を返そうとしたとき、シーディが顔をあげた。きつく眉を寄せて、胡桃色の瞳は決して視線を合わそうとはしない。
「テオは、知ってるんだろ。俺は孤児で団長に引き取られて、6歳のときに入団して、覇王戦争のときにも、攻防に加わった」
「……知ってたよ」
シーディ本人の口からは、それを聞いたことはなかった。けれど一際浮いた存在の彼のことは噂となって、耳に届いていた。どうやら噂は真実なのだと、知っていた。それでも親友と思うそれに変わりはなかったから、気にもしていない。けれどそれをいま口にする意味に、はっとなる。
「……もしかして」
彼がきつく噛み締めた唇が、噛み千切られてしまうのではないかと心配になった。ふと視線を落とした先、上衣(うわぎ)の裾からわずかに覗く手首に痣があるのをみつける。
「…団長か」
答えないことが、答えだった。
「俺は、団長が期待してくれるように、強くなりたい。団長に追いつきたい……だから、いいんだ、俺が、足りないだけなんだ」
屹然として云い張るシーディを、健気だと思った。
本当に彼は団長を、尊敬しているのだろう。
そのままじわりと問い詰めれば、彼は団長から直々に訓練を受けていることを明かした。もちろんそれは、特別、だ。けれど、その特別を誰もが知っているんだと云い訳じみた言葉で告げた。
「酷い」
思わず口をついて出たのは怒りの言葉だった。
「そんなのは、酷い」
親子、だから。だからってその特別扱いが、傷を負うほど厳しいもので。
「親子なんだろ。身内だからって乱暴に扱っていいわけじゃないよ」
親子、だから。大切にして欲しいと思うのは押しつけだろうか。
親子、だから。そう云って結論づけてしまう周りも、自分も、酷いのかも知れない。
「でも俺は、大丈夫だから」
シーディは、渇いた笑みを浮かべた。
「大丈夫、だから。…ありがとう」
なんだかそれにほだされて、拳を握り締めるのも、忘れてしまった。
あれからシーディはよく笑うようになった。
それまで笑えてないなんて思ってもみなかったけれど、笑うようになった。
けれどあれから、自分も周りの人間と同じように、結局は見てみぬふりをしてしまった、今更そんなふうに思う。
「なあ、シーディ」
「…ん」
寝台の上で、熱心に短剣の手入れをするシーディの姿を見遣る。その腕に、真新しい傷がまた増えていた。
「…ごめん、なんでもない」
「…そう」
シーディは気のない返事でこちらを見ない。今日はそれでもいいか、と思う。
『お前はこのまま、自衛兵団にいるのか』
そんなこと、訊いたって答えは解っている。
彼にはそれ以外の選択肢なんてないし、もしあったとしても、きっと選ばないだろう。
明日が従軍期間終了の日。そのまま従軍を希望するものを除いては、ここを去って元居た場所に帰っていく。今日が最後の夜。
「テオは、ここを出て行ったらどうするんだ」
驚いて、思わず俯いていた顔をシーディに向けた。その瞳は真剣に刃先を見たままで、空耳だったかと疑いそうになる。
思わずじっと見ているとおもむろに顔を上げたシーディの、真っ直ぐな胡桃色の視線とぶつかった。
「…さあ、でもうちの親父も役所勤めだからな、役所で偉そうな仕事でもしようかなあ」
「そっか」
穏やかな表情(かお)でそう頷いて、シーディはまた手許に視線を落とす。
もとから従軍は乗り気ではなかった。そのはずなのに、この時間が今日で失われるのだと思うとなんだか惜しくて堪らなくなった。
「……シーディ、俺、なんか泣きそう」
「はっ?」
驚いたらしいシーディが手を離して顔を上げた。怪訝な表情の後、笑う。
「本当だな」
「なんだよ、お前にからかわれる羽目になるなんて思ってもみなかったよ…」
きれいに笑うシーディを見ていたら本当に目頭が熱くなってきた。
可笑しそうだったシーディがやがて困った表情になる。
「テオ、家はこの近くの街なんだろ、すぐ逢える、だろ」
うんうんと頷く。それからシーディはおもむろに顔を逸らした。
「もう云わないからな」
そう前置きしてひと呼吸。
「ありがとう」
そう云ったあと、シーディが頬を拭って、お互いに笑いあった。
>>>胡桃色の記憶 side:シーディ
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