第一幕

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こうなると、国外からも熱狂的なニーズが押し寄せ、輸出販売も勢いに乗る。 とりわけ、蚊が媒介する伝染病の感染率が高い熱帯・亜熱帯などの地域においては、救世主のようにありがたがられた。 この奇想天外にして素晴らしい内服防虫剤を思いつき開発に従事したアオイケ博士には、ノーベル賞も間違いなしとの呼び声が高い。 伝染病対策に目覚ましい発展を捧げ、世界中の人々の公衆衛生に貢献したとの理由から、科学賞のみならず平和賞とのダブル受賞こそふさわしいのでは……と推奨する世論も強い。 当然、メーカーA社の利益は激増、株価も爆発的にウナギのぼり。 開発チームには破格の年棒がずっと約束され、役員から清掃パートのおばさんに至るまで社内一同に異例の臨時ボーナス支給という大盤振る舞い。 皆そろってホクホク顔なのである。 だが、栄光のかげには、必ずといっていいほど苦汁(くじゅう)をなめるものがいる。悲しいかな、世の摂理。 光が大きければ大きいほど、その影も深く濃くなるものらしい。 すなわち、メーカーA社の大躍進のおかげで、同業他社は一様に大ダメージをくらったのだ。 蚊対策用の既存の殺虫剤や防虫スプレーは、消費者から見向きもされなくなった。 人のいる場所そのものを蚊が避けるから、蚊取り線香のタグイの需要も目に見えて右肩下がり。 そのうえ、A社に対する圧倒的な信頼度の高まりにより、蚊除(かよ)けばかりでなく、ハエやゴキブリ対策用の殺虫スプレーの売り上げにおいても、ジワジワとシェアを奪われはじめた。 殺虫・防虫剤市場は、A社のブッチギリ独走態勢と化したのだ。もはや誰も追いつけない。 ものの2年とたたぬうちに、同業他社の多くは、商品の販売規模の縮小を大幅に余儀なくされた。 体力のとぼしい業者にいたっては、殺虫剤や防虫剤関連の製品の取り扱いをいっさい中止せざるを得なかった。 キミドリ博士がチーフとして所属していたK製薬の殺虫剤開発部門も、A社の内服防虫剤の販売開始から間もなく閉鎖の憂き目をみた。 「クソッ! アオイケ博士め……」 自宅の書斎に引きこもったキミドリ博士は、握りコブシで何度も机を叩きながらギリギリと歯がみした。 何を隠そう、このキミドリ博士、くだんの内服防虫剤の発明者であるアオイケ博士とは旧来の幼なじみなのだ。それも、幼稚園にはじまり、小・中・高校、大学までも、ずっと同窓生として過ごしてきたほどの。 2人とも幼いころから目立って頭が良く、同郷のせまい町内において共に神童のほまれ高かったから、自然と互いを意識するようになり、学生時代は常に首席をはりあい切磋琢磨(せっさたくま)しあった。いわば、宿命のライバル。 拮抗(きっこう)したライバル関係は大人になっても続き、やがて、それぞれが別々の企業の研究室で、より優れた害虫駆除剤を開発することでシノギを削っていたのだが、ここにきて、ついに積年の勝敗が決したというわけだ。 伯仲(はくちゅう)していたかに見えた実力の差をイッキに引き離された格好で。 ……かたやアオイケ博士は次期ノーベル賞の有力候補、対するキミドリ博士といえば、みずからが率いていた研究チームを解散させられ、企業からオハライ箱になったのだから。 「ヤツめ、さぞやオレをせせら笑っていることだろう。ええい、イマイマしい! あの野郎!」 キミドリ博士は、家じゅうに響き渡るような大声で怒鳴りまくってから、悔しさのあまりワンワン泣きわめいた。 物心ついた幼少期にはじまり、中性脂肪の数値がちょっぴり気になりはじめる昨今に至るまで、ずっと周囲の人々に天才奇才とモテハヤされて生きてきたものだから、なにしろヒトナミはずれて自尊心が強いのだ。高々とセセリ上がった鼻は年季の入ったスジガネ入り……それを根元からヘシ折られれば、ひとしきりパニックにおちいったのもムリはない。 あられもなく床の上を転げまわり体中の水分が枯れるまで泣きじゃくると、ようやくキミドリ博士は起き上がった。 ヒックヒックと子供のようにシャクリあげながら、真っ赤に濡れたマブタを白衣のソデでゴシゴシとこすり、 「このままアイツを調子づかせてばかりなるものか。目にものみせてやる!」 と、(まことにヒトリヨガリな)復讐を心に誓った。
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