一緒にいるためにできること

1/1
前へ
/14ページ
次へ

一緒にいるためにできること

 チチチッと小鳥のさえずりが聞こえる。まどろみの中でウトウトしていると、ベッドが軋んで、こめかみにキスを落とされる。  そのまま寝たふりをしていれば、さらに頬や鼻先に口づけられた。  次第に悪戯するように、Tシャツの中に手が滑り込んだので、礼斗は重たいまぶたを開く。 「あ、起きた?」 「気づいてて、やってるんだろ」 「アヤが可愛いからだよ」  寝返りを打つと、自分を見下ろしていた直輝が至極幸せそうな笑みを浮かべた。  その顔に手を伸ばし、頬を撫でれば、そっと近づいてくる。やんわりと唇に触れた感触に、礼斗の口元が緩んだ。 「まだ時間あるから、ちょっとする?」 「馬鹿、昨日の夜も散々しただろう。あんたは毎度毎度そうやって」 「昨日の夜もアヤ、可愛かったね。もう自分から腰振っていやらし……ごめんっ、ごめん! えっちで可愛かったから、つい」  ニヤニヤとし始めた、直輝の両頬をぎゅっとつねると、涙目になりながら礼斗の手を叩いてくる。それでもさらに指先に力を込めたら、泣きながら何度も許してと謝られた。 「ほっぺた腫れた気がする」 「このくらいで腫れない」 「でもすごいヒリヒリする。赤くなってない?」 「ほっとけば治る」 「ここにキスしてくれたら治るかも」 「図々しいぞ」  ちょんちょんと頬を指さす直輝に、礼斗が目を細めたら、途端にしょぼんとする。その情けない顔が可愛くて、無条件に甘やかしてしまうのは、少しばかり意志が弱すぎる気がした。  それでも腕を引き寄せて頬に唇を寄せると、嬉しそうにはにかむので、プラスマイナスをゼロにする。 「直輝、くすぐったい」 「だってアヤが可愛い」  キス一つでご機嫌になった直輝は、にこにこと笑いながら、お返しとばかりに何度も顔にキスを降らす。あまりにも無邪気に笑うので、礼斗もつられるようにやんわりと笑った。 「アヤ、可愛い」 「さっきからそればっかりだな」  顔中にキスをしたあと、引き寄せられるように唇にもキスをして、礼斗は直輝の両頬を手の平で撫でた。すると彼は胸元にすり寄り、甘えるように身体を寄せてくる。  両腕にきつく抱きしめられて、照れくさい気持ちになった。 「朝ご飯、食べようか。できてるよ」 「うん。って、できてるなら、早く言えよ。冷めるだろう。顔を洗ってくる」  いま思い出したかのような話しぶりに呆れる。鼻先をつまんだら、直輝はふがっと変な声を出した。 「そうだ、コーヒー豆、新しくしたんだけど」 「あんたはなにを飲んでも、一緒じゃないのか?」  身支度を調えリビングに戻ると、いつものようにコーヒーの香りが漂っていた。しかし匂いで違いがわかるほど、礼斗はコーヒー通ではない。 「えー、最近は牛乳は三分の一だし、砂糖は二杯になったよ」 「それってあんまり、というか全然変わってない」 「俺もいつかブラックを飲めるようになる!」 「そこは頑張らなくてもいいと思うぞ」 「アヤが色んなこと頑張ってくれてるのに、俺がなにもしないわけにはいかないよ。少しずつ二人の丁度いいところ探そう」 「うん」  マグカップを持った直輝に促されて、ダイニングテーブルに足を向ける。二人掛けのテーブルの上には、トーストとサラダ、コーヒーと半熟の目玉焼き。  二人で向かい合って両手を合わせ、直輝は醤油、礼斗はソースを手に取った。 「今日のミーティングは、来週の打ち合わせについてだったな」 「新規の顧客だから、対応は考えないとね」 「そうだな。まあ、あんたならうまくやるだろう」 「信頼してもらえるのは嬉しいけど、結構プレッシャー」 「大丈夫だって、代表が担当なら向こうだって、……期待は大きいかな」 「そうやって追い打ちかける」  恨めしげな目をして見つめてくる直輝に、ふっと礼斗は笑みをこぼした。けれどすぐに素知らぬ顔で、トーストに目玉焼きを載せてかぶりつく。  パラパラとこぼれる、パンくずを払い皿へ落とすと、さらにもう一口。 「でもアヤがいてくれて、心強いよ」 「そうか? それならいいけど」 「アヤを獲得するために、俺たちがどんなに死力を尽くしたか」 「こっちも辞めてくれるなって、泣きすがられて大変だったんだぞ」  あれから直輝は予定通り元の会社に戻り、そのあと独立を果たした。しばらく忙しくて会えないだろうと、そう思っていたところに、突然の礼斗へのヘッドハンティング。  雇用条件は、できたばかりの会社のわりになかなか良くて、新しいことに興味が湧いた。一番の理由は直輝がいる場所、という邪なものだ。  とはいえ新しい環境は居心地が良くて、選択に間違いはなかった。 「アヤ、あっちの家はもう片付けた?」 「あー、うーん、まあ」 「来週引き払うんだよね?」 「その予定だ」 「持ってくるのは、服だけでいいよって言っただろ」 「そうなんだけどな」  最近はずっと、直輝の新居に入り浸っているので、早く引っ越して来いと、管理会社に電話させられた。  しかし時間はあるのだが、私生活が面倒臭がりの礼斗は、荷造りがいつまで経っても終わらない。 「もう! 俺が片付けるよ」 「うん、悪い。頼む」 「最近のアヤは素直でよろしい」 「うるさいよ」 「可愛い、可愛い」  じとりと礼斗が目を細めれば、直輝は締まりのない顔で笑う。近頃の彼はこれまでにも増して、よく笑うようになった。それは彼だけではなく、礼斗自身もだ。  毎日のように喧嘩していた、あの頃が嘘のようだった。ほんの少し自分たちの譲れなかった部分を、譲歩し合っただけだというのに、こんなにも大きく変化するなんて。  昔の自分に教えてやりたい、そんなことを思う。とはいえいまの二人だから、乗り越えられることなのかもしれない。  当時は二十歳そこそこ、まだ子供だった自分たちは、感情をコントロールする術を知らなかった。言いたいことを言い合うのが、いい関係と思っていたのだろう。  それは決して間違いはないけれど、お互いが引くこともなくぶつかり合えば火花も散る。  少し前の礼斗も、まったく大人になりきれていなかったが、直輝の落ち着きを見てさすがに考えさせられた。  相手を受け止められるだけの度量が欲しいと、好きな人を優しく包めるだけの、愛情が持てるようになりたいと。 「アヤ、今日の晩ご飯はなににする?」 「んー、給料日だろ? すき焼きとか」 「いいね! すき焼きと言ったら」 「はんぺん」 「焼き豆腐!」 「ネギ」 「白菜!」  同時に発した二人の声が被るが、異なった好物にじっと睨み合う羽目になる。 「じゃあ肉は」 「豚ロース」 「牛肉!」  すき焼きの具材は数あれど、ことごとく意見が食い違う。ここまで好みが真っ二つに分かれると、ある意味奇跡のように思える。しばらく睨み合ったあと、二人は吹き出すように笑った。 「まあ、全部入れればいいだけの話だな」 「鍋に入りきるかな?」 「入るか、じゃなくて入れるんだよ」 「大きい鍋、買っちゃおうか」 「そうだな」 「じゃあ、今日の帰り、デートしよう」 「うん。あ、ほら、そろそろ行くぞ」  慌ただしく皿の上のものを腹に収めてから、二人は顔を見合わせるとお互いの手を差し出し、ぎゅっと握り合わせた。 「よし、今日も一日、頑張ろう」 「おう」 「あ、待ってアヤ」 「なんだよ」  いざと鞄を手にした礼斗は、直輝に引き止められる。さらには身体を向き合わされて、両手を繋がれた。じっと見つめてくる視線に首をひねれば、にっこりと彼は微笑んだ。 「今日もすごく可愛いよ。大好きだよ」 「あんたは毎朝、ほんと飽きないな」 「だって毎朝言わないと落ち着かなくて。ほら、言葉にするだけで違うと思わない? 今日も一日、アヤのこと大事にするよ」 「へ、変な日課を作るな」 「アヤ、めちゃくちゃ愛してる。この先絶対に、隠しごとはしないからね。俺、正直に生きることにしたから」 「わかったって、もう」  繋がれた手からは、優しい熱を感じる。触れた唇はぬくもりに愛情がこもっている。  ぶつかり合って、喧嘩する日もたまにあるけれど、いまはそれに傷つくことはなくなった。心から笑い合う二人のあいだには、断ち切れることも、解けることもない運命の赤い糸が見える。 「アヤ、す……」 「もう言いすぎだ。俺の気持ちが霞むだろう」  なおも言い募ろうとする直輝の口を片手で塞ぐ。すると彼は目を瞬かせて驚いた顔をした。その顔に礼斗が小さく笑うと、目の前の顔がやけに嬉々とした笑顔に変わる。 「じゃあ、アヤは?」 「え? あ、……好、き、好きだよ! 文句あるか!」 「ちょっと、そういう可愛い逆ギレやめて!」 「うるさい、笑うな!」  キラキラとした笑顔が溢れるいまの二人なら、きっと幸せをたくさん降り積もらせることができるだろう。相手に寄り添う、たったそれだけのことが、二人に幸せをもたらす。  失敗を繰り返して、一緒に成長していく。それがいまの二人にできること。 トライアル・アンド・エラー! ~もう一度、恋しませんか?/end
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

258人が本棚に入れています
本棚に追加