8人が本棚に入れています
本棚に追加
5 “兵隊人形について”
1
『……はい、ではよろしくお願いします』
幸斗は電話を終える。
流星さんに俺の気付いたことを伝えた。
流星さんは急いで会議を行い、奴への対策と情報の共有を行うと言っていた。
そして俺はと言えば、自宅に一度戻って来ていた。
橋本 鳥司の捜索も警察に頼んだからなっちゃんにも報告しようと思ったのだ。
なっちゃんは直接奴を見ているし、写真も持っている。
なっちゃんが狙われない保証はなくなった。
今はもう、にじ組の子以外にも狙われる条件を満たした者が多すぎる。
捜査で嫌でも村井 勇気君の撮影した奴の動画を見た捜査員たちも、あの記念写真を見た人間も。
さらに直接見た者や、それ以外の形で奴を見た人間まで……と考えると
誰が狙われるか予測できない。
『なっちゃん ただいま』
玄関から声をかける。
返事はない。
眠っているのか?
『なっちゃん?』
ベッドの方に向かう。
『なっ……』
もう一度声をかけようとして、幸斗は言葉を失った。
七海は全身びしょ濡れの姿でベッドで死んだように眠っていたのだ。
今朝は元気だったのに。
『なっちゃん!? 大丈夫!?』
身体が冷たい。服が水で重い。
潮の香りもする。
まさか……来たのか?
あいつが……
しかし、呼吸はしているようだ。
それに脈もある。
外傷もない。
眠っているだけだと気付き、安堵のため息をついた。
『何だ……脅かすなよ……ビビった……』
七海を再びベッドに寝かせ、タオルを持ってくる幸斗。
さすがにこんなずぶ濡れで眠っていたら
風邪を引いてしまう。
タオルで水を拭きながら幸斗は考える。
(奴はなっちゃんを狙ってきた? でもなんで殺さなかったんだ?)
しかも今は昼間だ。
奴が今まで動いたのは被害者たちの死亡推定時刻から見て深夜から明け方の間だ。
七海の濡れ方から見て、まだ奴が去ってからそう時間は経っていない。
……そうだ、何か他に奴の手がかりがまだ残っているかもしれない。
辺りを探る幸斗。
……水の雫が点々と続いている。
これが奴の足跡……のようなものか?
だとしたらこれを辿れば……
しかし水の雫は、風呂場に向かっていた。
何だ……なっちゃんの足跡か……
……だがだとしたら服を着たまま風呂に入るか?
もう少ししっかり調べてみよう。
幸斗は洗面所に入る。
そのすぐ左隣の扉の奥が風呂場だ。
(浴槽に湯は溜まっていない……)
シャワーも使っていないようだ。
床も排水溝の辺りしか濡れていない。
雫は排水溝に続いている。
(こんな所からは入れねーよな……)
あの大きさの人形だ。
風呂場の排水溝からどう侵入ができようか。
(……まあ、なっちゃんが起きたら聞いてみるか)
調べるのを断念し、幸斗は風呂場から出た。
2
(ここは……)
気付くと七海は、真っ暗な闇の中にいた。
(あれ? 声が……)
ゆーちゃんって呼んだつもりだったのに、
七海の声は言葉にならず
ごぽっ……という音になった。
『……!』
まさかここ、水の中……!?
何度もゆーちゃんと呼ぶが、やはり結果は同じだった。
私は暗い水の中にいる……
でも、息苦しさとかはない。
呼吸ができているのかはわからないけど
少なくとも苦しくはない。
溺れているような感覚もない。
ふと、後ろの方から声が聞こえた。
『波行(なみゆき)さん、お待たせしました』
『蜜水さん! いいんだよ 僕も来たばかりだから』
振り向くと、闇の中……微かに二人の男女が談笑している光景が見えた。
それはだんだんと映像がはっきりしてくる。
二人共傘をさして、どこかへと歩いていく。
七海は女性の顔に見覚えはなかったが
男性の方はどこかで見た気がする。
波行なんて名前の友達いたっけ……?
いや友達じゃない。
誰だっけ……あの人……。
思い出せないまま、七海は二人の姿を見続ける。
『海が見たいって言ってたね だからいい所を見つけておいた “さざなみ人形パーク”って場所なんだけど、知ってる?』
(え……)
男性の言葉の中の、そのよく聞き慣れた名前に七海が驚いた。
『知らないです 近くなんですか?』
『うん ちょっとした遊園地のような場所でね』
『学生デートみたいですね そういうの私好きです』
この男女は“さざなみ人形パーク”に向かっているようだった。
二人はとても幸せそうに見える。
私とゆーちゃんも、兵隊人形の事件がなかったらこんな感じになっていたのかな。
よく見れば男女両方共に結婚指輪をしていない。
見たところ二人共七海と同じくらいか、少し歳下くらいに見える。
私達にそっくりだ。
それにこのぎこちない感じ……もしかして、付き合ってまだ長くない?
気づけば七海は、その二人の男女のことに夢中になっていた。
3
その夜、にじ組の男子児童の星野 渉(ほしの わたる)は夜中にぱちりと目を覚ました。
まだ世界が暗い。
夜中だ。
もう一度寝ようとした時、渉はあることに気付いた。
何かの音がする。
ぴちょん ぴちょん……
水が垂れるような音だ。
どこから聞こえているのだろう。
ここは2階だから、トイレもお風呂も水道もない。
(あめかな)
雨……と一瞬考えた渉だったが、すぐにその説は消える。
雨の降る音とは違う。
水滴が落ちるだけの音。
水道の蛇口をちゃんと締めなかった時に落ちる水のような
そのくらいの音が、真夜中の静かな家に必要以上に大きく聞こえていた。
隣で眠る双子の姉を起こそうと思い、布団から出る。
『まいか、まいか』
『……』
姉は死んだように静かに眠っている。
渉が焦り出す。
部屋の中を見渡すも、寝室には渉と姉の舞夏、そして父と母の四人だけ。
怪しい存在はいない。
良かった。
渉が再び布団を被ろうとした時だった。
ザバァッ……!
水の音。
それもかなり大きい波のような音が家中に響いたのだった。
心臓が跳ねる渉。
蛇に睨まれた蛙のように布団を掴んだまま固まってしまう。
(なになになに!?)
今の音でも姉も両親も目を覚ます様子はない。
さらに
ぺた。ぺた。
濡れた足音が微かに聞こえ初める。
相変わらずその体勢のまま固まっている渉は耳をすませる。
1階を誰かが歩いている……?
ぺた。ぺた。
びちゃ……。
少し音が変わった。
しかも何だか音が近くなったような……。
びちゃ……。 びちゃ……。
(かいだんをのぼってきてる!!)
それに気付いた渉は慌てて布団を被った。
心臓がばくばくと音を鳴らして激しく鼓動する。
その間にも、音は階段から廊下へ
ゆっくりとだが確実にこの寝室へと迫って来ていた。
渉は必死に目を瞑り、泣きそうになりながら祈った。
(くるなくるなくるなくるなくるな!)
しかし無情にも、足音は寝室のドアの前にやってきた。
そして
きぃ……という音とともに、寝室のドアが開いたのがわかった。
(なにか、いる)
何かがいるのは確実だが、ドアが開いてからはそいつの足音は止んだ。
いつ飛び込んで来るかもわからない恐怖に耐えながら渉は布団の中で目を閉じ続けていた。
……何分、そうしていただろうか。
ドアの前の存在が再び足音を立て初めたのだ。
今度はゆっくりと、寝室から遠ざかっていく。
一歩音が遠くなるたびに渉の心が少しずつ冷静さを取り戻していき
やがて思考能力が戻ってくる。
ドアは閉められた様子はない。
ずっと外の奴は、部屋に入らず
開けたドアの向こうからじぃっと部屋を覗いていたのだろう。
渉はそれに気付いてぞっとしたが、
奴の足音がかなり遠くなったのを確認し、
そっと布団から出てみた。
開け放たれたドアの向こうには誰もいない。
(……なんだったんだろ)
音を立てないよう、そろりそろりと渉はドアの陰に立つ。
後ろ姿だけでも見てやろうと思ったのだ。
音さえ立てなければこちらに気づくこともないはず。
そっと顔を廊下に覗かせる。
その瞬間
『ミタミタミタミタミタミタミタ!!!』
という声と
『うわあああああああああ!』
という渉の叫び声が同時に轟いた。
渉が叫んだ理由は他でもない。
廊下を向こう側に歩く背中、
とは反対に
180度回った無表情な首だけが渉の方を見ていたからだ。
首だけが後ろに向いているなんて、
とても渉には想定できなかった。
それらの理解不能な恐怖から声を出してしまい、そこでようやく
その首だけがこちらを向いた存在が遠足の時に出会った“へいたいさん”だと気付いた。
ドダダダダ!とけたたましく音を立て、渉に向かってくる兵隊人形。
渉は半泣きになりながら部屋に引っ込む。
が、すぐに兵隊人形は寝室に侵入してくる。身体は逆を向いているのに恐ろしく速かったが、渉は父親の使っている黒い目覚まし時計を掴み取ることに成功し、
それを兵隊人形の顔目掛けて投げつけた。
……だが
びちゃ!
がしゃん!
目覚まし時計は兵隊人形の顔をすり抜け、
廊下の壁にぶつかった。
『なんで!?』
『オマエミタ!ミタミタ!ミタ!』
『わあああああああ!』
泣き叫びながら渉は布団や枕を無我夢中で投げつける。
しかしどれもすり抜けてしまい、兵隊人形は怯まずに渉の身体にのしかかった。
『オマエミタ ワタシミタ』
そして、兵隊人形は手にしているおもちゃの銃の銃口を渉の右目に向け、
それを振り下ろした。
ぐちゃっ!!という音とともに、
渉の右目は見えなくなった。
4
『……なっちゃん』
翌日、潜上市立病院を後にした幸斗は、
車内で七海の名を呟いた。
七海は、あれから一晩一度も目を覚まさなかった。
だが彼女は生きている。
あくまでも眠っているだけで呼吸もしているし、たまに『うう』とか言葉を発する時もある。
ただ、目を覚まさない。
病院でも原因はわからず、一応入院となったが
担当する先生も戸惑っていた。
産科の先生とも相談すると言っていた。
母体がこうなっている以上、生まれてくる子のことも心配しなければならない。
(……これも兵隊人形のせいなのか?)
そうなると奴と対峙した時の奴の言葉が気になる。
『……オトモダチ』
『まだ いない まだ いない』
『いる 時に 遊ぶ わたし タノシミ』
(何なんだよ、本当に……)
だがもし七海が起きないのが奴のせいだとしたら……
どちらにしても、俺には悔しいけどなっちゃんに今できることはない。
奴を捕まえてなっちゃんが目を覚ますのなら、俺がやるしかないんだ。
点滴で栄養も得られているし、体調は問題ないと先生も言っていた。
俺は俺にできることをしよう。
七海の為にも、子供の為にも……。
(しっかりしろ幸斗…… これ以上兵隊人形の好きにはさせるな)
自分の頭をこつんと叩き、運転に集中する。
今日は鮎沢蜜水の家に行き、色々調べようと思っていたのだが
つい先ほど協力している捜査員からメールが来て、
また兵隊人形によると思われる殺人事件が起きたとのことで、まずはその現場に寄ってからにする。
現場は星野家。
にじ組の子の家だ。
今日殺害されるのは未だに行方不明の橋本 鳥司だと思っていたのだが、
幸斗の勘が外れたようだ。
車で走ること10分。
事件現場である星野家に到着する。
坂の途中にある2階立ての裕福そうな家。
立ち入り禁止の黄色いテープをくぐり、幸斗が中に入る。
毎度のことだが、一応白手袋をつけてから開きっぱなしの玄関に入る。
『おはようございます 流星さんいます?』
『あー、先ほどまでいらっしゃったんですが署に戻られました』
『ども』
通りかかった捜査員に礼をし、一眼の紐を首にかけてから2階へと向かう。
最近こんな感じの写真しか撮っていない。
俺の一眼も泣いてるだろうな。
『……またこれは派手にやったな あの野郎』
階段を登り、2階の寝室に入った途端、幸斗はつい口にしてしまった。
入ってすぐの床に血痕が広がっている。
しかも布団やら枕やら目覚まし時計やらが廊下と扉の間に散らばっている。
手口はいつもと同じ。
両目をえぐった後、心臓を一突きらしい。
(まあ、この落ちてる時計とかは被害者の抵抗によるものだと思うが……いつもより嫌に濡れてるな)
相変わらずずぶ濡れで、潮の香りがする。
……が、それより気になるのは
(この匂いは……)
潮の香りよりも強く香る花のような匂い。
これもまた今までの現場とは違う。
『……被害者は風呂上がりだったんすか?』
近くにいた捜査員にそれとなく聞くと
『いやそうでもないらしいです もちろん両親も双子の姉も』
『……ん?双子の姉?』
それで幸斗は、前に七海から聞いたことを思い出す。
“にじ組さんには男女の双子姉弟がいて……”
(なっちゃんが言ってた双子か……あの時は双子の話で盛り上がったっけ)
いやそうじゃない。
今はそこじゃないだろ。
『ってことは被害者は二人?』
『いえ 弟の星野 渉君だけです』
『……双子の姉もここで寝てたんすか』
『の、ようです』
二人ともにじ組の子。
片方は殺されたがもう片方は生きている。
つまりやはりあいつは、どんな状況であれ
一日に殺すのは一人ってわけか。
『じゃあ姉の方は保護されてるんですか?』
『ええ 何でも変な夢を見たと言っていて あまり精神状態が良くないらしく 今日病院に行くとか』
『変な夢……?』
『本人曰く、水の中にずっと沈んでいくような変な夢だったらしいです』
夢……か。
もしかして、隣にいても目を覚まさなかったのはその夢のせいなのかも。
これだけの殺人だ。
そうでもないと目を覚ます。
夢を見るってのも、奴の影響なのだろうか……。
(まあどちらにしてもその子には話を聞けそうにない そんな状態じゃあな)
仕方ない。ここは警察に任せて次に行くか。
手を合わせてから、寝室を出る。
(あ、その前に)
幸斗はこの濡れた痕が気になっていた。
これをたどってみるか。
何かわかるかもしれないしな。
濡れた痕は点々と続いており、1階の風呂場に繋がっていた。
が、風呂場の窓は閉まっており、鍵もかかっている。
ここから侵入したとは思えない。
浴槽に水が貯まっている。
黄緑色の水。
入浴剤か。
『……あれ』
浴槽に近づくにつれ、幸斗は気付いた。
この入浴剤の匂いは……
(寝室の匂いと同じ……?)
ということは、あの寝室の匂いの正体は入浴剤だったようだ。
『昨日、家族が入浴したのは?』
後ろの洗面所を調べている捜査員が答える。
『午後20時頃と聞いています 就寝はご両親が0時ごろ 被害者とその姉は22時頃です』
(となると……入浴からそれなりに時間は経っているのか……)
ならばなぜ入浴剤の匂いがあそこまで強烈に……?
いや……状況から考えて兵隊人形がこの風呂場を経由して寝室に行ったのは間違いない。
だからこの匂いが寝室に……。
(でもわからねぇ……何でここをわざわざ通ったんだ? 水滴もあるから奴はこの貯まった水に触れてから寝室に向かった)
そんな真似をする理由がわからない。
寄り道をせず、一直線に寝室に向かえばいいだけだろうに。
さらに、そもそもこの風呂場に来たとして
どこからどうやってこの家に侵入した?
(もう少しでわかりそうなんだが……だめだ 全然わからねぇ……)
5
『波行 私、できたみたい……!』
『本当に……?』
『うん……!』
やったぁ!と二人してはしゃぐ男女を見続けている七海。
ここまで色んな二人の姿を見てきて、色々とわかったことがある。
男性の名前は波行。
女性の名前は鮎沢 蜜水。
二人は付き合って半年だ。
七海が見ているのはどこかのカフェのような場所。
どうやら、鮎沢 蜜水が妊娠したらしい。
二人は絵に描いたような幸せそうなカップルだ。
『じゃあそろそろ色々考えないとね』
波行が笑ってそう言った。
……やはり七海はこの男性の顔に見覚えがある。
綺麗な顔だが、この人は私と会ったことがあるのだろうか。
この二人を見続けてどれだけ時間が過ぎたかめたわからないが、相変わらず思い出せないでいる。
(……)
それはともかく。
会話からして、“おめでた”だと言うのがわかった。
たまに七海の意識が飛ぶせいで二人の一部始終を全て見れているわけではないが、
七海の見る限り、仲の良い二人だ。
『名前とかも考えなくちゃ んー男の子だったら……』
幸せそうに笑う鮎沢 蜜水を見て、七海もふふっと笑ってしまった。
名前か。
性別がわからないから、男の子のも女の子のも両方考えるんだよね。
今の私にはその気持ちがよくわかる。
私はまだこんな状況だから、ゆーちゃんに名前の相談はできていないけれど。
『……あ、ごめん 会社からだ』
『いいの ゆっくり考えよ?』
波行の携帯電話が鳴ったようだ。
波行は蜜水に『ごめん』と言ってから店を出て行った。
彼は忙しいのでよく電話で席を立つ……と、
二人を見続けてきた七海はもう覚えた。
会社は確か潜上湾岸開発株式会社。
設備とかの部署の社員って話してたのも聞いた。
ちなみに蜜水は美容師だ。
でも、妊娠を機に辞めるかもしれないと七海は思っている。
育児と仕事の両立は大変なのだ。
なんて考えていると、ゆっくりと視界が揺らめき、場面が変わり、
カフェの入口前で電話中の波行が映る。
『……あ、橋本さん? ごめん 今はちょっと忙しくて また後でかけ直すから それで』
(……え?)
会社からの連絡……ではないように見える。
それに何となく、波行は辺りをキョロキョロと警戒し、声を潜めて受け答えしているように見える。
しかも
(橋本……?)
偶然か……七海のよく知る名字が波行の言葉から出てきた。
最初のコメントを投稿しよう!