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破
はね上がる心臓のわななきに応じるように、再びドアをたたく音が聞こえて、今度は不作法に、外から扉が蹴り開かれた。
そして、アタシと同い年くらいの男のコが診察室に飛び込んできた。
カーキ色のTシャツとネイビーブルーのジーンズに包まれた、敏捷な体躯。
爽やかな栗色の髪と、明るい茶色の大きな目。
小麦色の肌をしたあどけない頬に、いつでも毅然とした緊張感をただよわせている。
アタシの同級生、ケイだ。
「ついに血迷ったか、この"色狂い"めが……!」
時代劇みたいな芝居がかった口調が、ケイのクセだ。
そのうえ、実際に、時代劇に出てくる無敵の剣豪みたいに、ものすごくケンカが強い。
極度に内気で気が小さいアタシが、高校の同級生や上級生たちに、
「陰キャ」
「気取り屋」
「コミュ障」
などとカラマレるたび、ケイは、すぐに駆けつけて来てくれて、イジメっ子たちをコテンパンにやっつけてくれるのだ。
大人だって、全然かなわない。
半年前、パパが交通事故で死ぬ直前、ひどくお酒に酔って暴れてイキオイあまってまたアタシを殴ろうとしたときも、ケイは必死でアタシを守ってくれたっけ。
ディーは、アタシのノドから手を離して、スッと立ち上がった。
「なあ、ケイ。オレは、てめえがシャシャリ出てくるずっと前から、このガキの面倒を見て来たんだ。あんまりデカい口をたたくなよ」
……けど、勝敗はアッケなかった。
「問答無用!」
叫ぶなり、ケイが、ディーの頭めがけて、目にもとまらぬ後ろ回し蹴りを食らわせた。
"バキッ" と、効果音そのものみたいなワザとらしい音をたてて、ディーの首の骨が折れた。
「ごぼ……っ」
ディーは、気味の悪いうめき声をノドにつまらせ、真っ赤な血を吐き出しながら、部屋のスミにすっ飛ばされた。
それから、壁に打ちつけた背中をズルズル下まですべりおとすと、それっきり動かなくなった。
異様に細長く見える首が、ありえない格好に歪曲していた。
「こ、殺しちゃったの……?」
アタシは、カタカタと歯の根をふるわせた。
「ひどい、なんてコト……」
ケイは、とたんに、今まで一度も見たことのない怖い目つきでアタシをにらんだ。
「命の恩人に対して、なんて言い草だ、ユウ!」
「だって……だって……いくらなんでも、殺すなんて……」
「殺さなければ、己の命がなかったのだぞ?」
ケイは、チッと舌打ちをして、
「愚か者め。お前なんぞ、そこで、ずっと泣きべそをかいていたらいい!」
と、いまいましげに吐き捨てるなり、なぜか、とつぜん先生に歩み寄った。
そして、白衣の長身にしなだれかかると、アタシに見せつけるみたいに、キスをした。
「……・!?」
アタシは、ガクゼンと目を見開いた。
ケイは、コウコツと目を閉じて、先生の首に両手をしっかりと巻きつけている。
先生は、横顔でチラリとアタシを……面白そうに……一瞥したきり、すぐに視線をそらして目を閉じた。
「んん……っふ……ん」
ケイは、唇の合わせ目から甘ったるい吐息をもらして、タイトなジーンズに包まれた格好のいいお尻をクネクネよじらせた。
「や……やめて!……ケイ……っ!」
アタシは、ふたたび勢いよく立ち上がった。
「ほう? 一人前に、嫉妬しているのか?」
ケイは、先生の肩にうっとりと頬をもたせかけながら、意地の悪い笑顔を浮かべた。
「でも、今度ばかりはオマエのいいようにはさせんぞ。オレも独占したい。苦痛だけじゃなくて、快楽を」
ケイの大きな瞳の奥に、ゾッとするような暗い光がキラめいて、アタシを射すくめた。
「ヒトリジメしたいんだよ。ユウを、殺してでも……」
―――何……? 何を言ってるの……ケイは?
アタシは、呆然とアタマをかかえた。
―――みんな、どうしちゃったの?
恐怖と、疑念と、たとえようのない心細さと。
グルグルまわりながら、かわるがわる鼓動を打ち鳴らす。
まるで耳元に心臓があるみたいに。アタシ自身の鼓動が、大音量で鼓膜をわななかせる。
ドックン、ドックン……
ドクン……ドクン……ドン……ドン……
"ドン……ドン……ドン、ドン、ドンッ!"
―――ああ、また、ノックの音……
つぎに現れたのは、エルだった。
「もうおしまいだわ、ケイ……」
シンプルなスーツに身を包んだエルは、アップにまとめたミルクティー色の髪が映える品のいい顔に、銀ブチのシックなメガネをかけていて、いかにも才女らしい容貌をしている。
アタシの専属の家庭教師だ。
「わたしたち全員が、先生に好意を抱いてしまったこと。ユウには絶対に内緒にする約束だったでしょう?」
キビキビした澄んだ声。
才色兼備の、エル。
「これでは、すべてが崩壊してしまうわ……」
「ほざけ、偽善者。忌まわしい魔女……!」
ケイは、ギラギラ燃える目で、エルをにらんだ。
「お前こそ、崩壊の元凶だ! オマエがユウの父親の車に細工して、事故死に見せかけて殺したのだから……」
衝撃的な告発は、けれど、ケイ自身の苦しそうな喘ぎ声に、途中でカキ消されてしまった。
「エ、エル……!? まさか……お前が……?」
ケイは、血の気をなくした真っ青な顔をして胸をかきむしりながら、その場にアオムケに引っくり返った。
「アナタがいけないのよ、ケイ」
エルは、フウッとため息まじりに、
「身のほど知らずの反乱を企んだりするから」
と、細い指先でメガネの縁をそっと抑えながら、
「だから、コッソリ毒を盛らせてもらったわ……」
「ぐ……ぅぅぅ……ぐるるる……っ」
ケイは、黄緑色の吐しゃ物を口角に泡だたせながら、しばらく絨毯の上をゴロゴロのた打ち回った。
それから、血走った両目をひんむくなり、全身を大きく痙攣させると、それきりピクリともしなくなった。
「さあ、ユウ。ついに、わたしと、あなただけになったわね」
エルは、自信たっぷりに微笑んだ。
「こうなった以上は、わたしも、遠慮はできないわ。ねえ、先生? あなたは、わたしとユウ……どちらが欲しいの?」
「…………」
……先生は、まるでヒトゴトみたいに、無言で小さく肩をすくめた。
エルは、キレイな細い眉を片方だけ吊り上げて、冷たい視線をアタシに戻した。
「わたしたち自身で選ぶしか、ないようね」
そう言って……スーツのスカートのポケットから、カッターナイフを取り出して……
"チキ・チキ・チキ・チキ……"
と、耳ざわりな音をたてながら、大きく刃を伸ばした。
後ずさろうとするより先に、エルが、しなやかな痩身を躍らせて跳びかかってくると、アタシをアオムケに押し倒した。
左手でアタシのアゴをオサえ付けながら、右手に持ったカッターの刃先を顔面めがけて振り下ろそうとする。
アタシは、しゃにむに手足をバタつかせて、抵抗した。
アタシたちは、そのまま手あたりしだいに互いのカラダをつかみ合いながら、死にもの狂いで絨毯の上をもつれあった。
そうして、上になったり下になったりしているうちに……
「クウ……ぅっ」
カエルがシャックリでもしたかのようなバカげた声をもらしながら、いきなりエルが、上体をのけぞらせた。
アタシは、あわてて彼女のカラダの下を抜け出した。
カッターの鋭利な刃は、いつの間にかエルのノドを真横に切り裂いていた。
「ぐるるるるるる……・」
パックリ割れた白いノドから気管をもれた空気があふれて、ほとばしる鮮血をブクブクと泡立たせた。
ふき出す血が、アタシの視界を埋め尽くす。
赤く……赤く……赤く……すべてが真っ赤に……
「……おめでとう、ユウちゃん。よくやったね」
遠ざかっていく意識の中で、先生のおだやかな低いササヤキ声が、アタシの耳をくすぐった。
―――そうだ……アタシは、アイツらに勝った……
アタシは、満ち足りた気分で目を閉じた。
……先生は、もう、アタシだけのもの……
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