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何度も繰り返してしまう
あれからどれほど飲んだのか、わからないけれど、頭がふわふわとしていた。
自分がカウンターに、突っ伏していることに礼斗は気づいたが、起き上がれるほどの余力がない。
小さく唸り、ぎゅっと拳を握る。するとすぐ傍で、くすくすと笑う声が聞こえた。
意識をその声に向けると、自分の傍に複数の気配を感じる。だがやはり身体が持ち上がらず、唸るしかできなかった。
「いつも酔って潰れちゃうんですよねぇ」
「そうそう。いつも怖い顔をしてるけど、酔うと可愛い」
「泣きながら、お前たちのことは嫌いじゃないって言われたら、愛おしくなりますよね」
なんの話をしているのだろう。声を聞く限り、それがいつもの三人であるのはわかる。しかし誰の話をしているのか、礼斗にはわからなかった。
重たい頭を持ち上げて、両手で踏ん張って身体を起こす。そうすると自分のすぐ傍で、なにかを構えられているのに気づいた。
「お前ら、なにをやってる」
「おや、今日は起きちゃいましたね」
「早く保存保存」
「ばっちりでーす」
ぼんやりする視界の先を、じっと見つめれば、ぱっと目の前にあったものが隠される。そこに立っている三人は、やけに楽しげな様子で笑っていた。
「信昭、眼鏡」
「湊谷さんなら、ゴミ出しに行ったよ」
眉間にしわを寄せながら、礼斗がカウンターの上を手探ると、手を取られて、その上に眼鏡を載せられた。
手早くそれをかけて振り向けば、にこりとも笑わない直輝が立っている。その瞬間、胸の辺りがひやりとした。
まだ先ほどのことを、根に持っているのだろうか。それとも酔ってまたなにか、余計なことを言ったとか。
落ち着かない気持ちで直輝を見つめると、彼は小さく息をついた。
「もう閉店だって」
「先に帰ってくれていい」
「アヤ、一人で帰れそうにないだろ」
「……帰れる。大丈夫だ」
「全然大丈夫そうじゃないよ」
ひどく呆れたように見下ろされて、カチンとくる。しかし勢いよく立ち上がると、目が回って身体がふらついた。
とっさにカウンターへ、手を伸ばした礼斗だったが、その前に腕を取られる。
「送る」
「俺に構うな!」
ありがとう――そういえばいいものを、どうしてその一言が言えないのか。直輝の手を払ってしまい、後悔をする。
けれど自分を曲げられない性格の礼斗は、そう簡単に言葉を翻せない。見つめてくる直輝の視線から、目をそらしてしまった。
だがそのまま無言で向かい合っていると、ぽんと背中を叩かれた。
「上条くん! あとは任せた!」
「私たち終電で帰りまーす」
「よろしくお願いします」
「はっ? お前たち、なに勝手なこと」
慌てて振り返るも、彼らはさっさと荷物を手に、戸をくぐっていく。どこまでも自由な面々だ。
この気まずい空気を察せないのだろうか。礼斗の気持ちを推し量ることもなく、無情にも格子戸は閉められてしまった。
「タクシー、呼ぶよ」
「だから! 俺は一人で平気だ」
「それとも、湊谷さんに泊めてもらう?」
「な、なんでそこで信昭が出てくるんだよ」
不機嫌そうに目を細めた直輝に、焦りが湧く。なにか誤解をされている。先日も付き合っているのか、と聞かれたあとに機嫌が悪くなった。
それを思い出し、礼斗は考え込んだ。やはり直輝は自分に、まだ未練を残してくれているのだろうか。
もしそうなら――浮かんだ考えに、胸の音がはやる。あれほど否定してきたのに、嬉しいと思ってしまった。
しかしすぐにその気持ちを打ち消す。あんなに一方的に別れを切り出したのに、やはり図々しい気がした。
いまでさえ噛み合わなくて、喧嘩のようになっている。普通ならそんな相手と、元に戻りたいなんて思わないはずだ。
自分に置き換えてみても、冗談じゃないと思えて、礼斗はひどく落ち込んだ。
「すみません。野々木タクシーです」
「え?」
「お待ちのお二人様ですよね。お待たせしました」
しばらく悶々としていると、ふいに格子戸が開いて、初老の男性が顔を出す。その人は、礼斗たちを見てにこやかに笑った。
突然声をかけられ、思わず直輝を見れば、彼も驚いた顔をしている。
「タクシー、呼んでおいた」
どういうことかと、二人で顔を見合わせていたら、カウンター奥、勝手口から信昭が戻ってきた。彼は電話の子機を手にしている。
「お前たち二人が顔を突き合わせてたら、日付が変わる。ほら、早く帰れ」
「まだ電車がある」
「上条くん、頼むな」
「だから俺は!」
「アヤ、行くよ」
「あ、どうぞ、こちらです」
不穏な雰囲気にオロオロしていたタクシーの運転手は、直輝と視線を合わせると、そそくさと車に戻りドアを開く。
だが礼斗はその場を動かない。
「ほら」
小さな抵抗を見せる、駄々っ子のような礼斗の手を、直輝は優しく握る。さらには、どぎまぎしている間もなく、繋がれた手を引かれた。
「どちらまで行かれますか?」
「アヤの家はどの辺?」
「……あんたの家でいい」
「え?」
「うちまでだとタクシー代がかさむ。一晩くらい、いいだろう」
「うん、わかった。それじゃあ」
車に乗り込んだ時に、手を離されて良かったと、礼斗はほっと息をつく。緊張で手が汗を掻いている。
なにを考えているのかわからない、直輝の本音を確かめたいと思った。
また一晩一緒に過ごせば、会議室でキスをしてきたことも、こうして執着を見せることも、その意味がわかるかもしれない。
だがそれを知ったところで、どうしたいのか、礼斗の中で答えがまだ見つかっていなかった。
「そういや以前は、営業部にいたんだって? あの三人が色々と教えてくれた」
「ああ、最初の頃な。明らかな人選ミスだ」
車窓から見える景色が流れていく中、ぽつぽつと二人で会話をする。
エンジンの振動に眠気を誘われつつ、礼斗は小さく言葉を返していたけれど、そのうちまぶたが重たくなってきて、ウトウトとし始める。
「でもアヤはなんだかんだで器用だから、どこに行ってもやっていけるタイプだよね」
「あんたは職人気質だから、脇見をせずに一つのことをコツコツと、だな」
「そう、一つのことに執着するタイプ」
「別に悪いことじゃない」
「だといいんだけど」
ため息交じりの声、その意味を礼斗は問いかけようと思った。しかし抗ってもまぶたが開かず、眠気に飲み込まれそうになる。
「アヤ、寝ていいよ」
「ん、……悪い」
肩を引き寄せられて、直輝の肩口に頭を預ける。シャツからは、微かに懐かしい匂いがして、まるであの頃に戻ったようだ。
些細なことで喧嘩をしてばかりだった毎日、それでも不幸せだったわけではない。小さな幸せはたくさんあった。
だがちりも積もれば山となる――という言葉はあるけれど、二人の時間は幸せではなく、別れのほうへ、より多く降り積もってしまった。
いまやり直せたら、いままでの失敗をリカバリーできるだろうか。そんなことを考えるが、礼斗は自分の考えがひどく自分勝手で、馬鹿馬鹿しいと思えた。
「どうしたらいいか、わかんねぇなぁ」
「ん?」
「なんでもない」
時折見せる優しさが、礼斗の中にある思い出を揺さぶる。
とはいえたったそれだけのことで復縁しても、あの頃から変わらない自分では、同じことを繰り返してしまうだろう。
振り返ると付き合う前は、いまほど距離は近くないが、もっと気楽に、好きなように振る舞っていた気がした。
喧嘩せず、それなりの他人の距離がいいのか。喧嘩しても傍にいられる、恋人の距離がいいのか。
考え出すとキリがなく、礼斗は黙って眠気に意識を任せた。
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