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「あー、つーかーれーたー」
誰もいないのをいいことに、私は自宅に着くなりかばんを放り投げてソファーに飛び込んだ。
年度末でしかも今日は月曜だから普段の日より忙しかった。
週明けに電話が増えるのは仕方ないが、その内の半分がよく分からない業者の営業だったし、コピー機の紙詰まりがひどくて仕事が思うように進まなかったし、来客用のコーヒーのストックが無くなって近所のスーパーに買いに行ったら、うちの施設の利用者さんに出くわして『こんなところでなに油売ってるんだ!』って理不尽に怒鳴られた。
そして、あの人。五百蔵さん。
昼過ぎに通勤申請書を取りに来てくれたまでは良かった。こういう類の書類は忘れられがちだから、正直、ありがたい、って思ってしまって。だから私もちょっと油断して、事務所に来てくれた五百蔵さんに「制服、サイズ合っててよかったです」って話しかけた。ちょっと笑顔付きで。だって本当にサイズが合ってたんだから。
そしたらあの人、「何が面白いんですか」って、すごい冷たい目で言ってきた。
いや、別に面白くて笑ってるわけじゃなくて、人としてよりスムーズなコミュニケーションを取るために、少しぐらい笑顔の方がいいかなと思っただけなのに。
なのに、あの、言い方!
絶対、馬鹿にしてた。絶対に<笑顔垂れ流し女>って妖怪みたいなあだ名とかつけられた。
「しかもさぁ、金髪ってなに?」
菊田さんが言ってたようにうちの法人は身だしなみにうるさい。各病院や施設にマナー委員がいて、その人たちの目につくような恰好をしていたら即座に注意を受ける。
委員のさじ加減によるところも大きいが、総合病院は特に厳しいと聞いたことがある。
このご時世に見た目についてうるさく言うのもどうかと思うが、これが法人の方針なので、雇用されている以上は仕方ない。
私自身、他人がどういう髪型をしていようが気にしないが、五百蔵さんの金髪だけは困る。
そもそも二次元は、私にとって簡単に揺るがない世界だ。何かハプニングが起きても絶対に後からその理由が分かるし、キャラクターたちだって、劇的に見た目や性格が変わったりしない。
しかし、三次元は違う。理由が分からない事件が起きたり、数日で言っていることがガラリと変わる人はたくさんいる。激流のような現実を生き抜くためは、変わらない優しさをもった二次元が必要なのだ。
ハルハルと顔がそっくりってだけで驚いているのに、その上髪色まで変えられたらたまったものじゃない。自分勝手なのは百も承知だが、私のなかの聖域が浸食されるような感じがする。
「だめだ、ほんとに疲れた」
こういう時は心身の状態を整えなければ。風呂に入ってさっぱりし、上がったらすぐにアイスを食べる。今日みたいな日は食事を作るのも面倒だから、チーズとカニカマをおつまみにレモン酎ハイで晩酌しつつ、アプリを起動だ。お風呂はシャワーだけじゃなく、ちゃんとお湯に浸かろう。入浴剤も入れて。
「よし、自分の機嫌は自分でとっていこう!」
拳を上に突き上げ、自分で自分を鼓舞した。
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