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神待ち少女の遭遇
「夢じゃなかった…。」
目が覚めると、優都はきちんとしたベッドの上で寝ていた。セミダブルのちょっと広いベッドだ。
暖かい布団に包まれてポカポカで目覚める。カーテンを開いても薄暗いが、朝になったことと、自分の部屋でないことは十分に分かった。
昨日着ていた制服のままだ。波の音が遠くに聴こえる。
「ここって…、まだ餓者髑髏さんの中なのか。」
ひとまず洗面所に向かおうと部屋の扉を開けると、丁度真昼が何処からか帰って来たところで、コンビニ袋に色々と詰めて狭いテーブルの上に散らかしているところだった。
「あ、優都おはよう。ちゃんと眠れたかい?」
朝から爽やかな人だ。とっくに支度の出来ている様子の真昼に、ボサボサ頭の優都は何を言おうか数拍考える。
「ごめん…。昨日いつ寝ちゃったのか覚えてなくて。夕方も寝たはずなんだけど。」
「昨日は珈琲飲んだ後、机にバッタリだったよ。一応寝室のベッドまで運んだけど…、よく考えたら優都の家に帰してあげたらよかったね。僕もごめん。」
明るいキッチンルーム。タイルの壁が眩しい。すでにお湯を沸かしているようで、コンロの上で赤いケトルが熱を噴いている。
真昼が散らかした丸い木製テーブルは、流し台と反対側の壁際に寄せてあるのだが、昨夜は無かったトースターが登場していた。
発電所ごと飲み込んだのか、電気はコンセントからちゃんと来ている。
「僕ね全然料理とかしなくて。珈琲とトーストしか用意出来ないんだけど。ジャムとかそこらへんの棚にあるし、適当に食べてね。あと、ハブラシとかコップとか至急要る物だけ朝イチで取って来たよ。」
机の上に散らかしているのは最低限の生活必需品立ったらしく、そこからハブラシとタオルは投げてよこしてくれる。
「真昼。お前、制服は?」
今日も私服姿の真昼を見て優都が訊ねると、
「僕、学校まだなんだ。明日からだよ。 クラス、優都と一緒になれるといいけど。友達できるかなぁ?」
と不安そうに返ってきた。
友達できるかなぁ?の気持ちは優都も痛いほどわかるので、
「大丈夫だよ、お前なら。カッコいいもんな。俺の幼馴染。」
そう声をかけてから、顔を洗いに部屋を出た。
洗面所の窓を開けても外は夜明け程度の薄暗さ。どうやら、夜が明けてもこれ以上明るくはならないようだ。
町を歩く人影は見かけないが、代わりに窓のすぐ下で花壇の花は元気に咲いている。
ふいに思いついて、優都は少し扉を開いて真昼に声をかけた。
「なぁ真昼、ついでにシャワー借りたいんだけど、いいかな?」
★★★
出ていく時も餓者髑髏の口を通るのかと思いきや、扉が学校の屋上に直通という嬉しい仕様になっていた。
「えっと、金色の鍵は学校で、銀色の鍵で俺の家…。なんか、いいのかなぁ。こんな贅沢な暮らし。」
真昼は宣言通り優都の自宅にまで、あの町を繋いでくれたのだ。これからは、学校と家と秘密基地を、常に往き来できるようになる。
小さな町とはいえ、町を丸々一つ私有地にしているようなものなので、移動も規模が違う。
授業の用意だけは学校に置いてきていて助かった。持ち帰る時だけ大変だが、置いていくと忘れ物をしないで済む。
屋上から階段を下りて、誰もいない廊下を進む。
ここは図書室や理科室など、授業で用がなければ生徒があまり近寄らない教室ばかりなので、朝のこの時間は静かなものだ。
「でも、朝の学校の空気を堪能できるのって、ちょっといいかも。」
窓から入る光の中で、埃がキラキラ舞っている。優都の使う二年生の教室は二階だ。今いる四階から二つ下りる。三階には三年生の教室があり、兎のいる一年生のクラスや職員室、その他の教室は別館にある。
階段を下りていくと、途中で綺麗な女の子と鉢合わせた。ぶつかりそうになって、優都は慌ててブレーキをかける。
「あぶね…。」
肩にかかるほどの金色の髪に、青い瞳。
西洋人形のように整った顔立ちの美少女だ。無表情にこちらを見上げている。
吸い込まれるように目が釘付けになった。
リボンが青いので、一学年下だ。
(わ、可愛い子。)
と平凡な感想を抱く。
ただでさえ友達がいないのに、一学年下にこんな可愛い子がいるなんて、ちっとも知らなかった。
道を譲ろうと階段の端に寄ると、
「有り難うございます。」
とその女子生徒は頭を下げた。小脇に本を抱えていることに、すれ違い様に気がつく。
「あ、図書室…、まだ開いてなかったよ。 電気、ついてなかったから。」
無駄骨を折らせても悪いので、念のため忠告する。すると、その女子生徒は振り返り、スカートのポケットから鍵束を取り出した。
「お気遣い頂き感謝します。でも、丁度いま私が開けにいくところなの。」
図書委員さんだ。と、咄嗟に閃いた。
「あ、あぁ。そうなんだ、ごめん。朝開けるのも図書委員さんがしてくれてたんだね。全然知らなかった。」
そもそも活字を追うと三分で寝てしまう優都は、あまり本には詳しくない。図書室には一回も入らないまま、高校生活終わりそうだ。
優都はだいたいこんな感じで、気を利かせようとするとスベるのです。
それも、優都が人間関係にストレスを感じる一因ではある。こういう時って恥ずかしいんだよな…。
(うぅ…。こんな可愛い子の前で恥ずかしいことしちゃった。余計なこと言わなきゃよかったよ…。なんで俺ってこうなんだろ。)
もうさっさと教室に行こうと思って、階段を下りかける。しかし、会話にはまだ続きがあった。
「正確には少し違います。生徒の模範となるよう振る舞うことと引き換えに、本が好きな私の為に、図書室のマスターキーを父が司書の方から借りてくれているだけですから。」
そう、彼女が呟いたのだ。
それは一人言だったのか、優都に聴こえればいいと思ったのか、中途半端な音量だった。
「父…? お父さん、学校の偉い人?」
階段を下りようとしていたので、体を少し捻った角度で、顔だけ彼女の方へ向ける。
今度は優都の方が彼女を見上げる形になった。
「ええ。私の父はこの学校の理事長兼校長。だから、私も…」
何か言いかけ、口を閉じる。それから、不意にトントンと階段を下りて来ると、グッと体を近づけて優都に迫ってきた。
「えっ…なに?」
「朝早く図書室も開いていない時間に、先輩はここへ何をしに来られたのかと。」
「い、いや、え?」
体を寄せられて、緊張に身を固める。こんなに女の子と近い距離で触れ合うことは、優都史上初だ。
(近くに来ると甘い匂いがする! あと、む、胸が当たってる!)
ちゃんと下着をつけているのか疑うほど、柔らかい感触が押し付けられている。
「屋上の鍵は閉まっているし、他に鍵が空いている教室も、ないですよね?」
「えっと、それは…。」
「もしかして、貴方があの『神様』ですか?」
息がかかる程、耳のすぐ傍で囁かれている。薄桃色のリップをひいた唇が、艶かしく動く。
「それなら…。私、『神待ち』なんです。」
神待ち。
その言葉が頭に入って来た時、優都の思考は停止した。あくまで、ほんの一瞬ではあるが、あまり良くない想像をしてしまう。
屋上を通学に使っていると言えるわけもないので、何をしていたのかと勘繰られても仕方ないが、神と称される事は予想外だ。
「か、かみまち?」
「私の願いを叶えに来てくれたんですよね。その為に何か払う必要があるなら、私…。」
言いながら、女子生徒は制服の胸元へ手をやり、おもむろにボタンを外し始める。開いたブラウスの胸元から覗く谷間に視線を奪われ、優都は顔が熱くなるのを感じた。
「俺はただ、朝の学校を歩きたい気分だっただけ。か、神様でもなんでもないです!失礼します!」
両手で細い肩を押し突っぱねる。
頭に熱が上がって来て、まともに顔を見れない。初見で清楚なイメージを持ったばかりに、ちょっとショックだったのかもしれない。
イメージからの期待を裏切られるのも、優都が人間関係にストレスを感じる一因である。
(に、逃げ、逃げッ…)
慌てて階段を駆け下りる。心臓がドクドク言って、喉の奥から飛び出しそうだ。
足が絡まりそうなのを、必死にコントロールする。
「なんなんだ、あの子…。」
突然、神と呼ばれて。
押し付けられた柔らかな胸の感触と、見せつけられた白く吸い込まれそうな谷間が脳裏を過る。
「いやいや…、忘れろ!」
どうにか教室のある階まで辿り着いて、優都は脳内の映像を振り払う為に頭を振った。
生徒達が朝の挨拶を交わしてる、日常の風景だ。教室へと吸い込まれていく人の流れに、優都も紛れ込む。
「はあ~…。普段と違うことするもんじゃないな。」
一生忘れそうにない体験。
心臓の鼓動を正常に戻すには、一度、無になった方が良さそうだ。
「無…。」
もともと少ない頭の中身なので、優都は結構簡単に無になったりすることが出来ます。
★★★
風の如く逃げ出した優都を見送って、女子生徒は手の中の電子生徒手帳に視線を落とす。
細い指先で画面をスライド。待機画面には生徒写真と学年、クラス、名前が表示される。
「桜庭…優都…。そう、あの人が神なのね。」
それは体を近づけた時に優都のポケットから抜き取ったものだ。
神妙な顔つきで、しばらく優都の生徒手帳を見つめていた少女は、やがてそれを廊下の隅の床にゆっくりと置く。
肩にかかる髪を払うと、微笑を浮かべた。
「願いを叶える為なら、私は何も惜しまない。どんなものでも、犠牲にできるわ。」
開いたブラウスの襟の下には、黒いチョーカーがつけられ、金色の小さな飾りがぶら下がっていた。
普段は制服の襟とリボンに隠れる位置だ。チラチラと光を反射しながら揺れる飾りは、祈りを捧げる女神の姿が、象られていた。
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