幸運の御守り

1/1
前へ
/40ページ
次へ

幸運の御守り

   もずくの佃煮。キュウリの漬物。なすのからし漬け。レタスの塩昆布和え。  とにかくご飯のお供が豪華な土曜日の朝。  それらは、もちろん真昼が作ったわけではなく、冷蔵庫に入っていたのだ。 『なかなおりのしるし』  とメモを添付して。  卵とズッキーニの炒め物をご飯に乗っけて掻き込んでいる兎と一緒に、真昼は食卓を囲んでいた。 「起きて大丈夫なのかい、後輩くん。」  秘密基地にある、丸い天板の木製テーブルに向かい合う。兎が満身創痍で秘密基地にやってきたのは、夢ではなかった。  とても一晩で治る怪我のように思えないが、兎はおとなしく寝込んでいる気はないらしい。 「問題ありません。大丈夫っす。」  という頼もしいお返事が返ってくる。  相変わらずの、ツンツン尖った短い黒髪に、鋭い瞳。制服は上着を脱いでいて、白いシャツの下から包帯が覗く。 「改めて聞くけど、後輩くんは何処から来て、どうやってこの秘密基地に入ったのかな?」 「ここより、ほんの少し先の未来から。椿先輩がくれた鍵を使ってここへ。向こうの俺らは結構、仲が良かったんですよ。」  丁寧に説明されて、塩昆布が美味い。  真昼は生活が全くお洒落じゃないので、朝食のBGMは冷蔵庫や換気扇の稼働音だけだ。 「過去に来た目的は、同窓会とかじゃないんだろうね。」 「具体的には言えないけど、未来ではとても良くない事が起こるっす。大切なものを失う事になる。それを止める為に来た。」  兎の目は真剣だ。口は忙しくモグモグしているが、目だけが真昼を捉えて離さない。  大袈裟に世界滅亡の危機だとか、宇宙人の襲来だとか言われたら、秒で未来を諦めそうだが。  兎が大怪我しながら生き残る程度の事態なら、改善に向け努力する方が現実的だろう。  事故か。事件か。手段はどうあれ、時を超える力を得て来た以上は、関わっているのは兎とかなり近い間柄の人間だと見える。  だとすれば、桜庭 優都もその候補者の一人だ。それなら真昼は、巻き込まれるより他にない。 「それで、僕にできることは? 具体的な説明が出来なくても、『助けて』くらいは言えるんだろう?」  今日は土曜日。学校は休みだ。  優都がこの場にいなくて、本当に良かった。こんな状態の兎を見たら、優都なら卒倒するだろう。 「助けてくださいっす。」  プライドもへったくれもない、気持ちのいい性格のお兄さん。稲早 兎。 「ご覧の通り、未来から来たと言っても、俺は高校生。そんなに先の未来から来たわけじゃない。」 「そうだな。つまり、Xデーは高校三年間のうちのどこか。何に気をつけておけばいい? どうすれば変えられる?」 「もう何度も試したけど、何処で何が起きるって具体的な説明すると契約違反になって、何も変えていない時間に強制的に戻されるっすよ。 だから当事者に具体的な説明ができないまま、同じ場面を何度も繰り返すけど、元の時間よりも悪い結果になるばかりで、…。」  その元の時間より悪い結果として、兎は焼けたり刺さったり、口の中を噛んだりで、散々な目に遇ったようだ。  その行程をどれほど重ねてきたのかわからないが、昨夜の朦朧とした様子では、もうだいぶ長い時間をかけていると読める。  始まりが何処かも、終わりが何処かも、何もわからないまま。 「…一つ疑問なんだが、その大切なものと出会う前まで戻って、そのまま出会わなければいいんじゃないのか。」  最も心無い回答で、最も的確な答案を打ち出した。真昼は冷たい人間ではないが、効率を重視したがる節がある。  その真昼の言葉に、茶碗を持ったまま、兎は困ったような笑い顔を見せた。 「あはは!ご名答。 それはもう、何度も考えたんですよ。俺一人が我慢して、他人になれば済む話。そうすれば、たとえ誰か失っても心を痛めることはない。」  説明しながら、兎の顔には少しずつ、影が落ちていく。しかし、不思議と暗い印象を持たせない。  その選択をしなかったことが、愛しさの証明だから。瞳にずっと迷いの無い一点の光を宿しているからだ。 「他人になるなんて、どうしても無理で…。守らせてください。傍に置いてくださいって、夜道で声をかけてしまう。そして、また時間を戻して…。その繰り返し。」 「兎…。」  そこまで想い遣ることのできる相手を、未来で喪った兎の悲しみを、この場の同情程度で窺い知ることは出来ない。  それでも真昼は祈るような思いを抱いた。確かに。  迷える仔兎に、どうか幸運を。 「キーワードは? 抽象的でも何でもいい。突破口をくれ。そうすれば、絶対に僕が守ってみせる。後輩くんの大切なものも。後輩くんの心も。」  だって、真昼の方が一つ先輩だからね。  こういう時、先輩してると大変だぜ。ふう。 「…キーワードは、遊園地。悪霊。霊媒体質。ザックリっすけど…。宜しく頼みます。」 「ちなみに、秘密基地の鍵を渡すほど親密になった未来の僕は、君だけにこんな大変な想いをさせて、何をしてるんだい?」 「寝てるっす。」 「起きてー!僕ー!」  真昼、叫ぶ。箸が握り潰されて内臓を吐き出しそうになりながら、必死で堪えている。 「あ、語弊。寝てると言っても居眠りしているわけじゃなくて。アンタも意識不明のままで。…誰も頼れないっす。」 「僕も巻き込まれるのか。普通に嫌だな。」  朝の星座占いで十二位だった気分だ。  兎はご飯をおかわりらしく、いつの間にか勝手に席を立っている。箸置きがないので、箸は口に咥えたままという行儀の悪さだ。  万が一にも喉に刺さるといけないので、絶対に真似しないで欲しい。 「でも久しぶりに桜庭先輩の、おばあちゃん家みたいな朝飯食って、元気出たっす。」 「優都のご飯美味しいよね? やっぱり未来でもそうなのか。」  真昼は座っているだけで好みの味がテーブルに並ぶのでご満悦だ。秘密基地には昨日の夜からいつの間にか炊飯器が登場したので、兎はそこからご飯を白い皿に盛り付ける。  和食器はまだ揃えていない。 「食べたら出て行くっす。こっちの俺に出会わない方が、何かと都合がいいので。」 「こっちのお前に鍵渡してないよ。君が持っているということは、時間の問題らしいけどな。」  真昼はちょっと変な気分だ。  未来の兎は真昼と随分、親しい様子で話しかけてくる。  昨日、出会ったばかりなのに。 「だけど桜庭先輩に会うのも面倒っすよ。混乱の舞いを踊り始める。これからは、こっちの椿先輩を頼ろうと思ったのに…。」  散歩の途中で置いていかれた犬みたいな顔をする。昨夜、出会ったばかりの頃の椿 真昼の元に現れた兎は、それなりに考えや覚悟があっての事のようだ。  絆を深めれば、喪う傷が大きい事を承知で、この時点の真昼を最後の頼りに選んだのだろう。 「大丈夫。後輩くんに御守りをあげよう。」 「え!? ホントっすか!?」  それだけ親しくなった仲なら、未来の兎は知っているのだろう。真昼に強い霊能力があることを。  それを裏付けるように、御守りという言葉に兎は諸手を上げて尻尾を振り回した。 「役立つものすか? なんすか? 御守りくださいっす!」 「はいはい。落ち着いて。ちょっと、こっち向いててね。」  兎の首をグキッとねじって、無理矢理に壁の方を向かせる。それから真昼は、床に置いていた鞄から、絆創膏を一枚取り出した。  それを兎の首に張り付ける。  正面から見ると、向かって左側だ。 「僕の力を込めた御守り。後輩くんの時間逆行もこれで終わりだ。」 「信じるっすよ。」  兎は絆創膏の上から手で首を押さえる。こんなやり取りが何度かあったのかもしれない。変えられない時の中に、何度か。 「信じていいよ。でも僕に惚れるなよ、後輩くん。」 「うーーーーん…。」  結構、長めの尺で思案された。 「え、…え、惚れそう?」 「いや、椿先輩に後輩くんって呼ばれるの、変な感じだなぁーって。ウサギって呼べばいいのに。」 「紛らわしいなぁ。危なく一瞬、後輩を攻略してしまったかと思ったわ。」 「危ない人っすねぇ…。」
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加