星の御使い

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星の御使い

 真昼が優都の部屋を訪ねて来たのは、その日の夜の事だった。七時頃になって、インターホンで目を覚ます。  鞄を置いてすぐ寝てしまっていた優都は、部屋の明かりすら点けていなかったようだ。すっかり陽の沈んでしまったこの時間帯、部屋の中が真っ暗になっている。 (真昼…?)  用事が済んだら部屋に来いと、自分が言った事を思い出す。  眠い目を擦りながら玄関の扉を開けると、そこにはやはり、私服に着替えた真昼の姿があった。 「優都、起きてる?」  開口一番、それだ。七分丈の黒いインナーに、紺色のロングベストを羽織っている。 「起きてたよ。」  口の端から涎を垂らしながら、仏頂面で優都は答えた。現実逃避なのか、優都はストレス負荷がかかると眠くなる体質だ。  人と話す機会が多いだけでも、疲れて寝てしまう。 「よく来たな。昔もよくこうやって、家に遊びに来たりしていたよな。」 「うん。そんなこともあった。…優都に見せたいものがあるんだ。外に行かない?」  遅い時間に家を出るのは、子供の頃以来だ。その頃はいつも誰かに守られていた。  それを自ら手放して、いつから一人になったのか、いつから夜を知らないのか、自分でも覚えていない。  優都のお城は安いアパートで、二階の角部屋だ。今にも外れて落ちそうな外階段を下りて、建物の正面に立つ。  目の前には整備された二車線道路。近くには百貨店があり、駅は遠いが学校は近い。 「…引っ越しの時、見送りに行けなくてごめんな。あの時は、外に出られなくて。」  外は少し肌寒い。風があるようだ。  真昼は夜空を見上げていたが、優都の言葉に視線が戻ってくる。 「優都を守ろうとしていたんだよ。自分に視えないものに対抗する方法なんてわからなくて当然だし、優都を傷つけたくなかったんじゃないかな。」 「俺もそう思うようにしてる。恐怖もあったし、不満もあるけど。」 「ちゃんと理解しようとしているならそれでいい。どう感じるかまではこっちの自由だよ。」  真昼に言われた言葉が、優都の心にスッポリはまる。  寝起きだからなのか、夢うつつで、言われた事を深く考えず素直に受け取る。それが功を奏したのか、優都のモヤモヤしていたコンプレックスの穴に、真昼の言葉は丁度よくはまった。 (いつでも、丁度いい言葉をくれる。やっぱり真昼じゃなきゃダメだ。)  心の中だけで感心していると、真昼はさらに言葉を続けた。 「それに僕はその事があったから、引っ越した先でも、霊能力の修行とか頑張れたんだよ。優都を守れるようになるならって。」  なんかサラサラッと驚くような事を言われて、飲み込めなかった言葉は横に逃げて行ってしまう。  ので、聞き返した。 「霊能力の修行?」 「これって優都の不幸を僕が糧にしているみたいで、感じ悪いかな?」 「え?」  質問に質問で返されてしまって、優都の頭の上にはクエスチョンマークが散乱する。  お互い喋るタイミングが悪くて、ここで妙な間が空いた。  同時に吹き出す。 「え、ごめん、なに?」  優都が笑って聞き返して、 「ううん。ごめん。見せた方が早いね。」  真昼も笑いながら答えた。  その真昼の背景には、高さのちぐはぐな民家のシルエットがあり、鉄塔もあれば電線もある。  それらの景色の中に浮き出てくるようにして、巨大な白い骸骨が現れた。  肋骨の一本一本の間に家が一軒入るほどの大きさで、肋から首に繋がり髑髏もある。  顔が見えるように前傾姿勢になってくれているようで、今にも街を胸骨で押し潰しそうな感じだ。 「……え?」   思考が、止まる。  大空に散らばる星も、無言の月も、何もかもが遠く見えるほど、大きすぎる白骨の体。骨のパーツ一つ一つがくっきり見える。  両手を大地についているようだが、あまりにも大きすぎて視界に入らない。おそらく手首なんかは丘の向こうだ。 「僕が一番仲良しな星の御使い。相棒って言った方がわかりやすいかな。」  なんでもない風にそう言って、真昼は夜の街に現れた、骸骨の化け物を見上げた。 「餓者髑髏っていうんだ。よろしくね。」  ペットの犬を紹介するような感覚で真昼が言って、両目とも目玉焼きみたいな目にした優都が、口を開けたまま動かない。  餓者髑髏は動く度に骨がガタガタ音をたてるので、それだけで十分にうるさいのだが、窓を開けるような野次馬はいない。  どうやら空気を震わすこの轟音が聴こえているのも、餓者髑髏の姿が見えているのも、真昼と優都だけのようだ。 「え…、え…夢? 俺、まだ寝てる?」  試しに頬をつねってみる。問題なく起きているようだ。  よくよく見ると餓者髑髏の骨は少し黄ばみ、苔を大量につけている部分もある。  怖いものを見ているのに、不思議といつものような霊障は感じない。 「夢じゃないよ。すごく気のいい奴なんだ。だから早く優都に紹介しておきたくて。」  骨が軋むガタガタいう音が、いよいよ声を掻き消すほどで、真昼はちょっと叫ぶような感じになってそう言った。  餓者髑髏の突っ張った肘が電線に引っ掛かりそうだ。 「真昼の相棒…大きい! これ食べられちゃったりしないよな!?」 「それがね、食べられちゃうんだよ。」  またぞろ、なんでもない風に真昼が言う。  一拍間を置いて、 「食べられちゃうんだ…。」  優都がツッコんだ。  で、本当に食べられてしまうようで、今にも顎が外れそうな心配な音をたてながら、餓者髑髏がその巨大な口を開いた。  よく見るとちゃんと歯もある。  それが斜め上の角度から迫ってきて、優都が縦に十人くらい入りそうな大きさなんだが、そのままパクッと本当に真昼と優都を飲み込んだ。 「あ。」  というつまらないリアクションを優都がしたのは、もう規模が大きすぎて怖さの域を出たからである。  変に冷静になってしまった。遊園地のアトラクションみたいな。 ★★★  口の中は暗い。  真昼が手持ちのスマホでライトを点けるのに、ちょっと時間がかかった。その間、優都はただ体を縮めて、何が起こってもいいように、備えていた。  映画館の上映室に入ったような、舞台の会場に入ったような、或いはその舞台の袖にいるような、静かな緊張感の中にいた。 「優都、立ってる? てか、立てる?」  ややあって、真昼がスマホのライトを向かう先に翳しながら言った。 「立ってるよ、ずっと。」  不思議と髑髏の口にガポッと食べられたはずなのに、歯が当たったり、喉の中を転がり落ちるような事はない。  優都はずっと同じ地面に立ったままで、咀嚼されたりもしないらしい。 「じゃあ行こっか。」  真昼が前を歩き出すので、少し遅れて、優都も歩き出した。  ガタガタ言ってた音が聴こえなくなると、途端に無音の状態になり、まるで絵本を読む前のような静けさがある。  ここが現実なのか、実は夢の中なのか、優都もわからなくなってきた。   やっぱり優都は寝ているかもしれない。 「餓者髑髏は元々は山の中にいた妖怪でね、退治しろって言われたんだけど、接しているうちに友達になってて。星の御使いとして、僕と契約させたんだ。僕、そういうダメなとこあるんだよね。」  ダメなとこあるんだよね。と言いつつ、まるっきり反省してない感じの真昼の物言いが、優都にはかえって心地よかった。 「俺はお前のそういうダメなとこ好きだよ。ここは餓者髑髏さんの口の中なの?」  涎でベタベタになったりしないんだろうか。しないか。骸骨だし。 「ちょっと違くて…。餓者髑髏の口の中は霊界に繋がってて、そこから僕の結界で隔離した…あー…まぁ、いいか。」  真昼が説明を投げる。 「簡単に言うと、この奥に餓者髑髏が飲み込んだ町があって、僕の秘密基地になってるんだ。優都も自由に来れるようにして、好きに使って貰えたらいいかなって。」  という真昼の言葉に偽りはなく、すぐに波の音が聴こえ始めた。 「飲み込んだ町?」  聞き慣れない言葉がまたやって来て、優都が首を傾けている間もなく、ガス灯の灯りが見えてくる。  金色ボタンのついたベストを着た黒い影が、長いライターで火を灯していく。煉瓦の街道。海は高い高い絶壁の下の方にあるようだ。  夜なのでよく見えないが、一応、下の砂浜へ降りる階段もある。目の前ににはバス停があり、歩道のついた太い道に出る。  カフェやショーウィンドウのある店舗が並ぶ、ごく普通の街角だ。唯一、奇妙なのは人がいないこと。  時折見かける少ない人影は、文字通り影であり、黄色くて丸い目や服を着ていること以外は、顔つきも性別もわからない。 「ま、真昼。ここ…、大丈夫なとこ?」  優都は少し駆け足になって、前を歩く真昼の服の裾を掴んだ。  その優都の様子をヘラヘラ笑いながら見ている真昼は、迷いない足取りでどこかへ向かっている。  街並みはどこか古めかしく、異国感が漂う。情緒ある姿だ。潮風が強い。 「大丈夫、大丈夫。段差に気をつけて。」  言われても小さな段差に躓いた優都は、盛大に真昼の背中に頭突きした。  それでも真昼は怒らない。キョロキョロしながら歩く優都は、この後も赤い消火栓に腰をぶつけたり、緑のゴミ箱に激突したりしながら、進んだ。  しばらくして、真昼はおよそ町の中央にある、カラフルな一軒家に辿りつく。  設計だけ大人がして、色は子供に塗らせたような建物だ。  壁は黄色くて、屋根は空色。 「ここが、僕のお気に入り。どこも空き家だから、優都が好きな物件に勝手に住んでいいけど、ここがオススメ。」 「ちょっと待って真昼。ここ、俺、自由に使っていいって、本気なのか?」 「うん。ホントは優都が閉じ込められちゃう倉庫に繋げようと思ってたんだ。でも優都もずっと子供じゃないよね。一人暮らししてるなら、そっちに繋げようかな…。」  色々と頭が追い付かない事が多すぎるのを、優都はひとまず無理矢理飲み下した。 (真昼って昔からたまにこういう突拍子もないこと、言い出す奴だった気がする。基本受け身っぽいとこあるけど、発想力とか行動力はいざという時だけ高いタイプだったような。)  流れるように思考して、思い出は膨らむ前に置いていく。 「住むとしたら家賃はいくらだ?」 「家賃ないよ。でも、強いて言うなら餓者髑髏は土の属性だから、根菜が好きです。」 「お野菜好きなんだ。偉いね。」  今度、ゴボウを買ってあげよう。  手すりがついた短い階段を上がって、アンティーク調のランプが脇についた扉を開く。   キイッと金具の軋む音。  中はいきなりダイニングキッチンで、縦長の細いスペースだった。木製の扉が左手と奥についている。 向かって右手に流し台、その横に冷蔵庫。広い作業台に、オーブンもある。 「奥が寝室。こっちはトイレとかシャワーとか。洗濯機ここにあるよ。洗面台も。ちゃんと別になってるから使い易いと思うけど…。まぁ、内覧はまた今度でいいか。」  壁際に寄せ置かれていた木製テーブルとイスのセットに居座り、真昼はようやく寛ぎ始めた。ふう、と大きく息を吐く。  優都は部屋のあちこちを見て回り、最終的には真昼の横に自分も収まった。  たぶん夢を見ているんだな。  幼馴染が骸骨を召喚して、その中に町があるなんて。 「真昼は引っ越した先で、霊能力を鍛えて妖怪退治をしてたのか?」 「正確には、祓い屋だった祖父の後を突然僕が継がされる羽目になったんで、仕方なく霊能力の修行が始まって、仕事について行くうちに霊だけじゃなく、妖怪に出会う機会も増えたって感じかな?」 「なのに、この街に帰って来たのか?」 「彼に残されていた時間は、僕が思っていたより短くて…、でも僕が仕事を継ぐには、まだ未成年だったから。高校卒業まで解放されたんだ。それに…色々あって、優都に会いたい気持ちも限界だったし。」   言われてもピンと来ないのは、限界を迎えるほど会いたいと思って貰えるような人間であるという自覚が、優都には微塵もないからだ。 「なんか、俺の知らない真昼に会って、びっくりしてる…。」 「僕は優都に色々説明したら、満足して眠くなってきた。」 「勝手なやつ。」 「こんなに早く会えると思ってなかったんだよ。優都に会えるのは、学校に行ってからだと思っていたから…。」  言われて優都も同じ事を考える。いつか再会出来れば、そう思っていたけれど、それが今日だとは思っていなかった。  高校生になれば、何か始まる。期待通りに幼馴染が帰って来て、後輩からは親睦会に誘われている。  何か始まっているのは間違いない。変わっていけるかどうかは、これからだ。 (だけど、これくらいの事なら、いつでも始まっていたのかもな。見過ごしてきただけで…。)  キッチンは流しの部分に青いタイルが貼られている。棚は壁に作り付けで、紅茶の缶や漬物の瓶が並んでいた。  珈琲豆も、ミルもある。 「珈琲でもいれよっかな。」  思い立って、優都は口にした。 「優都の珈琲、僕も飲みたい。おっきいマグカップあったと思う。」 「はいはーい。どこかなー?」  カップを探そうと戸棚を開いた優都の制服のポケットで、生徒手帳が振動した。 「んっ?」  それはどうやら、手帳に入っている伝達アプリ、ROUTEの通知だった。  兎に連絡先を交換されたのを思い出す。 「兎からだ。」  アプリを開くと、早速メッセージが入っている。 『明日は先輩に友達を紹介するっす!』
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