第1章 覚醒編(ショタ期)

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廊下の板の間をドタドタ歩いてくるデタラメなリズムの足音。 カラリと開く障子戸。 「明けましておめでとうー! シオリちゃん、セイジー。みんなでカンパイするから、あっちの部屋に戻っておいで」 オヤジのゴキゲンな声。ちょっとロレツがあやしい。 「なんだなんだ。セイジは寝ちゃってんのかー? カメムシみたいなカッコして。苦しくないのかー?」 ……思い返せば、なんで「カメムシ」? 「カメ」と「ダンゴムシ」あたりがゴッチャになっちゃったんだろうけど。ヨッパライめ。 「おーい、セイジ。セイちゃーん。お正月がきたぞー!」 「…………」 うつ伏せのまま無言でカタクナに座椅子に丸くなってたら、毛布ごとヒョイッと後ろから持ち上げられて。仰向けに引っくり返されてダッコされた。 「セイちゃーん。ハッピーニューイヤー!」 「む……ぅー」おとうさん、すごく、おさけくさい…… 「あれぇ、イヤそうにムズカっちゃってぇ。パパ、ショックだなぁ。セイちゃん、オッキしてよー」 ヨッパライオヤジはヘラヘラ笑う。イタイケな息子にグリグリ頬ずりしながら。ピチピチの玉の肌に、ほんのちょっとだけ伸びた薄いヒゲが当たって。もう、やめてよぉ、おとうさん……くすぐったいし。おさけのにおい、ヤダもぉ。 「オッキしないと、チュウしちゃうぞぉ。ほら、セイちゃーん」 通好みの純米甘口の地酒でタップリうるおったオヤジの唇が、オレの顔中をベタベタ這いまくる。チュッ、チュッと湿った音をハデにまき散らして。もう、バカオヤジ。今も変わってないけど。 オレは、きつく閉じた目をギュウッとしかめて、頭を左右にフルフル振って。いわゆる「イヤイヤ」のポーズ。 シオリちゃんが、くふくふと控え目に笑いをかみ殺しながら面白そうに言った。 「やだー、おじさん。男同士でキスするの、ヘンタイだよー」 その直前まで、オレは、すごくいい気分だったんだ。調子こいてた。優越感にひたってた。シオリちゃんよりオレの方がエッチなことされたから。キイっちゃんに。 なんてゆうか……シオリちゃんよりオレの方が「上」って。「何が?」って聞かれると良く分かんないけど。バクゼンと、そんな優越感にひたってたんよ、とにかく。 けど、シオリちゃんのヒトコトで水をさされた。イッキに。背中からザバーッとコオリ水をブッカケられたみたいな。そんな感じ。 ―――オトコドウシデキススルノ、ヘンタイダヨ…… 当たり前すぎる人類の普遍的な一般常識で。誰もが知ってる暗黙の不文律。だよね、うん。シオリちゃんは悪くない。ぜんぜん悪くない。勝手にイイ気になってたオレがマヌケなだけ。むしろヤなヤツだよね、オレのが。けど、ごめん。オレ、シオリちゃんのことケムたくなっちゃった。ごめん。ホントに。ケムたくなっちゃったよ。女のコってゆうイキモノのこと。 一瞬前の優越感は、たちまち、救いようのない劣等感に。大逆転。一生ヒキズッテいかなきゃならないのかな、この感じ。バクゼンと不安を覚えた。それは、今も続いてる。あの日から。ずっと。ずっとずっとずっと。 オレは女のコを好きになれない。一生、愛せない。結婚もできない。きっと、一生。キイっちゃんのせいだ。キイっちゃんのせい。 モンモンとキイっちゃんを思い続けた。ずっとずっとずっと。マトハズレな恨み節と、行き場を見失った、憧れ? そんなニュアンスの思いを。たぶん、世間一般に転がってるありふれたニュアンスなんだろう、けど。オレの思考回路の3分の1くらいは、あの日以来、常にそのニュアンスで占められてきたんだ。それは多分ありふれてない、不毛な青春だよね。なんかダサいな、オレ。 キイっちゃんとは、一度も会う機会がないまま。親戚の集まりにも、じいちゃんの法事やばあちゃんの葬式にも、キイっちゃんは顔を見せなくて。 高校を卒業してから、そこそこの大学に進学したっていう話までは、オヤジを通してキイっちゃんのおじさんから仕入れた情報。 それ以降の情報は錯綜してて。すぐに中退して引きこもりになったとか、フラッと南米旅行に出かけたまま音信不通だとか。耳に入るのはアヤフヤなウワサ話ばかり。ニュースソースも不確かで。イトコなのに。親戚一同、キイっちゃんの名前を口に出すのはタブーみたいな空気になってたんだ。いつの間にか。 結局、確実な消息が伝わってきたのは、オレが小学6年生になったばかりの頃。 いつもより早く仕事が終わって帰宅してたオヤジは、イソイソと風呂場にいき、弟のためのベビーバスにお湯を張っていた。 オフクロは、濡れた手をエプロンで拭いてから5コール目くらいでキッチンの子機の受話器を取ると、すぐに血相を変えてオヤジを呼びに走った。パタパタとスリッパの音を響かせて。 オヤジも珍しく真剣な顔で。ヒジ上までシャツのソデをまくり上げた両手はビショ濡れのまま、テーブルのスミに転がった受話器を耳に当てた。 揚げたてのカラアゲをつまみ食いしようとキッチンに近付いてたオレを、オフクロがいきなり抱きすくめた。 「セイちゃん、セイちゃん! お母さんは、絶対にセイちゃんの味方なんだから。何をしても許してあげるから。もし、セイちゃんが世界中の人に責められるようなことがあったって、お母さんだけはセイちゃんを許してあげる。心配しなくてもいいの。どんなことだって笑って許してあげるから。だから、絶対に、何があっても、セイちゃんは、お母さんより先に死のうとしたりしちゃダメ! そんなの、お母さん、絶対に許さないから。セイちゃんを許さないから! 絶対に許さないからね!」 激しく取り乱して。えらく突拍子のない矛盾したイイツケで、オレをイチジルシク狼狽させた。どうしちゃったの、オフクロ? ……電話は、キイっちゃんちのおじさんからで。 キイっちゃんが『ブロバリン』っていうクスリをイッキに大量に飲んでしまって、昏睡状態になって病院に担ぎ込まれたっていう知らせだった。
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