ガラス越しの虚構

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ガラス越しの虚構

 長年の土埃で汚れたトラックのフロントガラスは、大きなワイパーが削ぎ落とした部分のみしか風景を見せてくれない。助手席のガラスに至っては透明度を失い、付着した汚れの波紋が木目にさえ見え雨戸みたいに視界を遮っていた。横を向いても映るのはガラスに反射した自分の顔だけだった。  夜通し走っていよいよ神戸に近づくと渋滞や交通止めなどでかなりの迂回を強いられることになった。タカさんの苛々が積もるのが分かった。お互い言葉を交わさなかった。愛する者の無事を祈るので精一杯だった。  標識が神戸市内に入ったことを教えた。僕はいよいよ悲劇の舞台に足を踏み入れたことが怖くなって目を強く閉じてしまった。緊張感だけが募った。ずっとそのままではいられなかった。脳裏には本やネット動画で見知った阪神淡路大震災の陰惨たる破壊の爪痕が鮮明に蘇った。それと同じような光景が目に飛び込んで来ることを覚悟して瞼を開けた。  けれど正面の風景に違和を感じることはなかった。なんの変哲もない普通の早朝の街並みだった。僕は段々と猜疑心に苛まされ始めていた。こんな短期間に神戸を二度目の大地震が襲うことはないのじゃないかと。  あの十六年前の震災は僕の生まれた頃に起きた印象的な出来事だ。  中学校の修学旅行で神戸を訪れ、『人と防災未来センター』で誰よりも興味を持って学んだつもりだ。僕には専門的なことは分からないけれど、その地殻変動で地盤は安定したと思っていた。この地に二度目が起こるならば専門家が指摘をしていた筈だ。今までその警告を耳にしたことはない。  目の前にしている神戸は二年前に見た時とちっとも変わっていない。  汚れたフロントガラス一枚に遮られた二つの半円の風景はテレビの画面を覗いていると同じように平面的でリアル感が欠けていたが、どう見ても災害に襲われた形跡なんて見当たらない。神戸に連れて行ってくれと頼んだのは僕だけど、タカさんが地震が起きたと言ったことが嘘に思えた。騙した意図は何なのだろうと考えたりさえした。  その真意を見抜こうとタカさんの横顔を見た。彼はアクセル踏む足を緩め車を徐行させ、ハンドル持つ刺青だらけの腕に力を入れているのが分かるくらいに筋肉を隆起させ太い肌に血管を浮き上がらせている。暖房のない寒い車内の中で半袖姿なのに、額に大量に汗を滲ませながら小刻みに震える矛盾した行動をし、眼孔を見開き、何か言葉を作ろうと喘ぐ口の形をしていた。顎が外れるってのはこんな感じなんだろう。  タカさんは顎を外したまま僕の方を見やった。そしてまた前を見つめた。平然としている僕と目の前の光景を交互に見ながら驚きを隠しきれないでいた。  彼が驚愕しながら見ているのは三宮に続く変哲もない普通の道の風景だったのに。
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