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彼は曖昧な返事をした。気持ちのうえでは否定したいけれど、事実は事実として認めざるを得ないということだろうとわたしは解釈することにした。
それだけ、彼にとっては深い傷だったということだろう。
「じゃあ、わたしとの結婚の話題を避けてるのもそれが原因?」
「それもありますけど、もうひとつ理由があって……。絢乃さんと僕の間には、どう頑張っても乗り越えられない隔たりがありますから。住む世界が違いすぎるというか。あの家柄に、僕みたいな平凡な育ちの男が婿入りするのは分不相応な気がするんです。何だか申し訳ない気がして」
「え…………」
「絢乃さんのことは大好きなんで、結婚したくないわけではないんです。むしろ好きだからこそ、僕にとってあなたはもったいないくらいの相手だということです」
「……………………うん、分かった」
ちょっと納得がいかなかったけれど、わたしは頷くしかなかった。「好きだけど結婚はムリ」って、一体どういう理屈なの?
彼はわたしを傷付けまいとして、オブラートに包んだ言い方をしていたけれど。それはつまり遠回しに拒まれたということだった。……少なくとも、まだ大人になりきれていないわたしにはそうとしか思えなかった。
「あの……、絢乃さん。お話はそれだけですか? 僕、そろそろ報告書をまとめたいんですが。アイス、ご馳走様でした」
彼があからさまな追い出し工作を始めた。これはもう、早く話を切り上げてほしいという一方的な態度だったように感じた。
「………………ああ、そうよね。今日は貴方も疲れてるだろうし、わたしはもう失礼した方がいいよね。ゴメンね、おジャマしちゃって。ゴミはこっちで片付けておくから。おやすみなさい」
わたしは動揺を彼に悟られまいとわざと早口でまくし立てて、アイスのゴミを袋に突っ込むと慌ただしく彼の部屋を飛び出した。
自分の部屋のカードキーは持って出ていたと思うけれど、隣の部屋なのにどうやって戻っていったのか憶えていない。
そして、その時自分がどんな表情をしていたのかも記憶にない。
「参ったなぁ……。わたし、貢に信用されてなかったなんて。ショックだなぁ……」
ドアが閉まった途端、わたしは膝から崩れ落ちた。
わたしと彼との間には、境遇の格差という見えない壁ができていたのだ。その事実を真正面から突きつけられたようで、愕然となった。
「そんなの、どう頑張ったって壊すのムリじゃない……」
それまで、わたしなりに努力していたつもりだった。世間離れした生活ではなく、あくまで彼の生活水準に合わせた金銭感覚を身につけたり、セレブだということをひけらかさないように謙虚に振る舞ったり。
それでも何かしらのキッカケで、ついついボロが出てしまうことはあったけれど、彼ならそんなこといちいち気にしないだろうと思っていたのに……。
「わたしもう……、どうしていいか分かんない」
父を亡くし、大切な男性にまで拒まれたら、わたしはこの先何を励みにして生きていけばいいのだろう……? わたしは絶望のあまり、父が亡くなって以来声を押し殺してひとり泣いた。
彼の前で泣かなかったのは、彼を責めたくなかったから。彼は何も悪くない。ただ、わたしたちの巡り合わせが悪かっただけ。だから、彼は何も……。
この出張で、わたしは彼との関係が少しでも前進することを期待していたけれど、フタを開けてみれば前進どころか一歩後退。それでも、決定的な別れにまで至らなかったのがせめてもの救いだったかもしれない。
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