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#011 魔女の契約 Unfair
暁を手当てし体力の回復を待ち、二人は不自然に取り残された倉庫の中へと入っていく。
そこは元々30式無人機動戦闘車があった倉庫。それが壊されていないという事は壊されては不都合なものがある事を露骨に物語っている。
「この左腕はオントロジーエコノミクスといって遺伝発現を調整するシステムのようなもの組み込んでいるのですわ」
セオリーは右手に薄く刻まれた電子回路のような痕を暁に見せつける。近づいて見なければ、分からない程の細い線がある。
膨れ上がった筋肉により適度に引き裂かれボトムスの間からも同様の痕が艶かしく映っている。
「簡単に言えば、レトロウィルスベクターに似たようなものですわね。ただ第一段階はメチル化して抑えていたDNAをアセチル化して発現させているだけで、何故私が高速で発現できるかと申しますと――」
「待て、分かった。もういい、これ以上聴いていると頭が痛くなりそうだ……」
「もう、頭が痛いのは私だって……」
まだ話したりないセオリーは暁から邪険にされてむくれる。
オントロジーエコノミクスも質量保存の法則には逆らっている訳ではない。使用の際には大量のカロリーを消費する。現にセオリーは空腹で仕方がなく、頭がくらくらしている。
「この辺かしら……」
倉庫の隅でセオリーは何もない空間に手を翳すと、ふっと手首の先が消える。
「ホログラムか」
「ええ、この辺一帯にもホログラムが張られていますの。それで誰にも気づかなかったのですわ」
「近隣住民は呑気で良いものだな」
「本当にそうですわね」
くすっとセオリーは失笑を漏らす。
「ただ音だけは消せませんので、きっと皆さんは近くで花火でもやっているのだろうと勘違いしているのでしょう。7月ですしね。日本では夏に花火をやるのでしょう?」
「ああ、最もこんなにスリルのある奴じゃないが」
死にかけた後だというのに皮肉を言って見せる暁の逞しさにセオリーは再び失笑する。
実際セオリーが調べた結果、周辺一帯に張られていたのはホログラムだけではなかった。
「正直に話しますと、電波もジャミングされていて、助ける事も連絡を取ることも出来ない状態だったのです。さて次は何のアトラクションかしら? 実に興味深いですわね」
「俺はもう勘弁してほしいのだが」
セオリーは知的好奇心の赴くまま、ホログラムの中へと足を踏み入れる。
そこには床に地下へと続く階段が設置されていた。足元に冷たい冷気が漂っていくる。
「冷気ってことは、大麻の栽培って感じじゃなさそうだな」
「ええ、断定はできませんが、それならそれで締め上げればいいのですわ」
セオリーは悪党に情けをかけることはしないの心情としている。
まるで異空間に迷い込んだような闇の中、暁を先頭にしてペンライトの明かりを頼りに二人は階段を下り始める。
埃っぽさと黴臭さが鼻を付き、静寂の中に互いの単調な足音と息遣いが反響し這うように伝わってくる。
「さっきは助かった。マクダウェル博士、アンタには感謝している」
暁は背を向けたまま語る。
「マクダウェル博士なんて他人行儀な……セオリーで良いですわ。それに感謝なんて必要ないでしょう? もう暁は私の実験体なのですから」
「……さっきも言っていたが、そのモノって何なんだ? 恋人とかそんな関係になれってことなのか?」
セオリーは「まさか」と言って妖しく微笑む。
「そんなものよりもっと深い関係ですわ。いついかなる時でも私の傍にいて、私の実験に付き合って貰いますわ」
暁の両頬へセオリーはそっと両手を伸ばし、優しく振れ、彼の瞳をじっと見つめる。
「もちろん命までは取りませんし、報酬も払いますわ。貴方が望むならなんでも……身体を望むのであれば私の身体を、愛を望むのであれば私の愛を、私ならMAOA遺伝子欠失を治すこともできますわ」
「じゃあ、クーリングオフで頼む」
セオリーは絶句し耳を疑った。狂気的な告白を容赦なく一刀両断されたのは間違いなかったのだが、聞き返さずにはいられない。
「……今なんとおっしゃいました?」
「俺が望むのはクーリングオフだけだと言ったんだ。俺が一方的にリスクしか負わない契約なんて認められるか」
「……暁、もしかして今、私の心と身体がリスクとおっしゃいましたか?」
「ご理解いただけてなによりだ」
淡々と女性の尊厳を打ち砕く暁の態度に、セオリーの堪忍袋の緒が切れかけた。
しかし今更断ろうとも後の祭りだった。なぜなら――
「もう遅いのですのよ? 先ほど手当差し上げていた時から既に実験は始まっているのですわ。それに男の権利を半分にして、義務を二倍にするという意味おいてこれは『結婚』とさして変わり無いのではなくって?」
セオリーはせせら笑っていいると、暁は立ち止まり意地悪にもライトの光を彼女へ突きつける。
「半分どころか全部のような気もするが……そんな身も蓋も無い話、今はどうでもいい。一体俺の身体に何をした?」
突き刺さるライトの光に「眩しいですのっ! ごめんなさいっ!」と謝りながらセオリーはライトを下げさせる。
「そ、そんなに怯える事はありませんわ。大したことではございませんのよ? ただ私の左腕と同じものを暁の右腕に埋め込みさせて頂きましたの。ヒトに扱えるかどうか試して見たかったのですの」
「他には?」
「いいえ、まだ何もしてませんわ」
暁は俄かに信じらないと言った顔をしていた。だが考えようによっては『恩恵』とも取れた筈で、それ以上何も言うことは無く、踵を返して再び階段を下り始める。
(意外にちょろかったですわね。まぁ、他にもいろいろ仕込んで差し上げたのは、今は黙っておきましょう……絶対に逃がしませんわ)
暁に気取れられないよう、セオリーは彼の背中を妖しく見つめ、舌舐めずりした。
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