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祖母
同族嫌悪という言葉がある。
血がつながった同性だからこそ嫌なしぐさ、態度が目につき嫌いになるということがあるのではないか。
思い返してみると、幼い頃から私は祖母に嫌われていた。
どういったところが原因だったのかは、幼かった私にはわからない。
自分の嫌いな部分の性格を如実に体現してみせてでもいたのだろうか。
気に入らない嫁への腹いせでもあったのか。
一点特筆するならば、私には普通の人とは違うところがあった。
私には恐らく死人が見えた。
場合によっては生人との区別がつかないくらいクリアに見えることもあった。
そのせいで、幼い頃はよく誰もいない場所に話しかけたりして気持ち悪がられることがあった。
「いい加減にしなさい!」
もう我慢も限界とばかりに、母に本気で怒られてはじめて私はそこにいる人が母の目には見えていないことに気づいた。
その後は注意深くそれが生人かを見極めてから話すようにしたので、その(母から見れば)奇行はなりを潜めたが、祖母の前でもそのようなことがあったのかもしれない。
だが、祖母からこの奇行についての文句を私が聞いたことはない。
だからいくら考えようが私が嫌われる原因は推測の域を出ない。
幼い頃の私は、共働きの両親の代わりをつとめてくれていた祖母が大好きだった。
祖母がというより、ただの生存本能的なものだろう。
子供の頃なんてそんなものである。
”家族”が自分を嫌いなはずはないと思っているし、世話してくれる人間は大好きなのだ。
幼ければ幼いほどそういうものだと思う。
私は当時両親と祖父母、弟と一緒に暮らしていた。
祖母は外面が良く社交的だったため、ご近所付き合いも良好でよく祖母と井戸端会議をしている姿を目撃していたし、ご近所のおばさんと習い事に通っていた。
反面、家の中では文句が絶えなかった。
嫁への文句、自分の意に沿わない行為をしてくるご近所さんへの文句。
それを常に私は聞かされていた。
常にと言っても、祖母は私だけがいる時にしかそのような話はしなかった。
つまり、祖母は幼い女の子に文句を聞かせ続けていたのである。
自分は正しいという前提に立ったその文句に、幼い頃の私はただ相手が悪いのだと思っていて、その異質感に気づきはじめるのは小学校も中学年になろうかという時期だった。
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