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ヴィンテージ・ジーンズ
食事を終え部屋に戻った僕は、何を着ていくかを迷いに迷った。今日に限ってお気に入りの服たちが何故か軽薄に見えたからだ。
所謂ファストファッションの類いの粗悪な生地の流行服は古い型の無骨なバイクに跨るのには不向きで、いつもの格好では僕より長く生きてきたバイクに対する礼節を軽んじている気がした。
あれこれ思案した結果、敢えて着飾らない等身大で行くことにした。叔父さんの普段着に似た汚れてもいい格好だ。色褪せながらもカラフルさを残した赤いチェックのネルシャツといつもの黒いスキニージーンズを身に着けた。
本当は叔父さんのリーバイス501XXを履いて行きたかったけど、ぶかぶかでサイズ合わないし。
それは叔父さんが箪笥に眠らせていたものを、古着に興味を持ち出した中学生のときに発掘し頼んで譲って貰った物だ。
色褪せ黄ばんで擦り切れた膝や腿の穴を塞いだ修繕の跡が不規則な格子の交差になっていた。所々の垂れた自転車油の染み、太腿には小さなペンキ缶の蓋を乗せたときの丸い輪の後が残っていた。その周りに小さく飛んだ刷毛の後。叔父さんの眉間より険しい腰周りのヒゲ。膝裏のハチノス。動脈のように血の通ったアタリ。この存在感はどう足掻こうが昨今の加工されたレプリカジーンズには出せない味だ。
叔父さんは「汚くて捨てようと思ったまま忘れていた」と言っていたが、その割には大事そうに保管してあった。
仕舞い込んであったそのジーンズに足を通した時に、その皺や味が自分と高濃度にシンクロすることに驚嘆し嬉々として愛用していた。後に洗剤でも消えない独特の古着臭が嫌になって足を通さなくなったけど。
その臭いは叔父さんそのものだった。
「若いうちはいろんなスタイルに挑戦した方がいいさ。俺もそうだったし。その内に何が自分に一番似合うのかが分かってくるから」
叔父さんはそう言って笑うだけで、僕に生き方を押し付けなかった。なんでも自分の好きなようにやらせてくれた。だから僕は叔父さんの背中を見つめ憧れながらも、友人たちに足並み揃えた俗世間の文化に共振する生き方を選んだ。
叔父さんのそれはあまりにもノスタルジックに支配されていて、時代性を何一つ享受しようとしなかった。先進性との距離を保ち、普遍性だけを柱に愛着心を持ってフィジカルな物に接していた。
古着に留まらずベーシックな物に愛着し、ライフスタイルを形成する様々な要素に拘り、物を捨てるということに異を唱える、ミニマリストとから遠い位置にいる叔父さんは、本業の自転車屋から逸脱し家具や家電の修理リサイクル販売も営み始めた。
その結果、ここ浅草の『東海林商店』は広くない店内が過去の空気を纏った時代遅れの遺物で埋まってしまった。
時代遅れと言うのは新しい物にしか価値を見出せない視線からの形容だ。僕もそう感じていた。
だが叔父さんにとっては全てがずっと変わらない物なのだろう。僕がそれを理解するには十六歳という年齢は早すぎる。
けれど未だ四十歳前の叔父さんの、まだまだ若いのに枯れた郷愁に支配され過ぎている感も否めない。
だから叔父さんの商売が奇妙に思えて仕方なかった。
だけど僕は店が嫌いじゃない。溢れる多種多様の新古品は混沌としながらも同時代性を失っていないし、古さの中に新しさのある物、新しさのなかに懐かしさを感じる物は、彩られた温故知新に満ちているからだ。
「人にとって物なんて重要じゃない。だけど人は物がないと生きて行けない。だから本当に必要なものだけを商いたい」
叔父さんは常々そう言っていた。
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