一 邂逅

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「なんだ、お前は」  聞きまちがいかと思って隼人は言った。  カラスは胸をそらせると、一対の目を闇に光らせた。 「真尋(まひろ)に言われてわざわざやってきたんだ。今日は祭りだろう。お前ひとりだけ群れてないからすぐわかった」 (余計なお世話だ)  驚くよりも先に腹が立った。どうしてかわからないが、このカラスは本当に人語を話している。隼人はカラスが口にした名が気になった。 「まひろって、誰のことだ」  カラスは少し羽をふるわせた。 「大きな筆をもった女の子さ。その姿を、お前見ただろう」  隼人は息を呑む。 (じゃあ、このカラスはあの子の使いなのか)  そう思うとますます興味が湧いたが、カラスは隼人にむかい素っ気なく言った。 「あそこには特別な結界が張ってあったのに、それをやすやす越えて来たからさ。ちょっと様子をみるように言われたんだ。でも俺が見たところ、全然普通のやつみたいだし」 「俺は普通だよ」  カラスの言葉に隼人はムッとした。 「お前らこそ、一体なんなんだ」 「俺はヤスケ」  カラスはそう名乗ると羽を広げた。隼人が少しひるむほどの大きさだった。 「俺の名を覚えてくれるとうれしいな。まあ、もう会うこともないだろうけど。俺は真尋の言葉を伝えにきたんだ。『あの境界を、もう越えてくるな』 それが彼女からのお達しだよ」  脳裏の奥に、鋭い眼差しが浮かんだ。  言われなくても、そうであることはわかっていた。あの目が、隼人にこれ以上あそこに踏み入ることを許さないのだ。だからこそ彼女を知りたい気持ちもあった。 (そうか、あの少女は真尋というのか)  知ってしまった以上、あとには戻れなかった。 「お前が喋るのも、その真尋っていう少女の力なのか」  少女がもっていた、大きな筆が浮かぶ。  あの紙から生まれ出でようとしたもののことを考えると、あそこに行くのは確かに危険なことであるのかもしれなかった。ヤスケはむくれるように羽をそらせて言った。 「人語を解するなんて簡単だよ。お前たち人間がおごっているだけだ」 「あの少女は、真尋は何ものなんだ」  拒まれてもそれを知りたかった。  ヤスケは大きな目で隼人を見つめると、ふいにくちばしを開けた。 「真尋の敵じゃないなら、お前はそれを知らないほうがいい」  ヤスケは両方の風切り羽を広げた。隼人の方をまっすぐ見下ろして言う。 「じゃあな、坊主。今日は祭りだろう。こんなところにいつまでも立ってないで、人間らしくせいぜい楽しめよ」 「隼人だ」  小さな子どものように言われるのが癪にさわって隼人は言い返した。ヤスケはその言葉に答えることなく翼を広げて梢から飛び去っていった。乗っていた枝がふるえ、黒い羽がいくつか舞いおちる。  隼人はカラスが消えた方角を見つめながら、しばらく動くことができなかった。 (人間らしくだって? じゃああの子は人間ではないとでも言うのだろうか)   隼人のなかで、その考えを打ち消すものがあった。 (あの子は人間だ。だからこそ、俺はあの子に惹かれている)  隼人がもし贈りものを誰かに渡すとしたら、あの少女だった。カラスを使者にしたてて寄こすような人間離れした力をもつ少女。胸の内に隠しもったメノウの首飾りが重かった。この里を離れることになるとしても、まだここにはやることが残されている。隼人はそう決心を固めながら、カラスの去った方をいつまでも見つめた。 ***
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