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26 オープンマインド
隼人は自販機の前で陳列されている飲料水をぼうっとみていた。
コーヒーを買おうと思ったが、カフェオレにするか考えているうちに、未だに未解決案件を思い出し頭が回らなくなった。
あれから2週間経とうとしているが、まったく進展がない。
こちらとしてもこれ以上どうすることもできない。
最近はよからぬ噂まで隼人の耳に入るようになった。
隼人の一時的な僻地への出向だ。
葵の妊娠が本当であった場合、いくら隼人が冤罪を訴えようと出産が待ち構える。
社員への影響を鑑みれば、2人が同じ職場のままではまずい。
こういう場合はキャリアのある隼人より新人を異動させるのが通常だが、なんせ妊娠したから仕事を変えられたなどと大騒ぎされたら困る。
波風立てず収めるには、隼人が職場を移すのが手っ取り早かった。
隼人は仕事とあらば受け入れるつもりだ。
しかし、濡れぎぬによって左遷させられるというなら話は別だ。
隼人にだってプライドというものある。
身に覚えのない罪で、自分が悪いくじを引くのはどうしても受け付けない。
「三浦さん、ここにいたんですかっ」
同じ職場の子だった。
「課長が三浦さんを探していますよ。至急、第一会議室まで来るようにって!」
息を切らして報告してくれた。
そして周りを一瞥し、誰もいないことを確認すると隼人に近づきつぶやいた。
「清野さんが来ています。知らない男を連れて。なにか進展があったんではないですか」
隼人はそれを聞いて、飲料水を選ばずに駆け出した。そして、
「ありがとうっ、君が好きなの選んで飲んでっ」
そう告げると、一目散に葵たちが待つ会議室目指して走った。
吉報が凶報かはわからない。
でもあれから葵と話し合いの席に着くこともできなかった。
隼人にだって、いいたことは沢山あったのだ。
バタンッと柄にもなく、勢いよくドアを開けた。
そこには部長、課長、清野葵、そして見知らぬ大柄の男性がいた。
促されて隼人は課長の脇へと腰を下ろした。
葵がチラッと隼人に目を配せ、すぐに俯いてしまった。
課長が口を開いた。
「今日は清野くんから話したいことがあると連絡があって、部長も同席していただいた。清野くんと三浦くんとのトラブルがあったね、そこことについてだ」
「はい、わかりました。そちらの方は」
隼人はチラリと大柄な男性をみた。
それに気が付いた男性は自ら自己紹介した。
「狩野浩太朗と申します。清野葵の幼馴染です。今日は貴重なお時間を割いていただきまことに申し訳ありません」
頭を丁寧に下げた。
こんな場は不本意だという顔で、葵は居心地悪そうにしていた。
浩太朗の表情は硬く、真一文字に結んでいた。
そして周囲を軽く一瞥してから口を開いた。
「清野から話は全て聞いています。三浦さんはじめ職場の方々に多大なる迷惑をかけてしまっていることも。今日はすべて正直にお話させていただくために参りました。さあ、葵、きちんと説明するんだ」
浩太朗は顔を葵にむけ、きびしい顔で促した。
葵の顔には、謝りたいけど素直になれないといった色がにじみ出ている。
しかし、再び浩太朗に「ほらっ」と促がされ、もうこれ以上は無理と観念した。
「……私は妊娠していません。お騒がせしてすみませんでした」
誰の顔を見ずに、葵は淡々と頭をさげた。
「三浦君との本当の関係はどうなの?」
部長が肝心な部分に切り込む。
隼人は、まだ疑っているのかとビックと反応する。
「……なにもありませんでした。なんにも……。だから私、悔しくて、三浦さんを振り向かせたくて嘘をつきました」
ここでようやく葵が涙を流した。
男に媚びを売るような涙ではなかった。
男性陣には一切泣き顔を正面から見せなかった。
顔面を歪ませ、悲しみ悔しさ虚しさがあふれ出しどうにも止めることができなかった。
「ごめんなさい。三浦さん、本当にすみませんでした」
そういうとハンカチで目を覆い嗚咽しながら泣き出してしまった。
その姿を見ているとまだまだ若い女の子という、保護者の気分になってしまう。
しかし、葵は社会人である。泣いたからと言って許されるというわけではない。
再び部長が口を開いた。
「つまり二人には初めから何もなかった、というわけだね?」
葵はうんうんと何度も頷いた。
部長もふうっと深く息を吐き、ソファーに深く腰を掛けなおした。
「とりあえずそれが確認できてよかった。妊娠したと嘘をつくとこは罪には問えない。しかし無責任で卑怯な手段だよ。この騒ぎで三浦君の社会的信頼や立場が揺らぐこともあるんだからね。社内でもそれを鑑みて、清野君にはそれなりの対処をさせていただくことになる。理解してくれるかな」
葵の刺激に弱そうな色白の肌が涙に濡れ赤くなっている。
鼻汁も一緒に流れ、可憐な菫は姿を消している。
「あ、はい。ほんとう、に、ごめん、なさい」
ヒックヒックとしゃくりあげている葵をみていると憎めなくなってくる。
その姿こそ本当の葵であり、人間らしいと隼人は思った。
自分を偽ることはない。
そのままをさらけだして、受け入れてくれる人を見つければよかったのに。
人に取り入られたいと皮を被ることで、きっと葵自身も窮屈だったに違いない。
「清野さん、君は殻に閉じこもりすぎている気がする。もっと自分を出してみたらどう? そうすることで相手も心を開くんだよ。人間関係ってそういうもんだと思うよ」
隼人は葵に優しく声をかけた。
「そ、んな、こと、できない、ですっ」
「君は気が付いてないんだよ。君の隣にいる幼馴染とはずっと一緒にやってこれたんだろう? 自分を出していたんだ。自分の出し方を知らないわけじゃない」
「……私、性格悪いから、自分を出したら、嫌われる」
「今のままでは、どっちにしろだろ。だったら自分を開いて、怒られたり喧嘩しながら反省をして性格を矯正していけばいいんだよ。内にとどまっていたって成長なんかしやしない。今が変わるときだと思うよ」
隼人はこう諭しながらも、佐知を思い出す。
自分の軸は決して曲げないけど相手を思いやる心をもつ。
それがいつしか信頼に変わり、愛情へと変化していく。
取り繕った表面だけを愛されても、衰えとともにいつかは飽きられる。
長続きする愛情を獲得することはできない。
「そんなこと、誰も教えてくれなかった。うわーん」
葵はまた子供のように泣きじゃくった。
そんな葵の背を、浩太朗が優しくさすってあげていた。
※
葵は処分が出来るまで自宅謹慎となった。
週明けには決定するだろうとのことだった。
「しかし、どこに異動させるかね。やっかいな案件を背負った子は、受け入れ先を見つけるのも難航するんだよ」
課長は自席に戻り渋い顔で隼人にいった。
「あっ、そうだ。支社の人事Gにするか」
「えっ、あそこは菱沼も送って大変だった聞いてますけど」
「イヤ、樋口課長の話では見違えるように仕事に取り組むようになったとのことだった。うん、あそこがいい」
佐知が角を生やし怒る姿が隼人の目に浮かぶ。
「負担が増えてかわいそうですよ」
「何言ってんだ、あそこだっていつかは空きが……」
課長は隼人を見つめる。
そしていやらしい目つきで隼人に訊ねた。
「そういえば三浦君、ほかに報告があるんじゃないかね?」
「? いえ、まだ今のところ」
「植村君から何も聞いてないの?」
話が見えないと隼人は首を傾げる。
「まあこの先、空きが出る支社にいってもらおう。清野君は支社の人事G!」
「結婚すると植村さんは異動させられるんですか?」
「三浦くんは、ずいぶんと無神経だね。清野くんが持参したDVDをみるといい」
ほらっとDVDを預かった。
隼人は自席でパソコンにDVDを入れ再生した。
これはカフェで佐知と清野、浩太朗の3者面談の隠し撮りを収めたDVDだった。
浩太朗が証拠として持ってきたものだ。
(勝手に会ったんだ)
驚きと同時に佐知ならやりかねないと思った。
手帳の改ざんの話などいまさら聞くのも嫌だったが、流していく隼人。
もういいかなとストップボタンを押そうとしたその時だった。
それは、佐知からの思いもよらぬ告白だった。
『実はね、私も妊娠しているの』
「…………………………………」
隼人の周りだけ空気が凍り付いた。そして、
「えええっっっっっーーーーー!!!」
隼人の絶叫がフロア中に響き渡った。
フロアに居た社員が一斉に隼人に注目するが、本人はそれどころでなく、パソコン画面に入り込みそうな勢いで覗き込んでいる。
課長はひょいッと首を伸ばして、そんな隼人を見る。
そして、やっぱり知らなかったんだ、とつぶやいた。
隼人は突然の告白に心臓が躍りまくった。
何が起こているのという興奮で、目を見開き頬を紅潮させパソコンにくぎ付けになった。
次から次へと続く佐知の告白を聞き、もし隼人が飼い犬なら失禁しているレベルであった。
こんなに大事なことさえ卑怯なことはしたくないと抱え込む、それが植村佐知。
呆れるほどに頑固な愛しい女性。
隼人はパソコンを閉めると席を立ち真っすぐ課長のデスクへと向かう。
珍しく髪を乱し眼が据わっている。
そこには決意が出ていた。
「課長、これから有給を取りますっ!」
有無を言わさない勢いだっだ。
「いいよ。植村さんに身体お大事にと伝えて。あと清野さんのこと、よろしく頼むと伝えてね」
全てをお見通しの課長は、手を振って気軽に頼んだ。
隼人は蒸気をたくさん含んだやかんのように、何やらたくさん膨らませていた。
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