後輩の誘い

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後輩の誘い

   当たり前の日常と、 日々を共に生きる仲間に 胸いっぱいの感謝を込めて。  放課後の静かな教室で、二人の男子生徒が話しこんでいる。  時刻は夕刻、五時をまわったところ。窓の外はまだ明るい。 「ねぇ、桜庭先輩。お願いしますよ。こんなに後輩が頭下げてんすから。」  と言っておきながら、手を合わせるだけで頭を下げる気配はない後輩。稲早 兎。 「嫌だよ、肝試しなんて。子供のすることだぜ。」  そんな礼儀知らずな後輩の頼みを、バッサリ切り捨てる先輩、桜庭 優都。  兎と同じ深緑のブレザー制服だが、学年が一つ上なので、ネクタイの色が違う。一年生は青で、二年生は赤だ。  四月下旬、この春いよいよ高校二年生になった優都は、持ち前の人見知りで未だにクラスに友達が出来ないままでいた。  近寄って来るのは、一学年下の風変わりな後輩だけだ。  こんな明るい性格の後輩に、いつ自分のような人間が目をつけられたのか、全く記憶にない。 「でも今度、『高校一年目を一緒に過ごす仲間として絆を深めよう!』ってことで、仲良くなった女子と肝試しに行くことになったんすよ。」 「なんだよ、その遠回しな女漁りは…。」 「直訳するとクラスの女子を漁る行為っす。まぁ、親睦会みたいなもんっすよ。」 「じゃあ、クラスの他の男子誘って行けばいいだろ。」  あまり話題に関心を持てず、机に肘をついた冷めた返答。こういうところも、優都に人が近寄らない原因になっていると言える。  とは言え、優都がこの誘いに気乗りしない要因は、また別のところにあるのだが。 「甘いッスね、先輩。」  チッチッと音を出しながら指を振り、兎は優都を嗜める。 「ここで普通にクラスメイトを誘っているようでは、高校デビューは飾れないんすよ、今時。」 「そうなんだ…。」  今時の人間じゃないから知らなかった…、と心の中だけで呟く。この心の声が多いのも、優都の社交性の低さの一因である。 「いいすか!? 高校デビューは戦争なんすよ! 小中は同じ学区のやつが集まりがちっすけど、高校来たら知ってるやつ少ないからイメージ一新しやすいんすよ。だから高校からのデビューに賭けてるやつは死ぬほど多いんす。」  ここまで来ると後半は何を言っているのかわからない。やっぱり今時の子じゃないんだな、俺って。  なんて考えてしまう老けた高校二年生、桜庭 優都。死ぬほど多いってなんだよ。人数多いと一部は蹴落とされて死ぬのかよ。  なるほど、だから戦争か。上手い例えだ。 「だからって、なんで俺なんだよ。」 「だから、ここで既に上級生に知り合いがいるとか、ちょっとカッコいいじゃないすか。女子って結局、ちょっと悪いやつが好きなんすよね。」 「上級生と仲いいだけで悪者にすんなよ。俺が悪い上級生みたいじゃん。クスリとか売ってる人みたいじゃん。」 「悪くても良くてもどーでもいんすよ。そんなこたぁ。上級生ってデカくて怖いから、悪くなくても怖く見えるっす。」  兎は上級生が怖いのだろうか。  その中で自分はどう思われているのか、気になるところではある。 「それに、俺は高校一年目を一緒に過ごす仲間として、先輩とも仲良くなりたいんすよ。以上っす。」  そういう大事な事を、ちゃんと言葉にして伝える人間、稲早 兎。ツンツン立った短い黒髪の下、鋭い瞳が真っ直ぐ優都を見つめている。  心臓を射抜くような目だ。 「こういうことを言われると、邪険にできない。」  冷静に考えても好印象だったので、優都は真顔で返す。  そこで兎のスマホに着信があり、部活の勧誘なのか呼び出されたらしき会話がある。 「わーた、わーた、すぐ行くって。…それじゃあ先輩、詳しい日時はまた後日っす。てことで、ROUTEの友達追加するんでQRコード画面くださいっす。」  ROUTEは早くて便利なメッセンジャーアプリだ。学生に配られた電子学生証に最初から入っているというだけで、優都は開いたことすらない。 「いいよ、使い方わかんないし。」  今や小学生でも使えるアプリも、優都にとっては無用の長物。会話の足しにすらならない。 「普通に使うから面白くねんすよ。じゃあ、先輩の学生証出して。」  言われて、優都はシャツの胸ポケットから学生証を取り出す。スライドとパターン入力で解錠。ROUTEアプリを呼び出すくらいまではできる。 「あとは俺のコードをスキャンで読み取りして友達追加っす。まぁ、ほとんどの子はもらった日に『全員友達登録しま~す』とか宣言して、全員追加してるっすけど。」  言いながら、兎も自分の学生証を操作して、コード画面を優都へ差し出す。 「それで? 普通に使っているようにしか見えないけど?」 「まぁ、今はこれだけで。面白いのは、また肝試しの当日に。んじゃっす!」  優都のアプリが自分の連絡先を登録したのを確認してから、机に投げ出していたスクールバッグを手に取り、兎は脱兎のごとく立ち去っていく。 「また連絡するっす~!」  という声が、廊下を走る足音と共に遠ざかっていった。  その声と足音が聴こえなくなってから、優都は自分の席の机に突っ伏す。 「……はあぁ~。」  絶大な疲労感だ。  人と会話するということは、ごく当たり前に生活の中に発生するものであり、大変に気を遣うものでもある。  他人との距離感がよく掴めない優都にとっては、尚更。 「早く帰ろ…。もう疲れた…。」 ★★★  桜はあっという間に散ったので、並木は青い葉が茂るばかりだ。  優都は一人、帰宅路をトボトボと歩いていた。明るい茶髪に木漏れ日が降り注ぐ。  迷路のような住宅街。周囲の民家に明かりはない。  ガラクタのような標識。路上に引かれた白線が、不自然に歪んでいる。  ガードレールの内側を歩く優都の後ろを、黒い影だけがついて来ていた。 「また、なんかついてくる…。」  肩にかけた鞄のベルトを握りしめ、優都は足を止めた。  そうすると、後ろの影も足を止める。  それはもちろん優都の影かと言われると、優都の足先から生えている影はちゃんと別にあるのだ。  桜庭優都のコンプレックスは、『霊媒体質』。  幼い頃から、人には見えない何かに怯えながら生きてきた。後輩の誘いに気が乗らない理由はそれだ。  ただ、その体質が直接的に優都の人見知りの要因というわけではない。 (こういう風に、見えない何かに付き纏われるたびに思い返す。あの狭い部屋…。)  黒い影に姿はなく、足音もない。ただコンクリートの白い壁に、優都とは別の誰かの影がハッキリと見える。そしてそれは、歩き出すとまた一緒になってついて来る。  女性とも男性ともつかないが、背丈を見る限り大人のようだ。 (あれが怖い、それが怖い、って泣き叫んで…。俺の言葉が周りの子供たちにも影響を与え始めると、叱られて倉庫に閉じ込められたっけ…。)  それは優都自身を、『見えない何か』から守ろうとする行為であったのかもしれない。  或いは、周囲の大人の視線から、優都を守る行為であった可能性もある。  そんな風に、考えようとした時期もあった。前向きに捉えようと。  だから自分自身、怖くても口に出さないようにしようと、『ちゃんと』しようと意識する努力もした。  それが極端にストレスになり、優都は人と接することに苦手意識を持つようになったのだ。  どこまで自分の思っていることを伝えていいのか、どこまで人の優しさを信用するのか、自然な人との距離がわからなくなっている。 「あのさ、悪さとかしないよね…?」  勇気を出して振り返り、優都は黒い影に話しかけた。  そこに人の姿はない。通りを歩く人もなく、優都の視界には誰も映っていない。  しかし、壁に映った影は、振り返った優都に合わせるように、また動きを止めた。  カーブミラーに映る青白い顔が苦悶に歪む。 「ねぇ、俺は何もしてあげられないけど、大切な言葉を一つだけ貴方にあげる。」  思い返すと辛くなる。そんな過去を抱える優都だが、その過去の中には希望もある。 『見えない何か』に優都が怯える時、そこにはいつもある人物がいて、優都を助けてくれていた。  近所に住んでいた、子供の頃の友達。霊感の強い子で、優都の体に憑いた霊をよく追い出してくれていた。  その子の真似をして、記憶に残る言葉を唱えることで、優都も霊を祓う能力を身につけたのだ。  霊能力。  それが桜庭優都の切り札だ。 (あの頃、アイツがしてくれてたみたいに、優しく声をかければ、大抵の霊は俺についてくるのを止める。)  これまでに何度か成功していることなので、優都はゆっくり深呼吸して、意を決して顔を上げた。 「星々の全ての御使いは、我が声に答えよ。」  それは祈りの言葉。  死者の冥福を望む祈りだ。 「愛する方は傷を負われて、羊のごとく迷いて。」  詠唱する優都の足下から立ち上る淡い光。薄青いその光が、蛍のように飛び交い、やがて優都の全身を包んだ。  ちなみに、詠唱する際に目を閉じる癖のある優都は、自分でこういう光を見たことはありません。 「星々はその枷を壊し、月に歌を寄せ、愛する者の安らぎを祈り賜え。」  記憶に残る過去の中で、最も優しく、美しい言葉。優都の好きな詩だ。 『……。』  相手は口も目も鼻もないシルエットなので、優都の言葉に何か言い返してくることはない。  ただ祈りの言葉を唱えて目を開けた時、そこに黒い影はいなくなっているのだ。  どうして霊とは影なのか、姿をハッキリ捉えることができないのか、それは優都にもわからない。 (いつも通りこれで凌いで、早く家に帰ろう。)  高校生になってから優都は独り暮らしを始めたので、帰宅わくわくなのだ。  兎の言っていた高校デビューという言葉、わからなくはないと優都は思い始めていた。  高校生になったら何か変わるはず。そこから何か新しく始まるはず。そういった期待なら、優都も余るほど持ち合わせている。  僅かながらも未来への期待や希望を持つ人間は、絶望に打ちのめされても命を諦めたりしない。 (そう、アイツにまた会えたらきっと…。何か始まるはず…。)  そんな優都の期待に膨らんだ胸の内を裏切るように、目を開けると、目の前に男の顔が迫っていた。
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