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【承】ニセモノ
「おはようございます。今日からここでお世話になります、蛍野光です。よろしくお願いします」
「お、元気な挨拶だね。私は園長の有賀燈也です。よろしく」
印象的な笑顔。白髪は増えたが、副園長だった頃私に色々なことを優しく教えてくれたおじさんの面影はそのままだった。
最も、彼の方は私を覚えてはいないだろうが。
「よろしくね、蛍野さん」
「若くて可愛い女子が入って来て良かったわねぇ」
「やめろよ、そんな目で見てないって」
事務所には園長の他に先輩社員が男女1人ずつ。2人とも喧嘩はするが仲良さそうな雰囲気に見える。
他にも空のデスクが複数あって、それぞれの現場に赴き仕事をしているようだ。
「さて、早速だけど、ここで働くにあたって君に約束してもらわなければならないことがある」
「約束?」
「来たまえ」
急に最初とはがらりと印象の違う顔を見せ、有賀園長は深刻そうな面持ちで私を事務所の外へと案内し始めた。
建物の外はもう春だなんて思えないくらいに肌寒く、乾いた風が吹いている。
今日は閉園日だったので、園内は平常時が嘘のように静かで時が止まっているようだ。
檻の中の動物たちは狭く囲われた快適な空間に満足しているようで、そこで寝そべったり餌を食んだりして幸せそうな顔を浮かべているように見える。
しばらく園長の背中を追って歩いていくと、ここの目玉動物であるジャイアントパンダの喜喜の姿が見えた。
私が子どもの頃に見た若々しい姿のまま、元気に吊るされたタイヤで遊んでいる。
ジャイアントパンダの飼育下での平均寿命は約26年。ここに来た時が8歳だったから、16年経った今では相当高齢なはずである。
「こっちこっち!」
つい立ち止まって喜喜を眺めていると、園長に声をかけられて我に帰る。
手招きされてパンダ小屋のバックヤードへと入った私は、そこで動物園内の設備とは思えないような光景を見て衝撃を受けた。
「何ですか? これは……」
まず入ってすぐのところにあったのは、「喜喜、ここに眠る」と書かれた大きな石碑だった。
そして、テレビ局の裏方のような大量のモニターが設置された空間が奥に広がり、そこにいた職員1名が救いの神を見つけたような眼差しで私を見た。
状況がいまいち理解できないでいると、園長が静かな口調で話し始める。
「実はね、この部屋の存在自体が園のトップシークレットなんだ。ジャイアントパンダの喜喜はもう10年も前に病気で亡くなってしまっているんだよ」
「何ですって? それじゃあ今この動物園にいるパンダは……」
「君がここに必要な理由は、ずばりそれだよ。喜喜は精巧に作られたロボットなんだ」
「そんな……」
私は信じ難い事実を突きつけられて言葉を失った。10年前ということは、初デートで見た頃の喜喜はもうロボットに入れ替わった後だったかもしれない。
「それにしても、今の技術で本物と遜色のないパンダロボットが作れるなんて……」
「ああ。前に勤めていた天才エンジニアが開発したんだ」
「そんなすごい人をどこで雇ったんですか?」
「政府の紹介でね。でも、3年前に民間の動物園からのヘッドハンティングでいなくなってしまったんだ」
「政府の紹介ですか?」
「ああ。元々、我々は喜喜の死を公表するつもりだったんだが、中国との友好の証として来日したパンダを死なせてしまったとなれば国交が危うくなるとして政府ぐるみで隠蔽工作をすることになったんだ」
「それは絶対に口外できませんね……ですが、何で今更になって私を雇ったんですか?開発者がいなくなって3年の間は後任がいなくても大丈夫だったということですか?」
「既に完成しているものの維持と管理くらいならそこにいる学部卒でロボット工学を少し齧った程度の彼でも問題なくできた。だが、そろそろ現状を保つだけでは成り行かなくなってきたんだ。君はあの喜喜を見て何か違和感を覚えなかったかい?」
10年以上も前から変わらず元気で若々しい喜喜の姿が脳裏に浮かび、私は今自分がここにいる理由を完全に把握した。
私の大学院での研究分野は、マウス型ロボットの行動をどこまで本物のネズミに近づけられるかというものだった。
当時の私は、呼吸時の腹部や鼻先の動き、毛繕いや瞬きなど、他の研究仲間からは拘りすぎだと言われてしまうくらいに細部まで再現しようとしていた。
生物は有機物でできたロボットだというのが私の持論で、その原理さえ完全に読み解けば無機物でも全く同じように生物と遜色ない存在が作れると思っていた。
しかし、機能面だけにとどまらず無駄な動きまで再現しようとする私の研究は教授陣からの賛同を得られず、博士課程への道を目指すならもっと実用的な研究開発方針へとシフトするよう迫られた。
そんな私の発表や論文が、まさか故郷の動物園の園長の目に止まっていたとは驚きしかない。
「つまり、私にはこの喜喜に老いを与えて年相応のジャイアントパンダに生まれ変わらせるという使命があるわけですね!」
「ほう、大変理解が早い」
「まさか、研究の世界から逃げるように帰ってきた地元で自分が本当にやりたかった研究ができるなんて、夢のようです」
「そう言ってくれてありがとう! 君には期待しているよ」
こうして、私の研究者としての生活がこの思い出深い動物園で始まりを告げた。
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