ワンスター

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ワンスター

 僕には不思議な持病があった。  過去の鮮明な記憶を忘れず、度々それに飲み込まれ現実感を見失う錯視、時間感覚を喪失する幻覚を視ることだ。まるで望遠鏡の前後が突然入れ替わる感覚。それはこんな時代錯誤な環境に育ったのが原因なのかもしれない。  だから僕は、今を生きる立ち位置を見失わないように、反動的に流行の最先端のコンテンツに依存することでバランスを図った。誰よりも早く深くスマートフォンを使いこなしインターネットとダウンロード文化を寵愛し、バズやミームに敏感であることを心掛けた。  その恩恵に感謝もしていた。とあるソーシャルコミュニケーションサイトで疎遠になっていた幼馴染みの小春に再会出来たからだ。  今冬に僕は自動二輪の免許を取得した。  通っている高校の入試休校日と週末の重なった連休に彼女の誕生日を祝う為に東京から神戸三宮までバイクで会いに行く無謀な計画を立て、今日を楽しみに待っていた。 「誕生日プレゼントなにが欲しい?」  僕が電話で尋ねたとき、 「別に物なんて欲しくないねん。気持ちの籠もった物は大切やと思うけど、『物よりもっと大事なモノがある』って言ったのはノボルやん。だから誕生日にはバイクの後に乗せて欲しいなあ」  彼女の小春がそう言ったからだ。  自動二輪の免許の取得は高校で禁止されていたが、僕は十六歳になったらバイクに乗ろうと幼い頃から決めていた。  それまで叔父さんの仕事を手伝って貯めた金で教習所の資金を賄った。  ずっと倉庫の隅に置かれていたバイクは僕のモノになった。叔父さんは快くそれを譲ってくれた。校則違反については咎めなかった。 「自分も若い頃バイク乗りだったから気持ちは分かる。でもバイクは運命を変える乗り物だから、それだけは肝に銘じてハンドルを握れよ」  と、嗜めるだけだった。  今日は三月の初旬としてはとても寒く感じた。  バイクを運転するのにネルシャツの上に羽織るものが欲しかった。僕は叔父さんのお気に入りの一張羅のライダースジャケットのことを想い浮かべた。駄目は元々で貸して貰えるように交渉しようと考え部屋を出ようとした次の瞬間、僕は素っ頓狂な声を出して驚いた。  振り返るとドアの前に叔父さんが立っていた。更に驚きが重なったのは、その手には新品のライダースジャケットが抱えられていたからだ。  叔父さんは人の心を読んで先回りする行動をすることがあった。その都度に僕は驚かされてきた。 「お前がバイクに乗る日が来たら、これを贈ろうと思ってたんだ。……着てみろよ」  叔父さんはそう言った後、小さな笑顔を作った。  僕は感謝の気持ちから言葉を排除し、嬉々とした身の動きで表した。受け取ったショット社製のワンスターモデルの黒い皮革のライダースジャケットの新品に袖を通し、ダブルフロントに斜めに走るタロン社製の太い銀色のジッパーを首まで上げ笑顔を返した。  肩や胸囲が大きかったが着丈や袖丈はジャストなサイズだった。  僕は首を傾げ、肩のエポレットに付いた星型スタッズを眺めた。それは勲章のように誇らしい気分を与えてくれた。
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