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【本編1-3】キスと
浴室の外に畳んで用意してあったのは、生地が厚めのグレーのスウェットパーカーに、黒のジャージで体の線が出ないのがありがたかった。
洗濯機がまわる音を聞きながら、部屋へと続くドアに手をかけてしばらく考えていたら、内側からガチャッと開けられて目が合った。
「こちらにどうぞ。コーヒー飲みます?」
「まさか、すごいこだわりコーヒーが出てきたりしませんか」
この上また出来る男ぶりを見せつけてくる気か、と構えてしまったが、返答はそっけない。
「べつに『丁寧な暮らし』をしているわけでもないので、インスタントもありますけど。今日はお客さんがいるのでドリップコーヒーくらい淹れようかと思っていましたが」
「そんな」
気を遣わなくても、と言おうとしたが、大きな掌が凛の唇の前を触れない距離から塞いだ。
「俺がしたいからすることを簡単に拒否しないで欲しいんですが。インスタントもドリップも大した違いがありません。それとも、佐伯さんは何か根拠があって拒否してますか」
そこで掌が遠のいていく。
迫力に気圧されながら「根拠はないですね」と素直に認めた。
「それでは座って待っていてください。コーヒー淹れる程度で恩に着せようとか、感謝されようなんて思ってませんから。自分も飲みたいですし」
「何もかも……感謝してます。困ったな。どうお返しすれば良いんだろうこれ」
大きすぎるパーカーの袖に埋もれた手に視線を落として呟くと、頭上でくすりと笑われてしまう。
「佐伯さんって、思ったこと声に出ちゃうんですね。そんなに困るほど借りに感じているなら、返してもらっても良いですか」
「良いですよ、何?」
「キス」
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