本編

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「ふぅ、そういえば君たちは私の昔の職場へ行ったことがあるかい?」  捜査開始から6日、徐に浦野は口を開いた。相変らず憎らしく不気味な笑みを浮かべながら、彼は目の前に座る捜査員に尋ねた。捜査員は訝しみながら返事をする。 「昔の職場?」 「君らも刑事なんだから知っているだろうが、私は元々医学系の研究所で働いていたことがある。私が捕まったとき、そこに大層捜査員が出入りしたと聞くが、本当にちゃんと捜査できているのかな?と思ってね」 「何だと?」  彼が何を言おうとしているか捜査員は感づきだしていた。現にその研究所には、今回も捜査員を派遣して捜索を進めている所だ。しかし、逮捕時に物品は押収しており、手がかりらしい手がかりは残ってないだろうと言う。研究所にある彼の所属していた研究室や倉庫、ロッカーをくまなく探しているが、今もなお手がかりは得られてない。  ちゃんと捜査できてないとはどういうことか。まだ探すべき場所があったとでも言うのか。眉間にしわを寄せ考え込む捜査員の姿を見ながら、浦野は捜査員らをからかうようにケラケラと嘲笑いながら話す。 「君たちさ、研究所の構内に“資料棟”と呼ばれる施設があるのを知らないかい?古びた西洋風の洋館さ。あそこ、私が研究所に入所したばかりの頃から人の出入りが全くと言っても良いほど無かったし、こそっと鍵を持ち出しても咎められるどころかバレても無かったみたいだよ」  浦野の証言を聞いた捜査員らは慄然とした。その顔からは血の気が引いており、冷や汗が滝のように流れ出ていた。  資料棟に関しては、捜査員も存在自体は把握していた。  3階建ての白亜の洋館である資料棟は、かつて研究所の建物として現在の建物が建つまで使用されていたらしい。しかし滅多に使用されなくなり放置された今、建物の周辺は荒れ果てて草が生い茂り行く手を阻んでいる他、建物自体も老朽化して壁にひびが入る等危険な状態であったことから研究所の人間も近づくことは無いと言われていた。実際に研究所の関係者や警備会社の人間から、何年も出入りしている人間を見たことは無いとの証言を得ている。尤も防犯カメラも設置されてないため、本当に出入りが無かったかは不明であるものの、扉は錆びており鍵が中々上手く回らないため出入りは困難だと判断され、捜査対象から外されていたのだった。  盲点だった。いや、詰めが甘かった。当然ながら、捜査員らは生半可な気持ちで捜査に臨んでいたわけでは無い。しかし、浦野が資料棟への出入りをこの期に及んで仄めかすとは考えてもいなかった。 「まあ、あそこの鍵。慣れないと上手く回せないからね。しょうがないね」  面白半分に笑いながら話す浦野の姿は憎らしかったが、これは我々警察官の失態であった。しかし、捜査員には失態を悔やむ猶予はない。一人の捜査員が面会室から抜け出て、背広のポケットに入れていた携帯電話で、研究所を捜査中の捜査指揮官に向けて資料棟捜索を訴えかけた。 「急いで資料棟の捜査を始めろ。やつの手がかりはそこにあるはずだ!」  資料棟の捜査は、他の現場からも捜査員を動員して夜を徹して行われた。  一方、浦野は明日の刑執行のために面会室から独房へと戻された。手足には自傷行為防止のために拘束具を付けているが、万が一に備え刑務官や捜査員ら数名で警備している。捜査員がいるのは、浦野から新たな証言を得るためでもあったが、結局この晩に新たな証言を得ることはなかった。  ただ、この晩浦野は窓辺に佇んで、どこか遠くの景色を見つめながら井上陽水の『夢の中へ』を口ずさんでいたという。
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