第二幕

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第二幕

「この恨み、はらさでおくべきか」 時代錯誤で物騒なセリフを吐きながら、キミドリ博士は、ハタ迷惑なヤツアタリ……もとい、崇高(すうこう)な報復を遂げるべく、いざ、人里離れた山奥に単身で乗り込んだ。 内服防虫剤の定着により、蚊の活動区域が人のいない場所に移ったことはすでに述べたとおりである。 キミドリ博士は、あえて、その失われた蚊の姿を求めてきたのだ。 真っ青な空に入道雲がもくもくとそびえ広がる夏の日。背後の雑木林からのセミの合唱にせきたてられるように白いヒタイからどんどん汗が噴き出すのは、慣れない野外の日差しのせいばかりではなかった。 ヒザくらいの高さまで生い茂る雑草を踏み分けて、なるべく起伏のない平地を探し出すと、キミドリ博士は、リュックサックの中から自身の発明した「蚊寄せ線香」を引っ張り出し、火をつけて地面に設置した。 すると、さすがはアッパレ、われらがキミドリ博士の会心の自信作。 ユラユラとケムリが空中に立ちのぼるやいなや、ヤブの中から無数の蚊が「プーン……」と羽音をふるわせながら集まってきた。 ものの10分もすれば、ケムリの流れに沿って、さながら黒い竜巻のごとく柱状に群れが密集してきた。 待ってましたとばかり、キミドリ博士は、杖がわりにたずさえてきた非常に目の細かい虫採りアミをヒラリふりあげるや、文字どおり一網打尽(いちもうだじん)に捕獲した。 線香が燃え尽きるまでに、なおも7~8回ほど蚊の集団をとらえ、プラスチックの補虫ケースに密閉してリュックサックに詰めると、ゾッとするような異様な笑顔を満面にたたえ、帰宅の途についた。 それから三年目の夏。 世界中に反響を巻き起こし空前の大ブームとなったアオイケ博士の内服防虫剤の売り上げは、季節を問わず蚊が発生し続ける熱帯の地域では年間を通して横ばいに落ち着き、日本を含むそれ以外の地域においては、オンシーズンでも極端に減少する傾向を見せはじめていた。 蚊の生息域そのものが人間の生活圏から大きく退いたために、日常生活においてその姿を目にする機会がなくなると、消費者の危機感もすっかり薄れたのである。まあ、当然といえば当然の成り行きであろう。 特筆すべきは、ここからで。 すでに廃盤(はいばん)()き目を見ていたはずの我らがキミドリ博士の「蚊寄せ線香」が突如としてインターネットのオークションサイトに出品されるやいなや、市場で販売されていたときの数十倍もの高値で次々に落札されたのである。 賢明なる読者諸君には言うまでもなく、この出品者はキミドリ博士そのひとである。 三年前、全国からの大量発注を見込んで工場フル稼働で製造されるなりたちまち販売中止となってしまった不遇な自分の発明品を、博士は……なかばヤケクソで……私財のアラカタを投げ打って買い取っていたのである。 おかげで恋女房は、不毛な見合い結婚の顛末(てんまつ)に対する慰謝料の請求書を添えた三下(みくだ)り半を置いて実家に帰ってしまったが、その悲しみと嘆きもまた、アオイケ博士への復讐心をいっそう増幅する燃料となり、私財の残りと退職金のすべてもそれに注ぎ込むことに微塵(みじん)躊躇(ちゅうちょ)もなくしてくれた。 かくしてキミドリ博士は、自宅をリフォームした私設の研究室で、たぐいまれなる灰色の脳細胞をフルに活性し、新たなる研究に没頭すること三年。見事にその執念を結実けつじつさせたのだ。 ここでまた改めて振り返るが、そもそも、どうして“蚊”は、これほど人々に忌み嫌われるのか? まずなんといっても、土着(どちゃく)風土病(ふうどびょう)を有するような地域では、その病気を多くの人々に感染させる恐れがある。ヤツらは、まさに使いまわしの注射針よろしく不潔で危険な存在。小さな死神だ。 だが、そうした風土病のリスクがない国々では、伝染病に対する不安を意識することさえ少ない。 それでも人々は蚊をおおいに嫌う。小さな羽音がプーンと耳元をかすめるだけで大抵(たいてい)あわてふためいて、顔のまわりを両手でしきりに振り払う。 毛ほども痛みを感じさせず、ほんのわずかの血液を拝領(はいりょう)して去っていく、ただそれだけだったら、たとえ我々が良寛和尚(りょうかんおしょう)ほど慈悲深くはないとしても、ヤツらのほんのササヤカなを不問に付すこともできるだろう。 いかんせん、ヤツらは目立ちたがりの怪盗きどりで、みずからの犯行の痕跡(こんせき)を必ず残していく。 すなわち、犯行場所をプックリと赤く腫らして、あまつさえ、数日間におよぶかゆみを負わせるのだ。 これがいけない。非常に不愉快で腹立たしい。人々がヤツらを嫌悪してやまない所以ゆえんだろう。 そこで、我らがキミドリ博士は考えたのだ。この小さくもうっとうしい吸血鬼どもが、人々から愛されるようになるには、どうすべきか。 どのように“改造”してあげればよいか……?
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