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「髪、伸びたな」
「ああ…そうだな」
弄ぶ様に髪の先を触られて、俺は肩を竦めた。
砂の国に来て早半年。此処は生まれ育った国と違って少し暑い。
着ている服装も風通しの良い麻素材の服が多く、その代わりに染めたり刺繍糸等で鮮やかに模様の施された服が多い。水が貴重な資源との事で、俺の故郷の様に屋敷の中に水を引いて池を造る等到底無理だそうだ。蓮の宮と似た様な外観と内装の屋敷を態々俺の為にイナミが建てたが、水と蓮の花だけはその観点から難しかったらしく謝られた。
此方の国は皆明るく寛容だ。
俺の様な異端者が上皇の傍に居る事は反乱でも起こると思っていたが、特にその様な事は無かった。いや起こっても可笑しくは無かっただろうが、イナミが上皇に上がったのは俺を召す為だと民は皆理解していた。受け入れて貰うには骨が折れる事だっただろう。それでもイナミは俺の為に国中を周り、反発を説き伏せていた。愛の深さと用意周到さには恐れ入る。
今日も郊外の水路建設への視察に行くと言うイナミに付いて回った。民により俺の事を認めてもらうには俺も何かしらの行動が必要だろうとの考えだ。政治に疎い等とこれからは言っても居られない。
しかし外は暑かった。故郷の国は比較的涼しい湿地の国なので、まだ此方の気候には慣れない。
帰って来て真っ先に水を浴び、部屋で髪を束ねた。もう括れる位伸びたのだなと考えていれば、イナミも同じ事を思ったのか、茣蓙の上で寛ぎながら俺の後ろ髪をずっと手で弄っている。
「イナミは俺の髪が長い方が好きなのか」
「いや、別にどちらでも良い。今の肩くらいの長さもまた、首筋が隠れるか隠れないか位で趣がある」
「…」
そのまま首筋を触られて、俺はイナミの方に振り返った。途端に唇の端に口付けが落とされる。
こんなに甘ったるい男だったのかと驚くばかりだが、数年もの間俺を想う内に煮詰まったとの事だ。まあ俺も満更でもないので良しとする。
首筋に口付けが移動し、そのまま抱え上げられて茣蓙に寝転ぶイナミに伸し掛る形になった。間近で視線が交わる。イナミの手が動き、俺の前髪を片方耳の後ろに掛けた。
「まあどの髪型でも苑に変わりは無いが、惚れたかもしれんと思ったのは髪の長い頃だったから、思い入れはある」
「いつ俺に惚れたんだ」
「お前に謝罪に行き、初めて蓮の花を見た時だ。花と戯れる苑が、美しく思えて仕方が無かった」
「最初は罵倒した癖に、その次にはもう惚れていたのか」
「…それに関しては済まなかったと思っている。私も気が立っていたんだ」
まあ特段気にはしていなかったが、ばつが悪そうな表情をするイナミが可笑しくて笑ってしまった。
そもそも何故俺が再び髪を伸ばしているかと言うと、この男がこの国で男が髪を伸ばし化粧をする事を普通とする為に働きかけたお陰だ。男娼しかそれらは今までしていなかったこの砂の国だが、違法な売春を取り締まった結果その装いが庶民の間で波及した。今では街中で髪の長い男を見掛ける程だ。
態々俺の為にそうしたと言うのに、肝心の俺は髪を切って化粧も止めてしまった。まあ折角なのでまた伸ばしてやろうかと思い今に至る。
胸に凭れ掛かりながら、俺は口を開いた。
「常日頃思っていたのだが、イナミはもしこの数年で俺が心変わりでもしてイナミの事をすっかり忘れでもしていたら、どうするつもりだったんだ。こんなに俺を迎え入れる準備ばかりしておいて、肝心の俺が来なければ意味が無いだろう」
「そんな事は無いと信じていた。と言うのもあるが……」
「あるが?」
「誰も傍に置かず、ずっと私が渡した腕輪を肌身離さず身に付けてくれていると報告を受けていた」
「……誰に?」
「お前の爺だ」
「なんと、内通者が居たとは」
扉の向こうに控えているであろう爺の方を見遣る。その俺の頭を引き戻す様にイナミが抱えた。
「許せ。皆お前の幸せを願っていたんだ。苑の父上も、爺も、私も」
「……そう言われると狡い。何も言えなくなる」
不貞腐れる俺の顔の横に手が添えられる。向けられる眼差しの暖かさに、俺の心まで照らされて行く様だった。
「苑、今お前は幸せか」
「ああ……幸せだ。人生で一番。母や父と過ごした僅かばかりの思い出の日々よりも、ずっと」
ならば良かった、と笑いイナミの精悍な顔が迫って来る。俺は目を閉じてそれを受け入れた。
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