253人が本棚に入れています
本棚に追加
「まあまあ絢乃、ちょっと落ち着きなって! 桐島さんにだって有休取る権利くらいはあるでしょうよ。アンタはただ、自分に報告なしだったから怒ってるだけでしょ? まあ、それは分かる。……で? じゃあ今日はアンタどうやって会社行くの?」
里歩からの質問返しに、わたしは少しだけ落ち着きを取り戻した。
よくよく考えたら、わたしは貢の態度に淋しさを感じていただけだったのに、それがどうして怒りに変換されてしまったんだろう?
「今日は寺田さんが迎えに来てくれるみたい。……あ、唯ちゃんは会ったことなかったっけ。寺田さんっていうのは、ウチに三十年近く仕えてくれてるお抱え運転手さんよ」
「うん、そうそう。五十代半ばくらいの渋~いオジサマでね、もう三十年くらい篠沢家に仕えてるらしいよ」
「わぉ、お抱え運転手さん!? いいなぁ、いかにも〝セレブ〟って感じだねぇ」
唯ちゃんは心底感心していたけれど、そこに嫌味な感じはまったく感じられなかった。彼女は本当に素直なコなのだ。
――そのタイミングでわたしのスマホに着信があり、寺田さんが「もうすぐ学校に到着する」と言ったので、わたしも急いで帰り支度をした。
「ゴメン! 寺田さん、そろそろ迎えに来るみたいだからわたしもう仕事行くね! 二人とも、また明日!」
慌ただしく教室を飛び出したわたしの耳に、「仕事頑張ってねー」という親友たちの声が届いたのだった。
* * * *
「――寺田さん、ゴメンね。急に貴方のお仕事増やしちゃって」
センチュリーの後部座席で、わたしは運転手に謝った。……そういえば、彼に学校の前まで迎えに来てもらったのは父の病名を知った日以来のことだった。
「いえいえお嬢さま、構いませんよ。私も当主さまをお迎えに上がるついでがございましたもので。……はっ、これは失礼! 決してお嬢さまのことをついでだと思っているわけではございませんので、どうかお許しを」
「いいのよ、寺田さん。わたしも別に気にしてないから」
わたしは彼の失言を鷹揚に受け流した。彼にしてみれば本来の仕事は母の送迎であり、わたしの送迎は確かに〝ついで〟なのかもしれないから。
寺田さんは、先代会長だった父の生前には母のことを「奥さま」と呼んでいたけれど、父が亡くなってからは「当主さま」と呼ぶようになった。
それはきっと、母に代わってグループをまとめていた父を立て、ちゃんと敬意を払っていたからだろう。
最初のコメントを投稿しよう!