手紙

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『私は誕生日に、死のうと思います。 先ずお断りしておきたいのは、決してあなた方を憎んで死ぬんじゃあない、私は私の思いによって死にます。世間では、誰かが死んだらヤレいじめだ、パワハラだ、過酷な労働だと物語をお求めになる。悲劇が見たくて仕方がないのでしょう。私はこのように少しばかり手持ちのお金こそ少ないが、別段困窮していたわけでもなし、学業にも一寸余裕はあるし、アルバイトでもひどく痛んでいるわけではない。残念ながら、ここには悲劇はないのです。 それでも勝手にあなたがたのうち情のある者には己に責め苦を背負おうなどという者もあるかもしれない。こんなことを書いていたって、思い悩んで死ぬのではないか、何か話を聞いてやれたのではないか、止める手立てはなかったのか、そう思ってくれた者は幸福だ。あんまりお優しい。屹度これから幾度となく傷つきながらも立派になるでしょう。しかしながら、私にそんな情を向けた者、もしいるとするならば皆思いあがるな。あなた方の誰に私の死を止める権利があるものか。あなた方にはどうしようもない内なるこころの激流に私は死ぬのだから、手を伸ばそうと言ったってそれは虚像に過ぎず、空を切るほかあるまい。そんなことをするならあなた方の将来のためにそのこころを砕いたほうがよほど好い。 ……ほんとうに、私には何の苦しみもなく、ただ人生のほとんどを覆いつくして巣食っている昏がりが私を殺すのだ。 ではなんだってこんな手紙を遺すのか、私にも少しの良心がある。私はすまないと思っているのです。様々な約束があったでしょう。Aとは数年ぶりに会う約束が、Kとは荷物を送ってもらう約束が。私の勝手に巻き込まれた約束達を思うと、申し訳ない気持ちになります。そして、家族。あなたたちは私をずっと嫌いでいてくれたでしょうが、最後に面倒をかける。私の死体を焼いて骨を砕いたら、最も金額の安い方法で葬ってください。迷惑の中にせめてもの孝行をさせてください。 私の祝福されるべきでない誕生日に、私は死ぬのです。ようやく、晴れました。空が青く、海は澄んで、終わりかけのセミの鳴き声がする。ようやく、ようやく、晴れました。』
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