ジャックと浅草の豆の木

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ジャックと浅草の豆の木

 一人のマッドサイエンティストを想像して欲しい。戦隊ヒーロー敵役のような醜悪な外見の男は、陽光の届かない地下深くのラボラトリーで、絶対性の崩壊を加速させる分子生物学、構造生物学の研究に没頭している。  ビーカーの中にはジャックを騙して奪った豆が、濃縮培養液に浸されている。男はブラックライトに反射した蛍光イエローの泡立つ液体をそれに注ぐ。発芽する豆からはサイバネティクに針金や螺子が出てくる。鉄柱の茎が伸び、電線の蔓がそれを螺旋に這う。やがてスレートの葉を広げ、硝子の花を咲かす。  軋む金属音を響かせながらジャックの豆の木はコンクリートの巨大建造物に成長し、研究室の屋根を突き破る。  男は天井の穴を見上げ、神を超えたことを高笑しながら飛行艇に添乗する。  大量培養された遺伝子組み換え豆を積み込んだ飛行編隊が変態化学者の指揮の元、昭和の焼け野原の空を駆け巡り、ジャック豆を空中散布する。    地平で発芽成長した自然の摂理からは畸形と捉えられる無機質な巨木たちが、金の卵を産む鶏を飼う神の住む領域を侵犯するかのように天高く伸び雲を貫く。  俯瞰の中で巨木の乱立の間を蠢く何かが見える。  画が降下し水平にパンすると、その地平のパースペクティブの中心点に伸び拡がってゆく網の目のような根が映る。  蠢きはグレイッシュに舗装された根をハイスピードで這い往来する二酸化炭素を排出する金属の蛼たちだった。行き急ぐ人間たちはその発展の拘束の中を高速で移動する。  豆の木を散布された戦後の東京はそんな風景と人の速度で構成された街になった。  ビルの谷を一匹の鳥が飛んでいる。連雀という鳥だ。  映像はその視線に変わる。  バードヴューで映し出される画は、アスファルトの交差の隙間、ビルの谷間の、時間が止まった昭和の香りを色濃く残した古臭い商店街を行く一人の少年の姿になる。  色褪せた赤黒のブロックチェックのネルシャツとスキニー過ぎる黒いジーンズ姿で、幼さを残す顔をした、無造作な髪型の青年が歩いている。  それが僕だ。  僕の住んでいるこの浅草の下町だけは異質な大木を育てるには向かない、ジャックの期待とマッドサイエンティストの野望を裏切る風土だった。  豆が蒔かれたところで、せっかちでべらんめえな図々しい住民たちが、芽が出る前に持って帰って食べてしまう。住民たちには金の卵を産む鶏よりも今夜の献立のほうが興味深いのだろう。  僕はハートフルなコメディドラマの舞台のようなこの町を愛していた。商店街の住人たちのデリカシーの無さと平凡を反復するだけの日常は退屈で息苦しく感じることもあったけれど。  態度には表さなくても群れることを嫌っているのが明確な僕の叔父さんは「属することには毒がある」と言ったけれど。  この下町の人情の厚い尋常なまでにお節介に満ちた稀有なコミュニティは無毒だと思う。  群れない叔父さんも、そんな住民のパワーの前では我を押し通すことも出来ず、実のところ孤独を感じる暇さえ与えない過度な干渉と前向きな人間性を尊重するコミュニケーションを疎ましく思うことも無く、それなりに忙しい毎日を過ごせることに孤独を癒されたくて、この町に居を構えたのだろう。  そんな画のピントの中心の僕は、商店街外れの小さな自転車屋に入った。  ここが僕の家だ。
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