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当日は満月が早くから山の端に昇り、星の見える晴れた宵になった。
やぐらを組んだ枝には火が放たれ、人々の影は地面に濃く踊っている。草木の萌えいずるにおいと夜の澄んだ空気があたりに満ち、興奮に似た笑い声があちこちで起こる。隼人もよく知っている祭りだった。菊の節句が近いこの月は、収穫祭もかねて満月の夜に嬥歌が開かれる。それが里の若い衆が主役の祭りであることを、隼人は初めて知る思いだった。
昔はやぐらの火をめずらしく眺めていた。このように大きく火をおこすことを、幼い、里に来たばかりの少年は知らなかった。自然と火のそばに集まり、同じ影を踏みしめる人々を見つめながら、いつかこの輪に入る日が来るのだろうかとボンヤリ考えた。でもそれは、そうなったらいいと思って考えたわけではなかった。隼人はそれを他人事として眺めていた。この年になってもそれは変わらない。そうする理由が見つからなかったのだ。隼人の性質はどこか遠くへ流れていくものであり、ひとところに留まるものではないことを、幼いながらに隼人は知っていた。
よく梳いた髪の上に花飾りをつけている里の少女たちを見ても、隼人はかける言葉をもたなかった。そうしているうちに、ひとりふたり、祭りの輪から外れるものがいた。誰かに呼びかけられた少女たちだ。そうとかかる相手がいない隼人にとって、出遅れてしまうのは仕方ないことだった。そうしていれば里でいずれ居場所を失うこともわかっていたが、こればかりはどうしようもなかった。
(小さい頃と同じだ。俺はこの里に、いつかいられなくなる自分を予測していた。この年になって、それがわかっただけだ)
そう思うものの、まわりが皆たのしそうにしている祭りのなかで、ひとり佇むのは寄る辺のなさが身にしみることだった。次第に若い、同年の者が姿を消し始めると、とうとういたたまれなくなって隼人はやぐらを離れ、誰もいない林へと歩き始めた。
(今年はまぬがれても、来年は親父さんも見逃してくれないだろう)
そう思うと暗い水を呑んだように、隼人の胸のうちは重く沈んだ。この里で暮らすなら、隼人もここで身をたてるしかないのだ。その未来をまったく思い描くことができないことを、助久にはとても言えそうになかった。今朝、首飾りを返そうとしても、助久は受け取ろうとしなかった。しかし今の隼人はどうしても、それを持ち得るだけの資格が自分のなかにあるとは思えなかった。
そんな暗澹たる気持ちで明かりの少ない道を歩いていたため、隼人は木立に舞い降りるものがあるのに気づかなかった。バサッと近くで羽の音がして、隼人は目線をあげる。梢のひとつにとまっているのはカラスだった。
(そういえば、贈りものの玉飾りをカラスにうっかり取られた話があったっけ)
そう思いながら近づくと、カラスも身じろぎせず大きな黒い瞳で隼人を見た。
(ずいぶん人に馴れているんだな)
そう思った矢先、カラスはその大きなくちばしを開けた。
「ふうん、本当に普通の子なんだな」
隼人はギョッとして耳を疑った。それは少年のような声だった。
辺りに他の人の気配はない。どう見ても、目の前のカラスが隼人に喋ったようにしか見えなかった。
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