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明晰夢
再び縺れだしたニューロンが止まる事を知らず、混乱する情報を整理する為に幾つかの質問を繰り返して、ようやく自分が一月の神戸にいることを理解した。
その有り得ない事実がどうしても信じられなかったが、突き刺すような寒さと春の暖かみの不在がそれを証明していた。
もしかすると......僕はずっと一月の寒さの中に居たのだろうか?
もし、そうだったのならば、赤ん坊を抱いて峠を下った昨日、吐く息が白く、凍えに負けて歩みを止めて崩れ落ち倒れた事も納得出来る。
事故の記憶から以降、ずっと無慈悲な寒さが付き纏っていたのは、この残酷な一月の仕業だったんだろうか?
誰かが情報を得るために苦心して調達してきた、震災で燃える神戸の街の写真が大きく一面を飾った今朝の新聞の日付に記された『平成七年』の文字を見て悟った。
此処は歴史に刻まれた阪神淡路大震災直後の神戸だということを。
僕の足が触れている場所は二度目の地震に襲われた、今の『平成二十三年』の神戸なんかじゃなかった。
釈然とせずまま愕然としながら、僕は外に飛び出し遠くの景色を眺めた。仰いで見えるのは間違いなく震災から復興した新しい神戸の風景だった。何度も目を擦ったが景観は変わらない。震災前の古い神戸の様子を知らなくても、それは一昨年の修学旅行で見たものと寸分も違わないと確信があった。なのに寸前には崩れた建物と立ち上る黒煙に囲まれた都市の中にある小さな校舎と校庭があって、背後には被災者が片寄せあう体育館がある。
僕は一体何を見ているんだろう?
僕は過去を見ていた。
震災の景色が過去ではない。記憶の中の復興した神戸の景色が過去だった。
今、時の経過と足並みを揃え現時点へと実体化する未来は、僕にとって以前の過去だったもので、遠景に映る未来は記憶の中の経験した過去に変化した。
僕は十六年という時間の隔たりを近景と遠景を入り混ぜながら同時に認識していることを理解した。
痛む足で闇雲に走った。
平穏な遠景はその場所まで近付くと悲劇的な近景に変わる。追い求めても遠い風景の安心の中に立つ事が出来ない。
僕を苛ましていた頭の中に在った望遠鏡のイメージは覆された。
どちらから覗いても、遠くのものは遠くにあるように見え果てない距離に存在し、近くのものは実物大で目の前に赤裸々に在り続ける。
もはや視界を司る望遠鏡はレンズの入っていない単なる円筒に過ぎない。
見えるもののどちらが現実なのかの推測は必要なかった。僕が触れられるものは手の届く範囲だけなのだから。
それは阿鼻叫喚の残像だけだった。
夢を見ていることを自覚している夢だった。これがもしその類の明晰夢だとすると自分で夢の続きをコントロール出来るかもしれないと思った。
崩壊した十六年前の神戸ではなく、今現在の復興した輝かしい神戸......小春の暮らす神戸の地に、我が身が立つことを強く願った。
けれど夢の光景は変わらない。そもそも夢ではない。
これは現実だ。
徹底的に破壊された世界が目の前にある事は覆せない。
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