ラバウルの一番寒い日

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ある日の昼下がりのことだった。 瑞雲の整備を待つ間、休憩がてらと整備場から近い浜辺に下りてきた舟人と由良は、椰子の木々の間に並んで腰掛けていた。 海風が椰子の葉を揺らし、心地の良い風が送られてくる。下手に宿舎の日陰にいるよりも実はこちらの方が涼しかったりする。 「なあ、由良」 舟人がおもむろに口を開いた。 頬にあたる涼風にうっすらと目を細め、遠くに光る銀波をぼんやりと眺めていた由良は、気怠げに首を捻り無言で舟人の顔を見遣った。 「あの、お前すごいなって思ってだな……」 「は?何がだ」 妙に歯切れの悪い舟人に由良は眉根を寄せて短く問いかける。 「いや、その……お前、夜すげえじゃねえか」 「はあ?」 胡乱げな視線を向けた由良に、舟人は口の端と眦が僅かに緩んでいるとは気付きもせずに続けた。 「いや、なんていうか、お前……。性欲なんてありません、みたいな涼しい顔ばっかしてっけど、いつもすげえ淫猥に乱れるじゃねえか」 いや、そんなところも好きというか、普段との差が……。舟人はそう続けようとした。 しかし次の瞬間、ガツンと頬に重い衝撃を食らい上半身は大きく傾いだ。 由良に殴られたのだ。由良の全力本気の拳を受け、舟人の眼前には昼間だというのに星が舞った。チカチカと焦点が散らつく中、舟人は「あ、これは頬が腫れるな」と悟った。 「貴様は馬鹿野郎か!」 立ち上がりもう一度拳を固めた由良が吠えた。 「いや、俺は知っている。貴様が馬鹿野郎だということを。馬鹿だとはわかっていたが、まさかここまでの大馬鹿野郎だとは……」 由良は低い声で静かに呟きながらまさしく修羅の形相で舟人を睨み付けた。 「え……」 気炎が由良の身体から立ち昇るのが見えそうなぐらいのあまりの激怒っぷりに、舟人が僅かに怯んでいると、 「貴様だからだろうが!お前がッ、俺の!……ペアだからに決まっているだろうが!」 と由良は舟人の胸ぐらを掴みかかった。 「お、おい、由良っ……」 遠慮なしの力でギリギリと事業服の胸元を掴み上げる由良に舟人は慌てて呼びかけた。 俺が服だったら絶命している。と危機的状況にも関わらず舟人が間の抜けた感想を抱いてしまう程、由良の力は恐ろしく強かった。 しかし由良は舟人がそんなことを考えているとは露知らず、真上から険しい顔で見下ろしながら、苛立ちを堪えるように食いしばった歯の隙間から絞り出すように言った。 「俺が他の奴に身体を許すとでも思っているのか」 「お、思ってない……」 「なら二度と、そんな下らねえことを言うんじゃねえ」 同じことを言ってみろ、その時は絶対に貴様を殺す。 由良は地獄の鬼も泣いて逃げ出しそうなぐらいに冷え切った声音でそう言い放ち、舟人を押しやってその場から歩き去った。 「由良!悪かったって!待てよ!」 舟人は慌てて立ち上がり後を追おうとしたが、 「ついてくるなッ!」 と凄まれ、その勢いに仰反るように足を止めてしまった。 交戦した敵にも向けない程の烈火の眼差しだった。 由良の感情の全てが乗った、肌に突き刺さるような怒りだった。 「あー……」 しまった、相当な逆鱗に触れてしまった。舟人が一人嘆いても時は既に遅く、その日の午後、瑞雲の置かれた整備場は常夏の島だというのに極寒の嵐に見舞われたという。
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