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学校の階段
優都がご飯を作ったので、お皿洗いは真昼がしてくれる。夕飯の片付けをしたら早速、優都は秘密基地の扉の前に立った。
鍵を使って移動する真昼の領域だからなのか、秘密基地の扉は内側にも鍵穴がある。お陰様で移動楽々だ。
今朝もそうして出たように、今度は金色の鍵を使う。
そうすると古い木製の扉が、学校の屋上に繋がる扉へと早変わり。冷たい鉄製のドアノブが、優都に握られるのを待ち構えている。
(夜は霊が動く時間だし、すごく怖い…。)
優都は幸せなことに学校の帰りが遅くなった経験がない。友達がいないどころか、部活に入ったこともない。
世界最高速で下校してきた帰宅部のエースである。
「大丈夫だよ優都。僕も一緒に行くから。」
そんな優都の震える背中を、真昼が支えてくれた。真昼が手を当ててくれた部分は、背中がポワンと温かい。
「真昼…。助かるけど、でもいいのか?」
「うん。二人の方が早く見つかるだろうしね。夜の学校に長居は、優都の体に良くないと思うから。」
説明しよう。
真昼は基本的に優都想いなのだ。そして再三言うが、優都は霊を呼び込み易い体質なのです。
失くした学生証を探しに夜の学校へ。再会したばかりの幼馴染に、背中を守られて挑む。
(怖いけど、真昼が一緒に居てくれるなら、何があっても大丈夫。そんな気がしてきた。)
とか言っていたのは過去の出来事です。
(やっぱ怖いものは怖い…!)
扉を開くと、そこには闇が広がっている。生ぬるい風。屋上に繋がったようだ。
給水塔も配管も、転落防止の柵すら見えない。今朝は見かけたので、在ると知っているだけだ。
「屋上へ出たら一度扉を閉めて。その後もう一度、扉を開ければ校舎の中へ繋がっているよ。」
背中に触れるほど傍に立っている真昼が、耳元で説明をくれる。
優都の後ろに立っている真昼は、優都が外へ出ないと屋上へ出られない。
背中を押さずに待ってくれているので、優都は震える一歩を踏み出した。
広い屋上。高い場所にいるので、街の夜景が見える。パノラマビュー。
後ろ手に真昼が扉を閉めて、再び扉を開けた。そこにはもう、明るい秘密基地のダイニングリビングではなく、暗い校舎の四階の廊下へ下りる階段が見える。
「夜の学校、初めて入るんだよ。」
真昼の優雅な招き入れの手に、優都がちょっと弱音を吐いた。
「僕は何度か入った事があるよ。」
と、真昼が答える。
「僕みたいな懐古厨にはホットスポットだし。」
要らない情報である。
★★★
真昼は自分のスマホでライトをつけるが、優都は手持ちの灯りがない。
「そういえば、優都はスマホないの?」
手摺を頼りに階段を下りながら、真昼が尋ねた。屋上から校舎の中へと進んでいく二人。
「学生証に伝達アプリが入ってるから、携帯は高校出るまで買ってもらえないんだ。」
大学に行く頃には手に入れたいものだ。
優都も足で探りながら階段を下りる。その横で真昼は自分のスマホに取り付けていたイヤホンジャックを外した。
イヤホンジャックという名前だが、こちらは差し込む側なので、本来イヤホンプラグである。
輪っかでグミのくまさんがぶら下がっている。オレンジのグミベアさんの模造品だ。
「このイヤホンジャック、優都にあげるよ。くまの背中のスイッチで、内蔵されているライトがつくから。」
小さいからあまり足しにならないと思うけど。と言われるままにスイッチに触れると、暗い空間にボンヤリとグミベアさんが浮かび上がった。
「可愛い!ありがとう真昼!」
優都、はしゃぐ。
オレンジのグミベアさんはとっても可愛い。
真昼の言う通りほとんど足しにならないが、廊下には消火栓の赤い光や、非常口に駆け込むピクトさんが緑に光っている。今朝も通ったばかりなので、壁に突進することは無さそうだ。
グミベアさんは、廊下の端さえ照らしてくれれば、学生証を探すことはできる。
「ゲームセンターの景品なんだけど、僕はよくスマホでゲームとかするから有線イヤホン差す機会が多くて。それ何度も抜き差しするのも面倒だから。」
「真昼がゲームセンター? 意外だ…!」
階段を下りると長い廊下。優都はしゃがみ込んでグミベアさんで廊下の端を照らす。
学校の中の空気は冷たくて、屋上に出た時よりさらに寒い。
「確か、廊下か階段に落としたって、言ってたよね? 」
「うん。」
「僕は階段の方を見ているから、優都は廊下を探して。大丈夫。すぐ傍にいるから。」
と言う通り、真昼はちゃんとグミベアさんで照らせば見える位置にいる。
そういうわけで手分けすることになって、優都は真昼と別の方向を探し始めた。
廊下には大きな窓があるが、月明かりは全く入って来ない。窓と反対側には他の教室のような引き戸タイプと違い、両開きの硝子扉。
その扉の前にマットが敷かれ、そこで靴を脱ぐようになっている。ここは図書室だ。
今朝もここを通った。当然灯りは点いていないが、中ではまだ人影が動いている。
(あ…。司書の先生、まだいるんだ。)
黒いシルエットが扉越しに見える。スラッと細長い影が動いているので、どう見ても人影だ。
どうやら本の整理をしているようで、影は本棚の間を動き回っている。
(こんなに遅い時間まで司書の先生って残っているのか。怒られるの嫌だし…、先にこっちから事情を説明した方がいいかな…。)
振り返れば、ちゃんと真昼の持つライトの光が近くに見えるので安心だ。
階段を一段一段調べてくれているようで、真昼の頭が階段のところでピョコピョコしているのが見える。
(めっちゃ怒られるようなら、真昼に助けを求めればいいし…。)
真昼からしてみれば迷惑だろうが、優都は図書室の中へと入ることにした。
靴を脱いで、扉をそっと開いて滑り込む。闇が音を吸収しているかのように、優都がマットを踏む音も、扉を開く音も真昼には届かない。
廊下を通りかかった二本の足だけが、優都の様子を見るように立ち止まってから、壁の向こうへと消えていく。
「すみません。」
優都が声を出したのは、入り口から数歩という場所。図書室は何故に土足厳禁なのかと言うと、ここだけ他の教室と違って下が絨毯なのである。
正面に貸し出しカウンターと思わしきシルエット。右手に机と、画面の消えたパソコン。左手が広いスペースで書棚が等間隔に並んでいる。
そこにいる人影は優都の声が届かなかったようで、まだ書棚の間をウロウロしていた。
夜の学校、四階の図書室。電気は点いていない暗闇の中、真昼は怖くて進めないので、入口の傍からまた声をかける。
「あの、すみません!」
優都が胸の前で握っている手には、グミベアのイヤホンジャック形ライト。オレンジの光で優都の立っている場所の足下だけ照らしている。
「あら、びっくりした!どうしたの? こんな遅い時間に。」
三冊ほどの本を両手に抱えたままで、ようやく動いていた人影が優都の呼び掛けに気がついた。
当たり前だが、かなり驚いた様子で近寄ってくる。
白いブラウスに、何か落ち着いた色のロングスカートを着ているようだが、明かりが小さいのでそれ以上はわからない。
女性だ。
「あの、勝手に夜の学校に入ったりして、ごめんなさい。学生証を落としたみたいで、探しているんです。」
できるだけ困っている感じの表情と声を作って、優都は正直に伝えた。どのくらい怒られるのか、学校に忍び込んだりしたことがないのでわからない。
内心ビクビクである。
「もう遅いから明日にしたら?」
と、呆れたような口調でもっともな事を言われる。明かりのない図書室で、作業をしていた異様な存在。
顔の見えない、その奇妙な雰囲気に、優都はまだ気がつかない。
「どうしても、今夜必要なんです。友達が明日から転入してくるので、電子学生証の使い方、教えたくて。」
「あら、転入生?」
大きい口に黄色い歯。口元が印象に強く残る。
「はい。今も一緒に探しに来てます。多分、ここの廊下か階段のあたりに落としたんだと思うんです。」
「そう、…。それなら仕方ないわね。私が廊下を探すから。桜庭くんは、その転入生と一緒に階段、探してくれる?」
幸いにも、それほど叱られる事はなさそうだ。その上、探しものを手伝ってくれる運びとなった。
(良かった、優しい先生で…。)
ホッとひと安心で、優都はペコリと会釈をした。
「有り難うございます。友達に伝えてきます!」
そして、真昼に伝えに行こうと、今度は硝子扉を出て、マットの外側に脱いだスニーカーを履く。厳しく躾られているので、優都は靴をきちんと揃えて脱ぐようにしている。
スニーカーは左右で仲が悪そうに、顔を互いに背けて並んでいた。履きにくい。
「図書室の先生が探すの手伝ってくれるって、真昼にも伝えないとな。」
靴の向きには気になる点は何もないようで、優都は急いで階段のところにいる真昼のもとへと向かった。
何も起こらないようで、少しだけ不思議な事が起こる夜の空気。どこか変だけど、通り過ぎるだけなら気がつかない。
そんなことが起きている場所。夜の学校。
「真昼ー!」
グミベアさんを振り回しながら優都が駆けてくると、学生証が早くも見つかったのかと期待してしまう。
それで、この時の真昼も、
「あ、見つかった?」
と嬉しそうに返事をしたのだ。その真昼に、
「いや、まだ全然!」
と優都が返す。
「なんだ…。」
という真昼の拍子抜けの声。真昼も四階から三階にかけての階段をくまなく探したが、まだ見つからない。
「見つけるのはまだなんだけど、その前に司書の先生に会ったんだよ。たまたま、まだ図書室に残ってて、学生証を一緒に探してくれるって!」
心がホコホコで嬉しそうに語る優都の言葉に、真昼の眉間の皺がジワッと深くなった。
「え?司書?」
という、何も信用していない真昼の声に、優都は慌てて「ほんとだよ。」と伝える。
「図書室の中で作業してたんだよ。暗い中でもシルエットで本棚のとこ歩いてるの見えたから。声をかけておこうと思って。」
優都がなんでもない事のように口にするので、真昼は片手で自分の頭支える。
真昼がそうするのには、それが明らかに人間ではないと予感したからである。
「優都、その人は暗い中で作業してたの?」
「え? あぁ、そうだけど。」
「なんで? 図書室の電気つければいいよね? こっそり入ってきている僕らじゃないんだし。」
言われてもっともなので。
真昼にそう指摘された時、優都の心臓はドクンと跳ねた。
ついさっきまで、自分が言葉を交わしていた相手に、疑問を抱く。
「それは、確かにそうだけど…。」
「他に何か言われた?」
「私が廊下を探すから桜庭くんは友達と一緒に階段探して~!…みたいな感じのことを…。」
再現度はあまり高くないが、言われた事をそのまま真昼に伝える。言いながら優都の背中を、何か冷たいものがザッと走り抜けるような悪寒がした。
「優都はその先生に会ったことあるの?」
「いや、初めて…。」
ということに、優都自身気がついたからである。
「なのに、名前を知られてたんだね?」
「変だよね?」
「ちょっとね。」
それから二人とも黙り込んで、しん、と静かになる。やたら天井が高く感じる階段。
足先や指先から順に冷えていくのを感じる。
「考えられるのは、」
先に真昼が沈黙を破った。
「優都の会った図書室の人物は、普通の人間じゃなくて、もっとはっきり言うと、ここら辺をうろついてる霊である可能性。」
「うう…。」
はっきり言われて、優都は泣きそうになる。
「名前を知られているということは、優都の学生証はもう、あの霊に先に見つかっちゃったんじゃないかな? そこを入り口にして取り憑こうとするなら、霊は『桜庭くん』という生徒を探そうとするはず。」
夜の学校に生徒が入り込むことはない。普通、学校に落とし物をしたくらいで霊に取り憑く隙を与えることはないが、優都は違う。
「俺、もう見つかっちゃったよ…。」
「さて、どうしようかな。」
真昼が腕時計を確認した。まだそう遅い時間ではないので、夜はこれからだ。
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