現実

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 いつもよりも遅めの昼食を取りに食堂へ向かう。時間が時間だけに誰もおらずがらんとしていたが、今は有難い。  持ってきた弁当を広げ、ちまちまと食べながら先ほどのことを思い出す。    五百蔵さんは私を助けるつもりはなかったんだろうけど、あのとき来てくれて、正直助かった。それと同時に虚しくなった。    もし、私が医者とか看護師などの専門性の高い職業だったら、あんな風に見下されるような言い方はされただろうか。もっと言えば、私が男だったらあんな威圧的な態度を取られただろうか。    今の仕事が嫌なわけじゃない。自分で考えて選んだ職業なんだから。  女に生まれたことを後悔しているわけでもない。面倒なこともあるけど、楽しいことだっていっぱいある。  そもそも、こういうときは自分の仕事の出来――この場合は初島さんへの対応――に問題がなかったのかを考えるべきで、職業や性別について考えるのは、あまりよろしくない。よろしくないのだが、やはり、どうしても……。    もやもやしながらも弁当は綺麗に平らげた。こんなときでも食欲は衰えないらしい。 「さっさと仕事終わらせて、今日は早く帰ろ」    弁当を片付けていると、五百蔵さんが入ってきた。 「あ、お疲れ様です」と挨拶をすると、五百蔵さんは光のない目で「お疲れ様です」と言いながら、白いビニール袋をテーブルに置いた。そして、中からコッペパンと牛乳を出し、無心でむさぼり始めた。  ドラマで見かける張り込み中の刑事みたいな食事だなと思いつつ、私は「さっきはありがとうございました」と声をかけた。 「え、なにがです?」 「初島さんのことです」  と頭を下げた。制服の件があるので、ここでは意識的に笑わないようにする。 「ああ、別に」 「上手く対応できなくて初島さんを怒らせてしまったんですけど、五百蔵さんが来てくれて助かりました」 「……あの」 「はい」 「本当に怒らせたと思ってるんですか?」 「はい?」  たぶん今の私はさっきの初島さん以上に間抜けな声が出たと思う。 「だって、どう考えたって初島さんの言いがかりでしょ。それを怒らせたとかって。本当にそう思ってるのかなって」 「いや、それは」 「思ってもないこと言わない方がいいです。別に事務員さんが悪いわけじゃないし」 「はあ」 「あの人、リハビリが思うようにいかなくて焦ってるんです。だから事務員さんみたいな人に当たってストレス発散してるだけなんで」 「そう、ですか」 「だから、嫌なことは嫌って言った方がいいですよ」  ハルハルそっくりの丸い鼻先が、まるで私を馬鹿にしたようにふいと他所を向く。 「……そうですね、アドバイスありがとうございます。お先に失礼します」  私は足早に部屋を出て、近くの更衣室へと逃げ込んだ。こちらも食堂と同様、時間帯的に誰もいない。 「なにあれ!」  無人なのをいいことに、私は音量など関係なく言葉を吐いた。 「言い方酷くない?っていうか何様のつもりだっつーの!しかも私のことずっと『事務員さん』って。名前呼べよ!あ、そうか、知らないのか、私の名前なんて知りませーんってことか!だったら名札見ようよ?そのための名札ですよ!これは私が作ったの!ついでにいうとあんたのも私が作ってやったの!」    電気もついていない薄暗い部屋に声が響くが、言いたいことを言うと少しだけ気が楽になった。 「はぁ……だめだ、今日は絶対に定時で帰ってやる」  その後、私は苛立ちを燃料にして、無我夢中で仕事をさばいていった。
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