未来の策略

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未来の策略

 青い空に、雲一つ無い。  快晴だ。  身につけているのは着慣れた学生服。焼けてしまった上着は諦め、鎧のように体を包む包帯の上から、白いシャツ一枚だけ着込んでいる。  手持ちには携帯も財布もない。残しておいたのは真昼から譲り受けた鍵と札、そして電子学生証だけだ。  過去へ渡る代償として支払った多くの私物。手持ちの学生鞄や教科書を始め、果ては人との絆や自分の存在すら失ってしまった。  兎はそれらの供物と引き換えに、時を操る時計を手に入れたのだ。 (鍵と札は戦う武器。学生証は自分で自分を見失わない為。結局、それ以外は何も残せなかったな。)  後悔しているわけではなく、自分の手に残っているものを確認することが癖になってしまった。  この時間よりほんの少し先の未来から来た兎。目の前に建つ家の勝手口から侵入する。  口の中が乾いているなぁと思いながら、まずは室内を見回す。ここはキッチン。兎の家にあった台所に比べると、かなり広い。 (最後まで壊れずに信じ続けたい。椿先輩、力をください。)  コンロやシンク、作業台だけが残され、足下のフローリングも綺麗に張り替えられている。床下収納の扉を越えて、対面カウンターの向こうが、広い食堂。  机や椅子が置かれていないため、縦に長い開けたスペースになっている。  まるで礼拝堂のような厳かな午後の空気。  そこに、二人の人影が見えた。  一人は拐われた瑞埜 澄音だ。左手に見える出窓のある壁に、寄りかかるようにして座り込んでいる。  もう一人は若い男で、黒いスーツに身を包んでいた。開けた空間で向かい合っている二人。いや、男の方は瑞埜を見下ろす形で佇んでいる。 「君が『ユウト』であってるのかな? とりあえず、一番可愛い子を選んだんだけど。」  そんな会話が聴こえてくる。  兎は素早く身を低くすると、カウンターの影に隠れた。そこにいる者の正体を、兎はすでに知っている。 「…貴方も叶えたい願いがあるのですか?」  そして、瑞埜が問い返す声。  その声が震えている。拐われて来た瑞埜は、正気を取り戻しているようだ。  そして、自分の置かれている状況に、恐怖に陥っているのだろう。気がつくと見知らぬ部屋にいて、見知らぬ男に見下ろされている恐怖。  しかし、ここまでは兎にとっては何度も見返したビデオテープと同じもの。繰り返し何度か見た光景なので、瑞埜を憐れむ気持ちも、助けなければと湧き上がるような情熱もない。  冷静なものだ。 (この日、桜庭先輩と仲良くなりたかった俺は、迷ちゃんと組んで桜庭先輩を肝試しに連れ出した。霊媒体質について白状させようと思って。  だけど、軽い気持ちで乗り込んだ心霊スポットには質の悪い悪霊がいて、桜庭先輩を探していて…。  その先輩の代わりに最初に襲われたのが、同行していた女子生徒、瑞埜 澄音。)  そこまでは、兎も知っている過去の出来事。  それは現在も変更が加わることなく、着実にその時間の針を進めている。 「願い? どうして?」  ふわふわとした癖毛の黒髪に、穏やかな表情。特徴的な垂れ目が、優しそうな印象を与える男性。  しかし、その体から発せられているのは、なんとも異様な存在感だ。そもそも、今は使われていないはずの空き家に、人がいることなど有り得ない。  電気は当然、通っていない室内。大きな窓は雨戸を閉ざしているため、明かりが入るのは出窓だけ。光は惜しみ無く瑞埜の体に降り注ぎ、男の方へは一筋も当たらない。 「…桜庭優都は神様だから。…わ、私も叶えて欲しい願いがあるのです。桜庭優都は、私じゃありません。」  目の前にいる謎の男を、瑞埜の見開かれた目が見上げている。緊張のせいか早口になる口調、逃げようにも扉は男の背後にある。  肩を壁につけ、膝をたてて座り込んでいる瑞埜。その瑞埜を見下ろす男、少し離れたキッチンのカウンターの裏に隠れている兎。  兎はまるで戦場に身を置く兵士のように、手の中の札を構え直すと、静かに息を吐いた。  重い溜め息と言うよりは、スポーツの前に意識を集中させるルーティンのようなものだ。 「へぇ。『ユウト』って、神様なのか。だから真昼があんなに欲しがっていたんだね。今やっと、少しわかったような気がするよ。」  まるで普通の人間のように話すのに、その謎の男には影が無い。瑞埜も足下を見て、ようやくその事に気がついたようだ。 「ひうっ」  というシャックリみたいな変な息の吸い方をして、全身をガクガクッと揺らしたかと思うと、パッタリ動かなくなった。  天敵に睨まれた動物のような動きだ。命の危機を、感じている。 「桜庭優都を探しているなら、なんでも教えます。だから私を…た、助けてください。」  目の前で震える少女を見て、男は表情一つ変えることはない。慰めることも励ますこともなく、ただ穏やかな表情のままだ。 「…たすけてよ。…なんなの。」  普通の人間ではないということに、瑞埜も気がついている。自分が置かれている状況が特異なものであることも、目の前にいる男に何をされてもおかしくないことも。  それだけで、体中に絶望が染み渡っていく。泣きそうになる。のを、堪えている。  そして、その先の展開を阻止する為に、兎は立ち上がった。 「そこまでっすよ、亡霊さん。」  未来を動かす為に、過去を手中にする。  その為に時間を旅する兎の、繰り返す日常の中にある戦い。  この戦いに名前は無い。そして、この時間に加えられた変更が導く結果も、ここにはない。  それはもっと先の、未来にある。 「正確には呪術によって叩き起こされた椿 朔夜の魂。そう言った方が解り易いっすか?」  突然、室内に現れた三人目の人物に、驚く様子を見せたのは瑞埜だけだ。  何か言おうと口を開き、そのまま固まっている。兎の名前を呼ぼうとしたのかもしれない。  その横で男の方は冷静だ。 「おや、新しいお客さんだ。どうして僕のことを知っているんだろう。」  だろう。の語尾が疑問形になっていないところにご注目頂きたい。問いかけたけれども、その答えに興味は無いよといった様子だ。 「なんでって、未来から来たからっすよ。ホントはこの家に棲む霊の正体がわかるのは、もーっと後なんすけど。」  未来から来たので展開を先取りしちゃう兎。ラスボスを、早い内に片付けてしまおう。という作戦です。  それはそれとして、兎は今、椿 朔夜という名前を口にした。何を隠そう、椿 真昼のお兄ちゃんだ。 「鬼灯家の人間の策略によって呼び起こされた椿 朔夜の魂は、持ち前の強い霊能力で霊体でありながら鬼灯家の支配を解き、この街にやってきた。」  という的確な兎の指摘に、 「本当に未来から来たんだね。」  ようやく男の穏やかな笑みが、少し驚いたような笑い顔に変わる。 「いつか椿先輩の前に立ち塞がる敵になるなら、早い内に片付けておいて損はないっす。椿先輩には、俺を助けることに集中して欲しいんで。」  というわけで、ラスボスを第一話で倒して、さっさと学園ラブコメに集中したいと思います。  言うが早いか札を構えて、兎は優都や真昼がするのと同じような言葉を唱えた。 「全ての星の御使いは、愛に仇なす者を封じ賜え。」  指先から放たれた札が真っ直ぐ飛んで、兎曰く椿 朔夜の亡霊の、真上の天井に突き刺さる。  するとその札の中からモコモコと泡のように膨らみ溢れてきたのは、お星さまだった。  ポップでキュートなお星さま型のグミ。カラフルなパステルカラーで、黄色、黄緑、水色、ピンク、紫と豊富な品揃え。質感は弾力ぷゆぷゆで、床に落ちるとバウンドするほど軽い。  ので、攻撃力は一見して皆無なのだが、際限なく札の中から、そこそこ早いペースで、直径八十センチくらいの大きさの星が、どんどん出てくる。  すぐに部屋を埋め尽くしそうだ。 「その星には霊を封じる力があるから、ジッとしてると閉じ込められちゃうっすよ!」  という説明を、兎が得意気に言い放つ。  霊を斬り伏せる星の剣。それを振るう椿 真昼。  霊を解放する星の祈り。それを唱える桜庭 優都。  その二人の後輩、稲早 兎が使うのは、霊を封じ込める星の籠だ。  ピカピカ! 星組トリオなのです。 「なに…。 なんなのっ…。」  この大量の星のグミのバーゲンセールに愕然としているのは、どちらかと言えば瑞埜の方だ。  金髪を振り乱し、もはや自分が綺麗なドレスに身を包んでいることも忘れ去っている。  パステルカラーのお星さまが部屋の床を埋める数秒の間、頭を庇って壁に背をつけていた。  やがて、腰までむちむちグミに埋まった朔夜の亡霊は、おもむろに手を動かす。 「…やっぱり、僕は未来に見放されてしまうのか。」  それが本当に無念でならない。
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