一 邂逅

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「ここは里のなかとはまるで違う。それは君の結界のせいなんだろう」  少女はその目つきを変えなかった。 「お前がここに来たのはこれで二度めだ。ずっと知られぬようにしていたのに。お前は里のものたちとは違う。お前に吹く風が、そうさせるんだ」 (俺が――何だって?)  予期せぬことを言われて隼人は一瞬言葉を失った。孤立して見えたのが滑稽に思えるほど、目の前の少女は隼人に容赦がなかった。  でも彼女が人であることは確かで、少なからず隼人はそのことにホッとした。最初に見たときの様子を思いだせばだすほど、その自信がなくなっていく気がしたのだ。頬を染めて唇をひき結ぶ少女には生気があふれており、精霊のように手で触れられぬものだとは思えなかった。 「文手(ふみて)のわざを狙っているなら、あの筆を奪ってもむだだ。あれは私にしか生みだせないもの。わかったらここを去れ。次に会うときは無事じゃすまなくなるぞ」  一気にそうまくしたてた少女は、言い終えるときびすを返して茂みのなかに消えた。隼人は何も言えないまま、ただその場に立ちつくす。 (文手――?)  そうしていると頭上で羽音がたち、隼人をとがめるような声がした。 「そんなにボサッとするなよ。みっともないなぁ。真尋が気になるのもわかるけどさ。もう来るなって、はっきり伝えただろう」  あの夜いきなり現れたカラスだった。  隼人はげんなりして、その声の主、ヤスケにむかい言った。 「俺はべつにあの子の敵じゃない。それをお前はちゃんと伝えたのか」 「なんで俺が真尋とお前の仲をとりもたなきゃいけないんだよ」  ヤスケは負けずとそう言い返す。隼人はふいに口調を改めた。 「あの子の言った、文手とは何のことだ」  ヤスケは肩をすくめるような仕草をした。 「これだからなぁ。人間っていうのは、全然人の話を聞かないんだ」 (お前はカラスだろう)  そう言おうとして、隼人は口をつぐんだ。  少女――真尋が、あの筆をもち、もう一度現れたからだ。  小袖のたもとには白いたすきがかかり、そでが乱れないよう縛ってある。真尋は羽ばたいたヤスケにむかい言った。 「その男と馴れあうのはやめろ」  言うと、刃の切っ先をむけるように筆をつきだした。 「お前がどうしてもここを出て行かぬなら、こちらにも考えがある」  おどしのなかにもヒヤリとするものを感じる口調だった。  何といってもこの少女には、喋るカラスや人智を越えたものがついているのだ。穏やかならぬものを感じながら、隼人には真尋がここまで硬化する理由がわからなかった。 「このカラスに調べさせて、俺が普通の人だというのはわかっただろう。あの所業には本当に驚いたが、それだって里のものには言っていない。言って信じてもらえるようなものでもないし、うまく説明できるとも思わない。俺はただ、きみに会いにきたんだ。ここまで言っても信じてもらえないのか」  真尋は何も言わずに隼人を見つめた。何の感情も読みとれない視線だった。  沈黙が続いたのち、頃合いをはかったようにヤスケが言った。 「そいつの言ってることは本当だよ。こいつは呪をかけるものとは違う」  ヤスケはそう言ってからつけ加えた。 「でもさっき真尋が言ったことも正しい。こいつは只人のくせに、門の開く場所がわかるんだ。今日は入り口を変えておいたのに、それでもこいつは見つけることができた。獣なみに鼻がきくんだよ」 (誰が獣だって――)  憤慨した隼人が言い返そうとすると、真尋は後ろ手にもっていた和紙をサッとひろげた。 「もういい」  筆の先がみるみる青白く染まる。右手で筆を大きくもちかえ一閃。  その内側が光をもち始める。 (同じだ。あのときと)  隼人は目をそらすことができなかった。  それはひとつの形をとり始める。きらめく銀のうろこ。淡く光る背が蛇のようにねじれて動き始める。それは一回大きく紙の上で波うったかと思うと、頭をもちあげて氷のような双眸を隼人にむけた。たった今筆から生まれ出たとは思えない存在感をもって、それは隼人を威圧するように迫った。 (だめだ、呑まれてしまう)  龍はその口を目の前で大きく開けた。何かに包まれるような、生ぬるい感触。  不思議と痛みはなかった。  ――が、直後、足場をなくすように隼人はもう何もかもわからなくなった。
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