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月の明るい夜、画員夫婦は田舎道を歩いていた。
「もうすぐなんでしょ、旧王朝の城跡」
妻が荷物を担いで後からついて来る夫の画員に聞いた。
「ああ、あと少し歩けば到着さ」
こう答えながら夫は息を弾ませる。
休暇を利用して旅に出た二人は、ちょうど満月にあたる今宵、散歩がてらに宿の近くにある城跡に行き月見をすることにしたのである。
せっかくなので酒と料理も準備した。これを持って行くのはもちろん夫の役目だった。
「そろそろ目的地のはずだが…」
疲れ切った声で画員が言うと、突然、琴の音が聞こえて来た。
「先客がいるようよ」
「そうみたいだな」
二人が進んでいくと琴の旋律ははっきりとしてきた。と同時に人影も見えた。見覚えのある姿だった。
「生員どの⁈」
座して琴を奏でる生員の前には高貴な女性と彼女に侍する十数人の老若男女の姿が見えた。
「何者なんだろう?」
夫の呟きに驚いた妻が聞いた。
「あなたも見得るの!」
子供の頃から当たり前のように妖かしや幽霊が視える妻とは異なり、夫はごく普通の人間なので本来ならば女性たちは見えないはずだ。それにしても、人ならざるモノを見ても平然としているのは自分の影響なのかなと妙に感心する妻だった。
二人はその場に立ち止まって琴の音を聴いていた。
演奏が一段落すると女性が二人をみて呟くように言った。
「今宵は客人も来たようだ」
「私の友人です」
生員が応じた。
「そうか、ならば歓迎の曲でも奏せよ」
女性が命じると琴の音が流れ始めた。心地よい調べに二人の瞼は閉じていき、その場に伏してしまった。
「相変わらず良き旋律だのう」
弾き終えた生員に女性は話し掛けた。
「恐れ入ります」
「年に一度きりだが、こうして我が一族が愛した曲が聞けるのは本当に有り難いことだ」
「身に余るお言葉、今の私にはこれくらいしか出来ませぬが…」
「いやいや、時が経っても変わらぬ汝一族の忠義には心から感謝する」
「とんでもございません。我が一族は現王室と姻戚関係になってしまいました…」
「気に病むことではない。今の国王は善き政(まつりごと)をしているのだろう?」
「はい、民は飢えることなく心安く暮らしております」
「ならば、よいのだ。余が現王朝の太祖に国を託したのは、この人物ならば民のためになると思ったからだ。与の判断は正しかっただろう?」
「仰せの通りで御座います。女王さまの英断は今も民の間で語り継がれております」
鳥の声混じりの琴の調べに画員と妻は目を覚ました。
「ようやくのお目覚めですね」
起き上がった二人を見て生員は微笑んだ。傍らには琴があり、手には杯があった。
「琴の練習をしようとここに来たら、お二人が気持ちよさそげに寝ていたので起こさずにいました。ちょうど側に酒瓶があったので、先に頂きました」
― 野外で寝ている人を見つけたら先ず声を掛けるでしょう、おまけに勝手に他人の酒を飲んだりして…。
妻は文句を言おうと思ったがやめた。というよりも
「生員どのは、昨夜はここで琴を弾いていたんじゃなかったんですか」
気になっていたことを夫が言ってくれた。
「いいえ、さっき来たばかりですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、お二人は夢でも見ていたのでしょう。それよりも酒と料理を頂きましょう」
生員は怪訝そうな二人に杯を渡すのだった。
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