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#007 猟犬の過去 Psychopath
一度公安部に戻った暁たちは、捜査状況を整理するため専用会議室でブリーフィングが行われる。
専用会議室は一つの執務机と、数十人が座れるようなU字型のソファーと応接テーブルがあり、会議室と言うよりはちょっとした応接室のようだった。
最初に選ばれたのはセオリー。レトロウイルスベクターと狼の歯型ついて影浦をはじめとするメンバーに噛み砕いて説明する。
「――狼は喉元へ的確に一撃を加えていたところから見て、専門の訓練を受けていたと見受けれれます。また、これは推測ですが、三島大臣の件から考えて、レトロウイルスベクターについてはGADSから一時的に逃れるために使用したと考えられますわ」
三島大臣は選挙の際、レトロウイルスベクターを使用し、政治家適性を上げた以外に考えられなかった。
「セオリー嬢ちゃん、それは予め二種類を用意しておけば、また元に戻ることは可能か?」
「可能ですわ。寧ろそちらの方が良いですわね。レトロウイルスベクターも完璧ではありません、乱用すれば癌のリスクが高まりますので」
しかし犯罪として立証することは難しい。データ改竄ならいざ知らず、遺伝子の改竄となると精々『経歴詐称』や『詐欺罪』と言ったところだろう。
引き続いて影浦が巧綾会の調査結果について話をし始めようとすると――
「遅くなった。オヤジ、タカさん」
「お、おお遅くなりましたっ!」
(猟師みたいな方と、随分大人しそうな方が出てきましたわね。本当に警察官かしら?)
綺麗に整えられた髭面で、見た感じ趣味人じみた風貌の男。分析班の岐部幸二。
そして、どう見ても警察官とは思えない挙動不審な眼鏡を掛けた地味な女性。同じく分析班の石寺千冬が現れる。
「遅いぞ、岐部、石寺、それでどうだった?」
至って事務的に叱責する穏田。遅刻については咎める様子も無く足早に話しを進める。
「ハードディスクは駄目だった。他の監視カメラの映像も周辺1kmのものは軒並みやられてやがる。ただ一つだけネット接続されていない監視カメラがありまして、そいつは大丈夫でした」
岐部は映像に出せと指で合図をすると、石寺は狼狽えながら端末を操作して、監視カメラの映像をスクリーンに投影させる。
映像の端に大型犬と人影が路地を走り去っていく姿が映っていた。
「この時間帯……俺が周辺で聞き込みをした情報と一致するな。周辺では巨大な狼をみたっていう目撃証言があり、それと黒のレザースーツを着た女を見かけたらしい」
「とっつぁん。ちょっと良いか?」
ふと、ソファーの端に座って寛いでいた筋骨隆々の大男、多田羅大治が徐に手を上げる。
「三島大臣の背後関係を洗っていたんだが、この大臣はセレスティアルクランクロニクル
とかいうVRゲームに一時期ハマっていたらしい。他の議員の中にもこのゲームをプレイしている多い。度々そのVRコミュニティに顔出していたんだが、選挙を境に妙な連中と付き合いだしてそれから来なくなったらしい」
携帯端末を操作して多田羅がスクリーンに画像を表示させた。CelestialClanChronicleという表題に天空の花畑と思わせる映像が映し出される。
「直訳すると天上の一族の物語かしら? 意味がよく分かりませんわ……大抵のゲームの表題はあまり意味をなしてなかったり、タイトルと内容が異なったりしますが……」
「嬢ちゃんの言う通りだな。多田羅、このセレスティアルクランクロニクルというのは調べたのか?」
「ああ、一応はな……どうやらそいつは巷ではかなり流行っているらしい。高校生の間では今まで無かった没入感で、ゲームから戻ってこない所謂廃人が社会問題にないつつあるらしい」
「要領を得ねぇな。暁はどう思う?」
ソファーに座らず、壁際で冷静にスクリーンを眺めていた暁。ブリーフィング早々から終始無言で何か考えている様子だった。
「とっつぁん。この事件の犯人は二人いる。レザースーツの女とレトロウィルスベクターをばら撒いている奴は別物だ。推測だが真犯人はそのVRゲームのコミュニティを使ってベクターをばら撒いている」
(あら、意外ね……)
意外に的を射ている暁の意見にセオリーは共感を覚える。
レトロウィルスベクターを裏で密かにばら撒くという巧妙さとは裏腹にレザースーツの女の方は、色々証拠を残し過ぎて詰めの甘さにセオリーも引っ掛かりを感じていた。
「ほう、そいつは同じ穴の貉だから分かるってことかぁ?」
「……ああ、そうだ」
嫌味たらしい不敵に微笑む多田羅の言葉に対して、冷淡にも似た冷静さで受け流す暁。
(……一体、何ですの?)
場の雰囲気が妙に重々しく変わり始めた空気に、セオリーは顔を顰める。
午後7時頃を回った頃、対策会議が終了し各自が持ち場へ戻ろうとする中、渋い顔をしながら退出していく影浦をセオリーは追いかけた。
「影浦さん。少しお聞きしたいことがあるのですが……」
「お、おう、どうした? セオリーの嬢ちゃん?」
影浦は鳩に豆鉄砲をした顔をしていた。彼を引き留めたのには訳がある。それは――
7月16日、首都高――
一夜明けて、セオリーと暁はについてセレスティアルクランクロニクルについて調べることになった。
車中ずっと暁は終始無言。いつも通り不愛想な顔つきだ。
(こればっかりは仕方がないとは言えないですわね……)
暁の横顔を見つめ、考え込んでしまう。彼がどうしてそうなってしまったかについて――
「どうした? 俺の顔に何か付いているのか?」
「い、いいえ、別に」
見惚れていたことに気付かれセオリーは心臓が口から飛び出しそうになる。
「どうせ、その様子だと俺の過去についてとっつぁんから聞いたか?」
図星を付かれセオリーの今度は肩が跳ね上がる。実のところセオリーは昨日の会議の後、会議中の雰囲気の変化が気になって、影浦から話を聴いてしまった。
最初は渋っていた影浦だったが、セオリーの真剣な顔つきに根負けして、暁の過去について話し出した。
「……なぜ、分かりましたの?」
「そんな顔をしていれば大体な」
「怒らないのですの?」
「……怒ったところで仕方がない。そもそもそんな情動は俺には無い。あるのは唯一つ、あいつとの約束を果たす信念だけだ」
暁は言葉とは裏腹に、彼の目に煮えたぎる怒りが満ちているようにセオリーには見えた。
(これは重症ですわね……)
暁がこのような性格になってしまったのも、GADS導入当初の人間の対応にに原因がある。
それは暁が当時大学生だった頃の話だ――
GADSが導入されて間もなくの頃、就職活動中の学生を対象とした企業合同説明会ではGADSによる企業適性診断が行われていた。
優秀な人材を集められるという魅力的なシステムに、多くの企業がこれに飛びついていた。
しかし、その説明会会場の血液検査で暁は――
『こ、これはっ!! サ、サイコパス予備軍っ!! す、直ぐに出ていなさいっ! 警備員っ! は、早くこいつを摘まみだせっ!』
暁に鵜も言わさない企業側の対応に会場が騒然とする中、理不尽にも警備員に摘まみだされた。
MAOA遺伝子欠失――暁はそう診断された。
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