糞尿のリアリティ

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糞尿のリアリティ

 心の何処かでこれは夢だ、もし夢ならいつかは覚めると分かっていたが、自信は持てなくても志し半ばで抜け出すことは嫌だった。  僕はボランティアの一員として全力で取り組もうと誓った。僕は小学生の頃から叔父さんの助手として何度も災害の現場に立ち会ったから、多少の経験がある。  数日後、やっと救援物資の第一陣が届き始め、それと時を同じくしてボランティアの有志も集まりだした。  タカさんは近辺の瓦礫の撤去や避難所の安全環境を整えようとしていた。他のボランティアたちもそれに倣ったが、恐ろしい怪腕で重機のような動きをするタカさんの仕事の前では誰もが無力に見えた。  使命感に駆られ後先考えずにやって来ただけの新参ボランティア未経験者たちは何をやっていいのかも分からず、訓練されたボランティアの方々が奮闘するのを尻目にダラダラと足手纏いだった。その態度に納得が出来なかったが、僕には他人の事をどうこう言う資格なんてない。  自分の出来ることを決め、それを完遂するだけだ。  何が必要で何が出来るだろうと熟考したとき、未来に変わった過去の修学旅行の自由時間で『人と防災未来センター』を訪れたとき、震災を体験した語り部の老婦人から聴いたことを思いだした。 「人間ね、寒さや飢さはある程度の我慢が出来るんよ。でもね、生理現象だけはどうしても辛抱出けへん。便所はあったけど、ようけの被災者が列作って使って、あっちう間に溢れたんよ。ほんでその汚い中に用を足さないといけへんときにホンマに憂鬱になりよったのよ。そないな些細なことが大きく心を蝕むのよ」  今、あっという間に糞尿が溢れた中学校校舎の便所の散々たる実状を目にして、老婦人の言葉が蘇った。  僕はライダースを脱ぎ捨て、ネルシャツの袖を捲くり上げ、素手のままで迷わず糞尿の中に手を伸ばした。それが出来たのはこれが夢の中の出来事だと疑わなかったからだ。けれど糞尿は悪臭を放ち、全身に鳥肌を立てる気持ち悪い柔らかさをしていた。僕は手袋をしなかったことを後悔しながら小さな吐き気を耐え、鼻から呼吸をしないように心掛けた。  溢れた糞尿を汲み上げながら、これは夢なんかじゃないと悟った。糞尿にリアリティーを感じることに笑ってしまった。  笑いながら糞味噌に塗れ奮闘している僕を他のボランティア青年たちが蔑むような目で見ていた。  目を合わせると彼らは視線を逸らしたが、表情には明らかに嫌悪の歪みがあった。誰一人僕を手伝おうとしてはくれなかった。そんなことは気にしなかった。これは誰かがやらないといけないことだ。怪我をしていて力仕事が出来ない僕にはうってつけの役割だ。  誰も手伝わないと思っていたが、タカさんだけは例外だった。 「ボランティアは綺麗事じゃなかばい。糞の始末ば率先してしよるショージば見て改めて思うたばい。自分の手の汚れることば嫌がっとって満足な人助けの出来る筈がなかばい」  そう言う不眠不休の彼は自分の役割だけでも手一杯なのに、清掃を繰り返しても問題が改善されないことに悩んでいた僕を助けるため、簡易トイレを幾つも調達してきた。  僕はこの避難所を管理している行政の担当者に掛け合い衛生面での問題点を指摘して貰い、そうやって少しでも速やかな屎尿処理が出来るように勤めた。  その頃にはこれが夢の中の出来事なんかじゃないと納得していた。掴みどころのない糞尿で現実感を掴んだことはなんとも皮肉だけれど。
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